どこかの元T大生の思考

不定期です。旅行と考えることが好きな元T大生が、たまーに駄文を公開します。旅の記録を語る[旅]、何かに対する見解や主張をぶつける[論]、自分の生き方について思いを巡らせる[憂]、趣味などについて書き散らす[雑]の4つのカテゴリーで。

[論14]小さい頃の「親の影響」というもの

子供、無意識のうちに親に左右されているもの。

 

 

 

進学選択第二段階が終わり、私の内定した文学部社会学専修でもLINEグループが作られた。文学部と教養学部シラバスが公開され、次の2Aセメスターの時間割も組み始めている。

私は今、進学選択によって「完全に自分の判断で」進路を決め、それが現実になっているんだと肌で感じつつある。

 


「完全に自分の判断で」。というのも、この「文学部」という選択肢に関しては、親の影響を排除して決めたんだと感じているからだ。

私の父親は、都内の会社でシステムエンジニアをやっている。バリバリの情報工学系だ。まあ大学はなぜか水産学部だけど。また私の母親も、かつては父親と同じ会社で働いていたため、情報系の人間だ。大学では経済学をやっていたらしく、簿記の資格も持っている。すなわち私の両親は、どちらかというと理系よりなのだ(まあこの「理系」ってくくりあんま使いたくないけど)。ちなみに弟は高等専門学校情報工学を学んでいるし、妹も「理系だろう」とは言われている。

対して私はどうだろう。社会学といえば、確実に世間的にいう「文系」である。というかそもそも前期課程の科類が「文科一類」だし。そして文一から本来進むはずの法学部だって、親の進路とはほぼ関わりがない。加えて私は公務員を目指しているが、親は公務員とはかけ離れている。なんなら親は私が宇宙科学系(JAXAかな?)に進むのを望んでおり、小さい頃から宇宙に関する図鑑をよく与えていたのに、私はそれとは全く違う進路を選んだ。

そう、私の進路は、わかりやすい形での「親の影響」を受けていないのだ。私が逆張りオタクなのかもな。実はこれ、結構珍しいのではないかと思う。

 


高校以来、周りを見ていると親の影響で進路を決めている人はよく見る。例えば高校同期では親が歯医者だから歯学部に進んだ人もいるし、大学のサークルには親が航空機の整備士で航空宇宙工学科を目指している人もいる。両親がどちらも言語学出身で、自身も言語学に進もうとしている人もいた。それに両親がどちらもそれに医者の息子が医学部に進み、政治家の息子が法学部に進むのは想像がつきやすい。親と同じような姿を目指すか、親に言われた通りに進路を決めるか、だいたいそうであろう。…まあ将来なんて子供のうちはよくわからないし、一番身近にある「親」を頼りにするのはよくわかる。身近な親が何をやっているか興味を持ち、そのまま関連分野が「学ぶのが好きなこと」になり、進路を決める際の参考となる。

なんなら私だって、高校時代まではひたすら親に左右されてきた。小学校時代には作文で「料理人になりたい」「建築家になりたい」などと言っていたこともあるが、これは当時の親の要望通りである。頼りにするものもないから、親の言われるままに「こうなりたい」と言っていた。高校を選ぶとき理数科も選択肢として真面目に考えていたが、これは親からの「理系にするよね?」という無言の圧力のせいだと勝手に思っている。結局文系を選んだが、文一だって親から「文系にするなら文一を目指すのがいいんじゃない?」とか高1の頃から言われていたのが、少なからず影響しているんだと思う。

小さい子供って無知で素直で、親のあり方をそのまま受け止めてしまう。だから親の姿は自分が追うものとして捉える。親のやってることに興味を持ち、親に言われた進路に進みたいと思ってしまう。結果、親の望むような子供に育つ。

 


そんなだから、私は親の意向に反して進路を決めた際に「親不孝だったんじゃないか」と考えたこともあった。親だってプライドとかあるし、子供には自分の意向に沿って育ってほしいはずだ。これまで育ててくれた親には感謝しているし、まあ親の意向に添えた方が良かったのかもしれない。

でもまあ、私の場合はそんなことはなかったんだろう。何が幸いだったかって、親が自分の進路に全くケチをつけなかったのである。東大の知り合いでも、親に後期課程の進学希望や実際の内定先を伝えたら渋い顔をされた、という例は聞いたことがある。これこそまさに親の影響がもろに出ている例だが、うちの場合はそんなことはなかった。むしろ親の方が、親の影響を受けない自分の選択を尊重してくれた気がする。ここに関しても、いい意味で「放任」で影響を与えすぎなかった私のの親には感謝したい。

親の意向に反することは、親不孝とも限らないかもしれない。それにはまあ、ある程度寛容な親であることが必要だが。

 


などと言っている私であるが、趣味などに関しては確実に親の影響を受けている。

私が「趣味」「好き」と自信を持って言えるものといえば、「旅」「地図や路線図を眺めること」「高速道路」「鉄道」などである。これは小中学生の時代、夏休みなどに家族旅行で遠出したことが影響しているし、親が私の小さいうちから日本地図や路線図、鉄道に関する書籍などをふんだんにくれたことが影響する。母親自身、鉄道をある程度好きだったようだし、現在でもダムカードを集めるなどお出かけ好きの印象がある。小さいうちからそういう情報に多く触れていた結果、3歳の時点で東急田園都市線の全駅を覚えるくらいだったというし、漢字は高速道路の標識の「練馬」「八王子」などから覚えたという。現在でも日本のほとんどの都市の位置が分かるし、全国の路線図は頭の中に入っている。これに関しては、確実に親の影響だ。

