どこかの元T大生の思考

不定期です。旅行と考えることが好きな元T大生が、たまーに駄文を公開します。旅の記録を語る[旅]、何かに対する見解や主張をぶつける[論]、自分の生き方について思いを巡らせる[憂]、趣味などについて書き散らす[雑]の4つのカテゴリーで。

[論10]サークル(サークル的団体)との関わり方

多くのサークル的団体に属しているが故の、尽きない悩み。心に秘めていた思いを、ここで暴露する。

 

 

 

私は大学において、多くの団体に属している。細かく言うと、サークル3つ、サークルに近い雰囲気のあるゼミ1つ(ただし引退済み)、委員会2つ(駒場祭と五月祭、ある程度構成員が被っている)だ。どの団体の活動にも、ある程度顔を出している。すべて一応役職持ちだ。

それゆえの悩みなのかもしれないが、サークルにどれほどコミットすべきか、どれほど深く関わるべきなのか悩む機会が多かった。

以下一応、私の所属する3つの「サークル」について話す場合は「サークル」、ほかゼミと委員会を含める場合は「サークル的団体」と呼んでおく。特に委員会は「サークル」とは違う、これは大事。特定が怖いので、高度に抽象化して書かせてもらう。

 

 

そもそも、サークル(というかサークル的団体)とは何のためにあるのか。

まず大学入学時にサークル的団体に入る理由として一番大きいのが、「友人を作る」であろう。東大はクラス制度があって知り合いを作りやすいとはいえ、クラスはほぼ1年間で解散だ。そこから学科が決定し新たな知り合いができるまでにも少し時間があるし、法学部とかなんかじゃそもそも学科が存在せず知り合いを作りづらい。それに対してサークル的団体の場合、活動は1年間にとどまらないし、活動において一緒にいる機会も多く友人が作れる。だから、大学のコミュニティといえば「サークル」もしくは「サークル的団体」となりがちなのだろう。たしかに私の大学での親しい友人も、大抵はサークル的団体の同期だ。ちなみにここから発展して「恋人を作る」ともなりうる(まあ私には無縁だけど)。

サークルなら、単なる「友人」のみならず「趣味の合う友人」だって作れる。いわば「オタク仲間」だ。例えば私の場合は、旅行とか散歩を行うサークル(旅行編でたびたび出てくるあれ)で地理好き・鉄道好き・限界旅行好きに出会うことができ、そんな趣味の話で盛り上がれるのが本当に楽しい。まさか「市町村で山手線ゲーム」が実現するとは思わなかった。やっぱこういう謎の話題で盛り上がれる友人が、一番なのよ。

「高校時代までやっていたことを続けたい」とか逆に「大学で新しいことをやってみたい」というのも、サークル的団体に入る大きなきっかけとなるだろう。私の場合はこれが大きく、入っているサークル的団体はすべて「大学生になったらやってみたかったこと」を提供してくれる場になっている。結果やりたいことができ、楽しんでいる。

お勉強サークルやゼミに至っては、「大学でしか得られない学びを得る」というのが大きいだろう。私だって「東大に入ったからには真面目な勉強系の団体に入りたい」と思っており、社会問題について考えられるゼミに入った。様々な人の話を聞いて知見・自分の考えを広められるほか、合宿の夜とかには哲学的な話題について真面目に議論でき、いわば脳汁が大量に出てinterestingな状態だ。

学びを得るのみならず、ボランティア団体などでは「大学生として社会に貢献する」「皆の助けとなる」というのもあるだろう。例えば東大には、地方の教育に対する取り組みを行っている(説明が雑で申し訳ない)団体とか結構ある印象だ。私だって委員会に入った理由の1つとして、「楽しい学園祭の実現のサポートをしたい」というのが無いことはない。

あとはまあ、「友人を作る」と近いが「大学時代の思い出を作る」が大きいだろう。あるプロジェクトに向かって団体で団結し、それを実現させる。これだけでとてもいい思い出だろう。合宿で花火とか芸とかをする、これだって立派な思い出だ。そういう正規の活動だけじゃない、例えば同期とディズニーに行ったりする、これも学生時代しか作れない思い出だ。そういうものをサークル的団体は提供してくれる。

まあ、これらすべてを必ずしも1つのサークル的団体が提供するとも限らない。そもそも雰囲気が自分に合わなきゃ、友人は作りづらいし、やりたいことでも楽しく思えない。だから保険としてなのだろうか、入学時に複数のサークル的団体にとりあえず所属しておく人が、東大生には多い印象を受ける。私だってもちろんそうだ。

 

 

