どこかの元T大生の思考

不定期です。旅行と考えることが好きな元T大生が、たまーに駄文を公開します。旅の記録を語る[旅]、何かに対する見解や主張をぶつける[論]、自分の生き方について思いを巡らせる[憂]、趣味などについて書き散らす[雑]の4つのカテゴリーで。

[論1]「病み」はやめた方がいい

「悩み」と「病み」は違うよね、病みは厄介なんだよね、ってお話。

 

 

 

私は今、将来に関することをはじめ、深い悩みに陥っている。だから稚拙ながら文章を書きはじめたのである。

と、ここで間違えてはならない。「病み」ではなく、あくまでも「悩み」だ。今の自分は「病んだところで生活に支障が出るだけ、意味がない」という考えに至っている。たしかに悩む分には自分を高めるかもしれないからいいけど、病むのは自身を卑下して生活や他者にも悪影響を与えるきっかけになりかねない、決して良いことではない。

「悩み」と「病み」という2つの言葉。「な」という一文字が最初に来るかどうかの違いだし、意味もある程度似ている。自身の行動や人生自体について考えをめぐらすことだ。しかしこの2つには根本的な違いがある。「それがほかの活動に多大なる悪影響を及ぼさないか」「これまでの自身の生き方を否定することにならないか」そして「自己肯定感を失わないか」、私はこのあたりが「悩み」と「病み」の違いだと考えている。

「自己肯定感」とか「自尊心」とかいうもの、これがやはり大切なのではないか。自己肯定感が保たれていれば自身の生き様を否定することにはならず、生き様すら否定する「病み」には突入しづらいと思う。

 


じゃあ、どうやったら自己肯定感とか自尊心といったものを維持できるのか。

やはり「自分に自信を持つ」ことであろう。自信さえあれば、自分のこれまでの生き様を否定などしたくなくなり、むしろ誇りに思えさえするかもしれない。これまでに自分が何をしてきたか思い出して欲しい。誰かを喜ばせ、誰かを感動させ、誰かを動かしたのではないか。あの時自身も幸せに感じていたのではないか、あの時自身が「頑張ってやる!」って思っていたのではないか、あの時自身が激しく努力していたのではないか。…そういう過去、否定したいか?

あとは「ま、いっか」の精神である。一つの失敗くらいでは、意外と周囲の社会は壊れない。なんだかんだでどうにかなるのである。そんな失敗で自分を卑下する必要はない。

東大生、とりわけツイッターで見かけるような東大生は自己肯定感が著しく低い人が多いように感じるけど、そもそも「東大に合格している」という時点で凄いんだよ。だって日本のトップレベルってことでしょ。たとえそれに「学問を十分に修めている」という内実が伴わないと思ってても、東大生以外からしたら確実に頑張ってる方だから。あと、東大生は考えすぎ。もっと気楽に楽しく生きようよ。

 


…実はこんなことを言いながら私も、6月に2回「病んだ」。1回目は自身の無能さ、2回目は人間関係の失敗に関してである。この時はツイッターの非公開アカウントで激しく不穏な発言を振りまいた。自分のこれまでの生き方を否定した。泣きたくさえなった。「自分なんていない方がいいんじゃないか」と本気で考えた。普段自己肯定感が高いはずの自分だが、突然自分に対する自信が消えた。

しかし今考え直してみると、この「病んだ」内容というのはひどくどうでもよく感じるのである。なんであの時あんなに考え込んだんだろう、本当に馬鹿馬鹿しい。たぶん、その時に精神的な余裕がなかったからなんだろうな。

そう、実は病む内容なんて些細なものなのだ。ただ、その時の精神状況が良くないがために、些細なことで自分の生き様を否定するレベルに至ってしまう。

一歩立ち止まって、自分が何に病んでいるのか冷静に分析してみることが大切である。

あとは適度な休息である。「忙しくなると不親切になる」といった趣旨のことは良く言われるが、全くその通りだ。肉体が疲れると精神も余裕がなくなり、些細なことで傷つきメンブレして病むきっかけとなる。無理しちゃダメだよ(完全にブーメラン)。

 


…そうは言っても、病む人は病むだろう。メンヘラ気味の人間は、「病みやすい」というのが性格の一部なのだろうし。そうじゃない人も、実際「自己肯定感が高い」と自負しながら前述の通り完全に病んだ私みたくなりかねない。

その時はやはり、信頼できる人に話すのが一番だ。自身の病んだ原因を明言化し吐き出すこと自体に意味があるし、そこで相手からフィードバックをもらえれば解決につながる。

私自身も人間関係で激しく病んだ時、信頼できる友人に全てを話してスッキリしたし、「逃げるという選択肢もある」「本物の『いい人』なんだから自信持って」などと言われて自己肯定感を回復した。だから、「信頼できる人間」の存在は大切なのだ。

では「信頼できる人間」が見つからなかったらどうすればいいのか。自分だけのLINEグループとかフォロワー0のツイッターアカウントでもいい、紙に書き殴るのでもいい、とりあえず病んでいる内容をアウトプットすることが大切だ。あとは誰でもいいから「外部の人間」に相談した方がいい。客観的に見てくれて冷静になれる。

 


さて、一般的には病むと日常生活に支障が出るはずだ。気力が出ず、何をするにも否定的な考えに陥ることになるだろう。周囲に対する当たりも強くなり、周りの人間を不快に感じさせる原因を作り出すだろう。人間関係を悪化させることにつながるかもしれない。

ここで一番厄介なのは「関係ない人が巻き込まれる」ことである。私も、病んだ知人が見るからに不機嫌な態度を取っており、気を遣いつつこちらまで不快に感じられてきた経験がある。それはやめてほしいものだ。病むなら自分だけ、もしくは自分とほかの当事者だけにしなさい。巻き込まないで。

私はかつて、こう言ったことがある。「自分は7人格くらいあって、病み人格は人前で出さないようにコントロールするから病んでも普段通りに見える」と。すなわち、病んだところで誰かの前でそれを見せない、ということだ。この言い方が適切かはわからないが、病みがちな人にはこの姿勢を見習ってほしいものだと思う。病んで否定的な態度を取る際は、それを関係ない人にぶつけてはならない。

 


ところで私の現在の最大の悩み、それは実は「恋愛」についてである。詳しくは8月中旬あたりにまた書くだろうが、「どうやって誘えばいいのか、誘ってなんかいいのかわからない」「そもそも自分がその人に男として見られているのかわからない」「自分にその人と一緒にいる資格があるのかわからない」「失恋したらどうすればいいんだろう」などである。

でも、そんな悩みが原因で病んで自己肯定感が下がる事態は招きたくない、というか招くつもりはない。そもそも恋愛は全てじゃない、それが満足にできないからといって「自分はダメ人間」なんてことはない。失恋したって自分自体を否定しちゃダメだ、「誰から見てもダメ人間」なんかじゃなくて、「その人にとって恋愛対象にならなかっただけの人間」であるに過ぎないんだから。

ある友人が「恋愛は病むぞ」と言ってきた。それは恋している間も、失恋した後もであろう。でもどちらにしろ、私は「悩む」だけで終わらせたい。

 


多感な時期だ。「悩む」のは仕方ないし、それは自身を高めることにつながると思う。でも、自身を低く見積もって「病む」のは避けた方がいい。そこの区別はしていきたいものだ。

ツイッターにいる東大生の多くが、悪性で他人も巻き込む「病み」状態にならないことを願う。