どこかの元T大生の思考

不定期です。旅行と考えることが好きな元T大生が、たまーに駄文を公開します。旅の記録を語る[旅]、何かに対する見解や主張をぶつける[論]、自分の生き方について思いを巡らせる[憂]、趣味などについて書き散らす[雑]の4つのカテゴリーで。

[論4]アルバイトの意義と「自分で稼ぐ」意味

そもそも、なんのためにアルバイトなんてするんだろう?

 

 

 

私がやっていたコンビニバイトは、給料日が毎月10日であった。先月の給料については、今日8/10が土曜日のため昨日入金された。ゆえに私は、アルバイトによってちょうど資金を得たところである。

また、昨日は配達(厳密にはアルバイトではない)で14,000円程度稼いだ。これは来週の火曜に入金されるはずである。ゆえに私は、労働によって新たに資金を得ようとしているところである。

そして私は現在旅行中であるが、この資金は基本的にアルバイトの給料で賄っている。旅行から帰ってきたら行くことになる合宿の資金についても然り。

すなわち、現在の私の生活はアルバイトの存在が結構なウエイトを占めているのである。

 


さて、そもそもこのようなアルバイトの根本的な「意義」はなんなのか。今回はそれを考えてみたい。この間はアルバイトを選ぶにあたっての指南であったが、今回は「意義」である。

だって、意義が見出せなかったらやる気起きないじゃん。そもそもアルバイトなんて、大学生の本分じゃないんだし。

 


大学生のうちにアルバイトをする意義・メリットはなんなのか。私は「社会勉強」と「資金調達」の側面が大きいと考える。

 


まずは「社会勉強」の側面について。アルバイトは多くの場合、人生初の「自分の働きで金を稼ぐ経験」となるはすだ。1人の「労働者」「被雇用者」として社会に出ることとなるため、時間や規律の遵守、自分のシフトの管理、報・連・相の徹底など学ぶべきことは多い。店長や上司との人間関係も大変だし、自分の仕事の出来なさに悩むこともある。

これが、社会人になる前の準備段階として良い経験になるのではないか。バイトで働く際の注意点・大変な点を知っていた方が、自分が大学を出て社会人になった時にどんな振る舞いを取るべきか分かって役に立つのではないか。東大生は金持ちが多く(主語が大きすぎて多方面から叩かれそう)バイトをしなくて済む人を多く見かけるが、果たして突然社会に出た時にちゃんと働けるのだろうか。バイトを全くせずにいきなり社会人になって週40時間以上も働くと、今まで経験しなかった「働く」という行為に慣れずうつ病等に陥るのではないか。「東大生は無能」を経験せず突然社会に出て、いきなり絶望する可能性もあるのではないか。「そもそもそういう状況になり得る日本の社会自体がおかしい!」という議論は長期戦になるから一旦置いとくとして、そんな風に突然の労働で苦しむことになってもいいのだろうか。

それだけでない、多くの職種を経験してみるというのも、様々な世界を知ることができ視点が変わるという点で有意義な社会勉強になるはずだ。将来人間を管理する側に回る確率の高い東大生、罵声が聞こえる肉体労働や単純作業、また外国人労働者ばかりのコンビニなどの世界は経験せずに一生を終えるかもしれない。だが、日本を引っ張っていく立場にある人ほど、そのようなある意味異種の世界を見ておくのも重要ではないのか。例えばコンビニの24時間営業など、コンビニ店員として忙しく働くオーナーを見ていると当然推進したくない。また、コンビニで時給1,000円で働いた経験があると、コンビニなどで提供されるサービスの質が若干低くてもクレームなど入れる気にはなく、むしろ感謝の念が増える。それに自分より仕事を知っている同僚の多くが外国人ゆえ、仕事ができ日本語も結構話せる外国人労働者を尊敬したくもなる。いわば、いろいろな世界を知ることでいろいろな立場から考えることができるようになり、また寛容になれるのだと考える。そんなたくさんの職種を経験できるのも、学生時代のアルバイトくらいだ。

 