さて、そのようなモチベでサークル的団体に入った結果、大学生(というか東大生)はどうなっているだろうか。「1つか2つの団体にある程度関わる」が多いだろうが、極端な例として次の3つのパターンもあると思う。

1つは「1つのサークル的団体に深く関わる」。その団体の雰囲気があっていて活動を楽しいと思い、また構成員と良好な関係を築けた場合だ。団体の代表とか重要な役職につき、活動の中核に関わることも多いと思う。その団体への愛が激しい。ただ一方、人によっては兼サー先を捨てることになるだろう。

2つ目に「複数のサークル的団体でつまみ食い」、まさに私のような感じだ。当初所属した団体のほぼすべてである程度良好な関係を築き、活動をある程度楽しめる。一度親しくなったコミュニティから脱却できず、結局どの団体も捨てずにこうなる。体力と気力も大事だ。ただこの場合、忙しさゆえに1つの団体に深く関わるということが難しく、悪く言えば「中途半端」で終わることもある。

3つ目に「そもそもサークル的団体を嫌っていなくなる」もあるだろう。サークル的団体はある程度の同調圧力を伴うこともあるし、全員参加のイベントなどで生活を拘束することもある。雰囲気が合わなきゃ楽しくないし、楽しくなきゃ行くモチベもわかない。「大学生」という自由を最大限に味わうためには、邪魔となりうる。だから「いなくなる」というのも選択肢の1つだろう。この場合友人を作りづらくなるかもしれないが、人によっては元いた団体の構成員と良好な関係を維持する人もいるし、クラスや寮のコミュニティを重視して友人関係を維持する人もいるだろう。

 

 

そう、私の場合は2つ目で、「体力と気力を使う」「忙しさゆえに1つの団体に深く関わることが難しく中途半端」という必ずしも良くない状況で、「どのコミュニティからも脱却できず流れで続いてしまう」というのもネガテイブに捉えられる。これが悩みどころなのだ。

各団体ごとに活動費や交際費がかかるためトータルでの出費は莫大で、それを賄うために労働も増えてさらに疲れる。そのくせして、忙しさゆえに団体の中核に入ることが難しいため、同期と仲良くなるのに限界がある。中途半端で忌まわしき存在として無視され、自分だけがハブられてしまう(もしくはそう感じてしまう)という嫌な状況も生じうるのだ。最近サークルで自分だけが完全にハブられる状況があり、その際はやり場のない憤りとやり切れなさを感じた。そんな人たちとサークルのアフターとかで、決して安くないお金を払って、家に帰れば食べられる夕食を食べる。そんなこと正直好んでやりたいとは思わないし、断ると「付き合いが悪い」って思われるけどもうそれでいい。

それと3つ目に挙げた「団体は生活をある程度拘束する」というのも難点だ。私は自己中心的で根が自由な人間なので、団体とかいう「必ずしも自分の利益になるとは限らない」ものに貢献しすぎることで、自分の自由な時間が失われるのを好ましく思えない。例えばこの夏休み、私はサークルの夏合宿が被ったせいで、ボランティアや地方創生系のプログラムに参加することに失敗した。この時、サークルが邪魔だと感じてしまったものだ。

あともう一つ渋いこととして「自分が迷惑をかけかねない」というものがある。多忙ですべてを知るわけでないつまみ食い人間の存在は、十分な対応をできないという点で周りに迷惑をかけることも多い。例えば忙しさから仕事を後回しにしてしまい、気づいたら大変な事態になっているということも。活動にあまり参加できないことで上達が遅く、自分の下手くそさが周りにとって忌まわしき存在となることも。そもそも私は根っからの無能で、自分の存在が歓迎されてる気は全くしない。

自分が「疲れる」とか「自由な生活ができない」とかは、あくまでも自分の中で完結するので最悪どうでもいい。しかし、「迷惑をかける」というのはそうはいかない。自分が迷惑をかけつつその団体にいさせてもらう状況、継続すると団体の他の構成員も鬱陶しく感じるはずだ。

だから私は現在、サークル的団体との関わり方について非常に悩んでいるのだ。

 

 

結局私は、1つのサークル(3年執行代)において執行代の役職を辞退した。役職が忙しくて自分の時間が奪われることが嫌だったし、自分が変に役職を引き受けて迷惑をかけるのも嫌だったからだ。

これまでサークルの人には言っていなかったが、実は休会も選択肢として考えに入れている。というのも、役職を辞退してフリーライダーとして関わるのは申し訳なく感じるからだ。そもそもそのサークルでは「能力」がある程度大事なため、無能な自分は存在するだけで迷惑かもしれない。加えて正直な話、私は他のサークル的団体の同期の方が仲良いため、必ずしもそのサークルに執着し関係性を継続する必要もないと感じたのもある。

