どこかの元T大生の思考

不定期です。旅行と考えることが好きな元T大生が、たまーに駄文を公開します。旅の記録を語る[旅]、何かに対する見解や主張をぶつける[論]、自分の生き方について思いを巡らせる[憂]、趣味などについて書き散らす[雑]の4つのカテゴリーで。

[論8]「人の生き方」について

「まっとうな生き方」ってなんだ?「道を踏み外す」って具体的には?それって無制限に批判していいの?

 

 

 

私のサークル同期で、大学の授業に出ず一留しつつも事業を起こして社長(?)をやっている奴がいる。アフィリエイトとかで結構儲けていて、正直すごい。

しかしこの彼の生き方、「授業に出なくて単位も取らない」という点で周りからはあまり評価されないようだ。はなから「道を踏み外している」として相手にすらされないこともあるとか。

だが、そもそも「大学に行かない」という生き方が「道を踏み外している」として自動的にネガティブなものと判断されてよいのだろうか。というか「道を踏み外している」ってのは「まっとうな生き方をしていない」ってことだろうけど、じゃあ「まっとうな生き方」なんて1つに定まるのだろうか。そして我々にはそれを批判する権利はあるのだろうか。

彼と話しながらそんなことを思い、今回はこの文章を書くこととした。

 


「まっとうな生き方」。おそらく多くの東大生にとっては「一度も浪人・留年せず大学を卒業し、一流企業や公的機関への就職を果たす、もしくは研究者として成果を残す」といったところであろうか。…まあ「研究者になるためD進する」が「まっとうな生き方」と捉えられるのかはわからないが。

こんな生き方が「まっとうな生き方」であることは、私も同感する。一度も寄り道をせず段階を踏んで成長していき、最終的にそれなりの地位を身につける、これは誇るべき生き方であろう。

ただ、「まっとうな生き方」とは本当にそれだけなのだろうか。留年や休学など、少しくらい寄り道してもいいのではないだろうか。別に急ぎすぎる必要もないのではないだろうか。それに、別に一流企業に就職することだけが幸福とは限らない。地方で悠々自適に暮らすのも、自由や快楽を求めるという点で「まっとうな生き方」と言えるだろう。中小企業だって、そこで明確なビジョンを立てて働いていればそれは「まっとうな生き方」だ。ビジョンとかなくても、きちんと労働をこなしていれば「まっとうな生き方」である。きちんと労働をこなしていなくたって、何らかの形で社会に貢献していれば「まっとうな生き方」かもしれない。いや、もはや生きてるだけで「まっとうな生き方」なのか……?

……こう考えていくときりがない。そう、そもそも「まっとうな生き方」というもの自体考えがまちまちで、一概には定まらないのだ。だから「まっとうな生き方ではないな」と判断してその人を勝手に見下すのは、ナンセンスだと思う。

 


というか、そんな「まっとうな生き方」をしない「道を踏み外すこと」自体ダメなことなのだろうか。大学の授業をまともに受けず事業に没頭するのは、ダメなことなのだろうか。そのほかにも例えば大学を中退して地方に飛び出たり、社会人が脱サラして一攫千金したり、心の病を抱えて塞ぎ込んだり、仕事もせずギャンブルに没頭したりするのは、必ずしもダメなことなのだろうか。

これに関して私自身は、たった1つの大きな条件「周りの人に迷惑をかけない」さえ守れれば、別にいいんじゃないかと思う。今あげたような人(とりわけ後の2つ)が社会的に批判されるのは、あくまでも周りに悪影響をかける場合のみだ。生産性?人間は生きてるだけで尊い存在なんだ、そんなもの気にするのは違うでしょう。真面目な人に対して失礼?そもそも生き方が違うから比較対象にならないのでは。そんな面倒なこと気にせず、気楽に生きられた方がいいじゃない。

道を踏み外したって、その人の人生だ。踏み外したことで新たに見えるものもある。型にはまっていては、その外の世界は見えてこない。型破りなこと、やってもいいじゃない。真面目じゃなくたっていい。別にボーッと生きていたっていいじゃない。私はそう思う。

 


さて、世間的に見て「まっとうでない」「道を踏み外している」生き方というのは、結構批判されるものだ。

だが私は考える。我々に人の生き方を否定する権利などあるのだろうか。

周りの人に迷惑をかけさえしないのであれば、そもそもその人の生き方により自身に危害が加わることはない。すなわち、本質的に「自分とは関係ない」のである。そこにまで口出ししたところで、意味はないのではないだろうか。

というか、「標準」「まっとうなもの」という半ば自分の思い込みに過ぎないものに合致しないからといって、人の人生を否定するのはその人にとって迷惑極まりないだけである。だからどうした、俺はこれがまっとうな生き方だと思うからいいんだよ、って感じである。自分の立場に立って考えて欲しい。これまで一生懸命に生きてきた自分の生き様が「これ俺にとっての標準じゃないから」といって否定されたら、自分のこれまでの生き方を省みて非常に嫌な気持ちになるだろう。

人の生き方を批判するのはナンセンスだ。

 


ただ、何にしろ「周りの人に迷惑をかけない」、これだけは守らなければならない。それができなければ、単なる「道を踏み外している」ではなく「誰かを巻き添えに道を踏み外す」害悪と化す。それは批判されても仕方ないだろう。

周りの人に迷惑をかけていること、自覚しないこともあるだろう。でもそこを分かるようにならねばならない。あくまでも自分の中で、自己責任で。

 


とりあえず、その人の生き方がいかに自分の思う「標準」「まっとうなもの」とかけ離れていようと、それを無制限に批判するのはよくない。

これは他人だけでなく、自分の生き方についても同じである。たとえ自分の思う「まっとうな生き方」でなかろうと、自分の生き様を責めてはならない。

 


こんなことを言っておきながら、自分で言うのもなんだが私は生真面目なので、自分の考える「まっとうな生き方」を追求していく。でも、他者の生き方に対して「まっとうじゃない」というレッテルを張ることなく、自分や他者の生き方を最大限に尊重していきたいものだ。ただし、自分が極力周りに迷惑をかけない範囲で。