どこかの元T大生の思考

不定期です。旅行と考えることが好きな元T大生が、たまーに駄文を公開します。旅の記録を語る[旅]、何かに対する見解や主張をぶつける[論]、自分の生き方について思いを巡らせる[憂]、趣味などについて書き散らす[雑]の4つのカテゴリーで。

[論12]「県立男子校」という存在について

よく「男子校感ある」って言われるんだよなぁ。

 

※最初に断言しておくと、私は決して「環境において異性は邪魔である」とは思っていない。ただしこの文章はホモソーシャルに寄った内容を含んでいるため、不快に思われる方もいると自覚している。この文章はあくまでも個人の見解である。

 

 

 

本日、私の母校の高校で文化祭があった。名物の門を見て、高校時代の部活(というか同好会)に顔を出しお土産を渡してきた。

この私の母校は、県立の男子校である。すなわち私は「県立男子高校出身」「3年間だけ男子校に所属した人間」ということになる。

今回は、これについて所感を述べてみる。

 


都道府県立の男子高校。これ自体、今や非常に珍しい存在である。

名目上「共学」としつつ実質男女片方しか生徒のいない高校を除き、公立の別学高校は埼玉県・群馬県・栃木県しか存在しない。私はその中の埼玉県に在住しており、埼玉県立の男子高校に通っていた。

聞いた話によると、これにはGHQの影響があるとかないとか。日本の中等教育における共学化を南西方面から推し進めていたが、何らかの原因で東京・茨城を北限にストップし、それ以北の埼玉・群馬・栃木に関しては旧制中学以来の別学高校がそのまま残った、という噂である。ちなみに茨城県や東北の山形県には、名目上共学だが実質別学となっている高校が存在する。

そんな貴重とも言える環境で、私は育った。

 


東大に来ると、私以外にも別学出身は多数いた。しかしほとんどは私立である。そして6年間の別学が多くを占める。その中で私は時々、「3年間男子校は偽物」などと言われることもあった。

この言葉を使う人の品位や拗らせ度は置いといて、拗らせた私はそんなこともないのではないか、と思ってしまう。多分、国立・私立中高一貫男子校出身の東大生より、私の方が激しく拗らせている。

…というのも、我々は思春期の始まりに「公立中学校」という周りに女子のいる空間にいながら、そこから高校でも共学に行く選択肢もあったにもかかわらず、わざわざ「男子校」という選択肢を選んでいるのだ。公立中学校で女子に恐れをなしたままの人や、私のように公立中学校で女子に恋愛感情を一切抱かなかった人、そもそも思春期の学校での恋愛を求めなかった人とか、いるのではないだろうか。当然全員ではないけど。

加えて県立男子校の生徒、国立・私立中高一貫名門校と比べて、名門とされる塾・予備校に行っている人が少ない印象だ。そもそも私のように、塾・予備校に行っていない人だって一定層いる。塾や予備校は当然共学だから女子がいるし、名門なら桜蔭・雙葉・女子学院とか豊島岡あたりがいるのに、そういう環境にすら身を置かなかったのだ。すなわち、中高一貫男子校の男子と比べても、高校3年間の女子との接点が少ないのだ。私の場合、3年間で話した同学年の女子など、中学同期以外だととある全国大会の出場者くらいしかいない。せいぜい10人くらいか。

ちなみに、浪人すると予備校で女子との接点があるはずだ。私の高校同期でも、浪人時代に女子とよく話した人はいる。しかし私のように現役で合格すると、そのような「慣れる期間」「経過期間」すら存在しない。

そんな人が、突然同学年の女子のいる環境に晒されたらどうなるか。まず、接し方がわからない。何を話せばいいかわからない。緊張して話が飛ぶ。相手が何を求めているのかわからない。私の場合、サークル同期の女子から「最初は本当に何言ってるのか分からなかった」と言われ悲しくなったが、実際思い返すとそうだったかもしれない。そんで「恋愛感情」が分からないため恋愛をできない。

だから、私のような「県立男子高校、塾なし、現役」というのが一番女性のいる環境に適応できず、激しく拗らせてしまうのだと思う。そんで、非リアのまま社会に出て一生独身となりかねない。恐ろしい。

 


そんな県立男子高校、現在淘汰の波がないこともない。群馬県や栃木県では、歴史のある男子高校が近隣の女子高校と統合して共学化した例もある。県立男子校は淘汰されるべきなのだろうか。

「男子校」という存在は、ジェンダー論的に問題となりかねない側面を持っている。これは、単にLGBTを切り捨てて「男子」「女子」という二つの区分に押し付けるだけではない。

男子校に与えられる優れた教育と同等の教育が、その男子校と対になって存在する女子校において十分に提供されない可能性があるのだ。これについては、東大のジェンダー論の教授も、私の母校の名を挙げてたしかに述べていた。私の母校では東大合格者を毎年出しているが、同じ地域にある県立女子高校ではその5分の1、悪い時では10分の1程度しか出していない。これを「ジェンダーによる教育格差」として問題と捉えることもできるのである。

これは私立とは事情が違う。私立別学は「教育資金に余裕のある家庭に育った優秀な子供が、豊富な選択肢の1つとして選ぶもの」に過ぎないが、公立別学はもはや「家庭の資金が必ずしも潤沢でない優秀な子供が、ほぼ唯一の選択肢として選ぶもの」だからだ。東大レベルを目指す子供にとって、選択肢がもはや「別学」しか与えられない。選択の自由の侵害ともなり得る。埼玉県の場合は共学進学校も存在するが、普通科においてはレベルは私の母校に及ばない。群馬県・栃木県に関しては名門はことごとく別学だ。

こう考えてみると、県立進学校が別学ばかりの環境、良いことがないのかもしれない。共学化の波にのまれてしまうのか。ある程度はしょうがないかもしれない。

 


ただ、共学化を拒む理由として「校風を維持したい」というのはすごくわかる。私だって母校が共学化して欲しくはない。

男子校で過ごした3年間は、確実に充実していたものだった。周りに同年代の女子がいないため、良く言えば自分のありのままをさらけ出すことができる。ファッションとか全然気にせず、上裸でも許容される。面倒な関係がないため、スクールカーストは存在しない。わけわからないことで、わけわからないくらいに盛り上がれる。先生もOBが結構いてノリがいい。校則が非常にゆるく、夜遅くまで学校にいて作業したり駄弁ってたりすることも。進学校なのに、センター直前のラグビー大会は全クラスが力を入れ盛り上がる。部活は3年の夏までできる。臨海学校とか強歩大会とか、おかしいような行事がたくさん。私は、そんな「男子校」の母校が大好きだ。

後輩たちにはずっと、男子しかいない異常な環境の中ではっちゃける、あの楽しさを味わってほしい。男子校じゃなきゃできない特殊な体育祭や臨海学校に文化祭のフォークダンス、続いてほしい。その考えが、老害の考えであることはわかっているけど。

 

 

公立別学、この先どうなるのか。楽しみでもある。

そんなことを考えながら、文化祭を後にした。