しかし、実はもっと大きな問題が存在する。それは「苦手な人がいる」というものだ。これも最近ではなく、実は1年前くらいから。私は元来寛容なため人を嫌うことがほぼなく、大学の知り合いはその人以外は特に嫌いでない。しかし、その人だけはどうしても好きになれないのだ。私はそんな関係が嫌で、忙しい身ながら可能な限り仲良くしようとした。しかし向こうは別に「一部の親しい人間とだけつるんでりゃ他はどうでもいい」というスタンスで、馬が合わない私と仲良くなろうとなんてかけらも思わなかったのではないか。私は諦めた。そして「苦手な人がサークルの中にいる」「活動に行ったらよく会うことになる」という事実が残り、それが原因で私のサークルに行くモチベも少し低下した。だって、仲良くない人と会いたいとはあんま思わないじゃん、私の高校時代の同好会だって会長を嫌って活動に来なくなった人いるし。ちなみに、私はその苦手な人と話すことは普通にできる。

こう考えていると、自分がそこにいる理由はもはや「これまで続けてきたから」というさっぱりしないものだけだし、自分がそこにいる理由も見失ってしまう。活動には決して安くない金がかかり生活を圧迫するため、流れだけで続けるのも好ましくない。どうしようか。

 

 

しかしここで引っかかることがある。それは「先輩や後輩との仲は良い」「これまでの人間関係を壊したくない」「これまでのそのサークルでの思い出を失いたくない」というものだ。

同期との仲が微妙だとしても女性の先輩や男性の後輩とは仲が良い方で、それを失うのはもったいない気がする。そもそも同期だってある程度は仲が良いわけだし、「ある程度」じゃなくてちゃんと仲良い同期だって当然いるし、それをチャラにするのは嫌だ。多くのサークル的団体で同期がいなくなっていく経験をしたことがあり、自分自身もも1つのサークルからフェードアウトしていて、その際など非常に残念に感じたものだ。だから、サークルからいなくなるのは渋い。

それに合宿とか、そのサークルで築いた楽しい思い出は数々あって、それが「自分がちゃんと関わらなかったサークルの思い出」という「素直に受け止められない微妙な思い出」になるのは渋い。というか夏合宿はとても楽しかったし、来年も可能なら行きたい。

烏滸がましいのは承知で言わせてもらいたい。私は、「活動にあまり参加できないけど人間関係を維持できている」という関係性を望んでいる。ハブられる状況が増えるし、役職につかないことを疎まれるわけだから、それが容易でないことは承知だが。

 

 

こう考えてみると、サークルは「行きたい時だけ行けて、それでもってみんな仲良い存在」「能力が重視されない存在」「出費が必ずしも強制されない存在」であってほしいと思う。

私の所属する別のサークルはまさにこの形だ。私は普段の活動にほとんど行けてないのに良好な関係を継続できているし、「関係の悪化」なんて思い浮かばないくらいだ。能力に関しては、そもそも「何か大きなものを成し遂げる」よりかは「みんなでただ何かをする」サークルだから、全く関係がない。それに部費はゼロだ。だから私は、そのコミュニティが好きだ。

 

 

ただまあ、先ほど3つの関わり方を提示したように、サークル(というかサークル的団体)との関わり方は人によって様々だ。だからこそ、誰もが求めているサークル像が同じということはなく、そこで衝突が生じることもあるかもしれない。サークルとの関わり方は、他の構成員が押し付けるものでもないな。

 

 

ところで、委員会の場合はこうも行かない。だって構成員一人一人が「委員」という「仕事を委ねられた存在」だからだ。サークルの「単に入っておく」程度の認識ではなく、ある程度の責任を持って引き受けたものだろう。だからこそ、仮にそこの雰囲気が合っていないとしても仕事を全うすべきである。本当に無理なら、早めに誰かに仕事を託すべきだ。

役職を持っているサークルでもそうだ。役職は責任を持って引き受けたものだから、突然蒸発するなどあってはならない。いなくなるなら役職を辞退するか仕事を誰かに託すか、それくらいはすべきだろう。

 

 

とりあえず、私は来年の春休みはサークルの合宿に参加しないかもしれない。やっぱり、春休みにやりたいことがあるから。それに「委員」として委員会の仕事をしなきゃいけないだろうし。

サークルとの関わり方、悩みが尽きることはないかもしれない。現に私は複数人に相談して回答(?)を得ているが、それでも態度は確定しない。春休みの過ごし方含め、よく考えていきたい。