…とはいえ、「社会勉強」とかいう綺麗事だけのためにあんな大変なことできるはずがない。今言ったことと矛盾するようだが、金がたくさんあったら私だってアルバイトなんてしたくない。だって労働って単なる苦痛じゃん。少なくとも私の場合、アルバイトをするのは単に金欠だから稼ぐというのが大きな理由だ。

そう、「資金調達」の側面。当たり前だ。本来労働って、それに見合う対価を得るために行うものだろう。「やりがいさえあれば稼ぎはどうでもいい」だと?ふざけるな、世の中、結局お金なんだよ。お金なかったらどうなるか分かるか?一部の東大生や私のコンビニバイト時代の同僚中国人みたいな上流階級(主語大きいし曖昧だから多方面から叩かれそう)、アルバイトの金稼ぎの面をさほど重視しないけど、そりゃあんたが潤沢な資金を実はどこからか得られてるわけで。そんなこと迂闊に言うんじゃねえ。

だいたい、大学生にもなれば出費はかさむ。いろいろな飲み会とかコンパがあるわ、教科書とか本で出費はかさむわ、休暇にはサークルの合宿とか友人との遊びがあるわ。それを全部自分の財布から出してれば、そりゃあっという間に金が飛んでいくわけで。

でも、だからといって本当に行きたいイベントを「金欠だから」って言って断念したいだろうか。また、趣味にかける金を減らしたいと思うだろうか。少なくとも私は嫌だ。

そう、そういう場合に断念しなくて済むよう、アルバイトで稼ぐのだ。金が増えるとフットワークが軽くなり、友人との遊びや趣味などに金をかけられて結局充実した生活の手助けになっていく。心にも余裕ができるし、出費可能な幅が増えることで、さっきあげたのとは別の意味でも世界が広がる気がする。

もちろん、遊びに限らず日常生活のためにもだ。例えば私は毎日の昼食は学食を除き自腹のため、昼食でケチらずに済むようしっかりと稼ごうと考えている。これは生活に困窮している層、必ずしも困窮していない層に関わらずである。

 


けど、小遣い制や「親のクレジットカードを自由に使える」などでアルバイトなしに潤沢な資金をを得られる学生もいるのだろう。その人たちに対する私自身の嫉妬は置いといて、ここで問題としたいのが「自分で稼ぐことの意味」である。

例えば親の金だと、むやみに使いたくない、ちゃんとした用途にしか使いたくない、と考えて出費が自然と抑えられてしまうことがあるのではないか。親の脛をかじっている、という自覚から金を使うのに抵抗を感じることがあるのではないか。その点、自分の力で稼いだ金は完全に自分の裁量で使えるので、そんなこと気にせずに自由に使うことができる。自分で稼ぐことで、金の使い道も広がるのだと思う。そして結局趣味とかに金をつぎ込むことができ、心に余裕ができて世界が広がる。

一方で、金の価値の大きさにも気づくのではないか。例えば時給1,300円のバイトでも、8時間働いてようやく1万円得られるくらいだ。1万円にはそれだけの価値がある。それを知っていると、金の使い道をよく考えるようになるのではないか。これは「ケチる」とは違う、「使うところをよく吟味する」という意味である。趣味などで自分の8時間の労働をつぎ込むだけの価値があると認めれば、側から見てどんなに馬鹿馬鹿しいことでも1万円出費する。一方でそれだけの価値を見出せなければ、払わない。こうやって使い道を考えるようになることで、金の使い方がある意味洗練されるのではなかろうか。

私は「散財癖がある」と言われることがあるが、無駄なことに金を使うつもりはないし使った覚えもそれほどない。これも、自分で稼いでいるがゆえであろう。

 


Twitterを見ていると、「あんな旅行の資金はどっから湧いてるんだ?」「あんな豪華な食事の資金はどっから湧いてるんだ?」という嫉妬に似た疑問を見ることがある。

そういうことを言われたら、私は自信をもって言いたい、「自分で稼いだ金だ」と。

 

 

……こういう謎のプライドの維持も、アルバイトをする1つの意義なのかもしれない。