どこかの元T大生の思考

不定期です。旅行と考えることが好きな元T大生が、たまーに駄文を公開します。旅の記録を語る[旅]、何かに対する見解や主張をぶつける[論]、自分の生き方について思いを巡らせる[憂]、趣味などについて書き散らす[雑]の4つのカテゴリーで。

[憂8]承認欲求との戦い

いくら自己肯定感が高くても、他人からの承認がないと不安。気持ち悪いようだけど、言わせて欲しい。

 

※最初に断言しておくが、この文章の内容は決して私の肉体的・精神的性自認である「男」に限定していない。ただし、私自身は肉体的にも精神的にも男性を自認しており、また恋愛対象は異性であると自覚している。

 

 

 

今、とても恋人が欲しい。

唐突で気持ち悪い発言だとは自覚している。だがたしかに、今の私は「恋人」という存在が自分にいて欲しいと思っているのだ。

 

 

なぜだろう。拗らせたままに考えてみる。

前にも少し述べた「青春コンプレックス」による、「恋人がいるいわゆる『青春』を経験してみたい」という思い。自分の知らない世界を知りたいという思い。そもそも、自分が今まで経験できていない「恋愛」をしてみたいという思い。そういうのもある。

しかし、もっと根本的な理由があると思っている。それは「誰かの特別な存在になることで、自分の存在意義を再確認したい」というものだ。

 

 

「恋人」という関係が何を意味するか。単なる「友達」と何が違うか。

それは、いわゆる「特別な関係であること」だと思う。特別な関係というのも、お互いに(普通は)1人しか認めない関係であり、それゆえにほかの人以上に優先しあう関係、と言えるのではないだろうか。すなわち、「お互いにお互いの存在を確実に承認している」「お互いに必要としている」関係なのだと私は考える。

それに、「恋人はお互いのあらゆる部分を受け入れる」という幻想を私は持っている。まあ現実は少し違うのかもしれないが、ほかの人と比べ承認の範囲が広いのは確実だろう。

……だからこそ、私はそのような関係を求めているのだ。端的にいうと、私は「自分が他人に必要とされているのか」に関してまったく自信がない。こんなの気にしなければいいだけの話だが、自身が人間という社会的存在である以上、どうしても気になってたまらないのである。

承認欲求が激しいのだ。確実な承認、確実な「自分が必要とされている状態」を求めているのだ。

 

 

承認欲求、これはなかなか厄介なものだ。

人の自分に対する扱いが他人と異なると、自分が低く扱われているのじゃないかと過剰に心配になる。自分だけ誘われないという事態が生じると、自分に魅力がないと思ってしまう。そういう「自分に魅力がない」「自分の存在が必要とされていない」という事態を避けるために、八方美人のように振舞ってしまうこともある。

そして、自分の面白さなどを知ってもらうために自分語りが激しくなり、反応を求めようとする。反応がないと不安になる。自分語り自体、あとで振り返った時に「周りから引かれてるのではないか」という不安にかられることもある。

人から何かに誘われると、その時には自分の存在意義・自分が必要とされているのかを確認でき非常に嬉しくなる。先日述べた通りだ。でも考え直した時、あの時本当に自分じゃなきゃダメだったのだろうか、その人は「相手になる人」なら誰でも良かったかもしれないんじゃないか、義務感から半ば嫌々誘ったんじゃないのか、などと思ってしまうこともある。「お前が必要なのだ」という確実な言葉がない限り、不安は絶えない。

このように、「自分が承認され必要とされている」という確証は曖昧なままだ。その結果、「自分は必要とされていないのではないか」「自分にここにいる意味はないのではなかろうか」などと思ってしまう。

そんなことはない、という確実な証拠が欲しい。それが承認欲求だ。

 

 

ところで、自分のあらゆる部分を無制限に承認してくれる存在としては「両親」というのも存在する。しかし親の場合、(少なくとも「いい親」については)その人が「息子」「娘」だから承認・必要とするものなのだ。必ずしも、その人の人間性を見て承認するに足る人間かを判断するわけではない。でも私は、自分の人間性を見て欲しいのだ。

すると、「友達」だって人間性を見て承認・必要の関係になっているんじゃないか、それでいいじゃないか、と思う人もいるだろう。ただ「友達」というのはその人にとって複数人存在するわけで、その人から「友達」と認定されている状態だとしても、その人にとって必要な人間が必ずしも自分である確証は持てない。それに前も述べたように「友達」というのは曖昧な概念であり、「告白と承諾」という確実なものを基とする「恋人」と比べ脆い関係性だ。加えて私は「社交的陰キャ」であり、多くの人と「知り合い」にはなれても極めて親しい「友達」を作ることが著しく苦手だ。

だから、自分の人間性をもって確実な形で自分を承認し必要としてくれる「恋人」がいいのだ。

 

 

ただまあ、必ずしも恋人である必要はないかもしれない。自分が必要とされていること、自分の存在が承認されていることが確実にわかればいい。誰かが「お前が必要なんだ」と言ってくれるだけでいい。実際、私はバイトを辞める際に「いなくなっちゃうのが残念」と言われたくらいで自分に自信を持ち直せる人間だ。委員会で「いてくれてよかった」と言われて非常に嬉しくなった人間だ。自分が必要とされている、それが確実にわかればいい。サークルの1人役職を割り振られる、それだけでもいい。

それでも、ある程度の寛容性をもって継続的に自分を承認・必要としてくれる(と私が理想として求めている)「恋人」という関係には及ばないかもしれない。

 

 

私は純粋な人間(と自負している人間)なので、恋愛的に好きでもない人と恋人関係になることは望まない。恋愛的に好きになった人と付き合いたい。それが、拗らせている私にとって困難なのはわかっている。

でも、欲しいのだ。自分の存在意義を再確認するために。