また、私はこの春から山歩きを始めた。そこで親に登山ザックを買う旨を伝えたところ、父親のザックが出てきて使わせてくれた。聞いたところ、父親も大学時代にトレッキングのサークルに所属していたらしい。これに関しては完全に無意識だったが、「トレッキング好き」が小中学生時代の「キャンプ」を通して親から子に伝わっていたのかもしれない。

あと、先ほど親が私に宇宙科学系に進むことを望んでいたと言ったが、宇宙科学・地学系は実際関心は深い。理科の中では一番好きだ。加えて宇宙科学・地学系以外でも、親がくれた図鑑に書いてある情報には結構詳しくなった。これも当然親の影響だろう。

ちなみに私の学問的な興味として「地方創生」「交通政策」などというものがあり、社会学の観点含めそれについて学びたいと思っている。大学卒業後の進路も、そのようなものを扱うことに興味がある。これに関しても、確実に地理・鉄道好きが影響しているはずだ。…先ほど自分の進路は「親の影響を排除した」と言ったが、どうやら実は完全に排除はできていなかったようだ。

趣味は進路と違い、「自分で選ぶ」というよりは「気づいたら好きになっている」ものだ。それに関しては、いくら逆張りを張ったって、親の影響は排除できない。今では記憶のないような、2歳とか3歳の時からだ。そして趣味が進路に結びつく場合もあるから、その際は進路に少なからず親の影響が入っていることになる。

 

 

進路とか趣味だけじゃない、なんなら子供の学力自体親の影響をもろに受ける。

「君たちが合格したのは、実力ではない。父親の経済力と、母親の狂気だ。」というキャッチコピーがある。これは子供の教育において、親の影響が非常に大きいことを直球で言っている。

まさにその通りだ。そもそも親にある程度の金がなきゃ、塾や有名私立に通って良質な教育を受けることができない。そもそも親が教育に関心がなきゃ、そんなところ行こうとすら思わないし、存在すら知らないかもしれない。じゃあ親の金はどこから来るかというと、大抵は高学歴ゆえの高収入の職場からだろう。親の関心はどこから来るのかというと、大抵は「自分が教育を受けていた」という事実からだろう。経済格差による教育格差と、教育格差による経済格差、教育格差による教育格差。

あと、家庭教師をやっていて気づいた、さらに残酷な事実がある。それは、「いくら親にやる気があったって、小さい頃に適切な形で教育できてなきゃ大成しない」というものだ。家庭教師を頼むくらいだから親に金とやる気があることは確かだが、子供が「暗記ができない」「勉強の習慣がない」「そもそも勉強に興味がない」という欠点を抱えていることがある。これは単なる私の力不足もあるが、それでも大学生の家庭教師がすぐにどうにかできる問題ではない。

じゃあこれはどうしたら克服できるかといったら、「小さい頃から適切な教育を与える」しかないだろう。

例えば、東大合格者の多くは国立・私立中高一貫校出身で、残念ながら小学生の時点で差がついているのである。小学生のうちなんて、子供が自発的に「この中学に行きたいから勉強する!」ってなるよりか、親から国立・私立中学の選択肢を提示するから「じゃあここ目指すか」ってなるのだろう。私なんか中高一貫校の選択肢はそもそも提示すらされず、公立中学に行くのが当然という感じであった。ここで親の影響は大きい。まあ私はそれで良かったけど。

ただ私が恵まれていた点として、「公立の中学校・高校で上を目指せるくらい、勉強に対する興味が持てた」というものがある。小学生のうちから親の影響で図鑑などに触れており、勉強の習慣もある程度あり、中学の試験勉強にもそれほど抵抗を感じずに適応できた。これも当然、小さい頃の親の影響である。

名門私立中高一貫校出身がマジョリティを占める、世間的に見たら「異様」ともいえる空間にいる東大生。たぶん気づいていないだろうけど、多くの人は親に恵まれている。親ガチャの影響は大きい。

 

 

どんどん話が広がってきたが、こうやって考えてみると、子供が育つにあたって小さい頃の親の育て方は非常に大事なんだなーと感じられる。

小さいうちに触れてきたことは、成長する過程でも関心を失わず、大きくなってからも立派な趣味として完成するかもしれない。小さい頃から図鑑とか与えられていたら、物知りになれるかもしれない。逆にそこで学問とか知識に全然触れないと、学問の面白さに気づかぬまま育ってしまい、勉強も身に付かなくなるかもしれない。東大生の頭がいいのは、小さい頃から知識に触れてきたおかげで「勉強」を苦痛と考えず、学んだことがすぐに頭の中に入ってくるからなのではないか。

小さい頃の育て方って、大事だ。

 

 

私も万が一結婚して子供ができるとしたら、小さい頃の育て方は大事にしたいものだ。それが意識する形であれ無意識であれ、子供のその後の育ち方に少なからず影響するのだから。ただ一方で自身が放任により救われた身だから、子供に押し付けすぎることはしたくない。親の経済力にあまりにも依存しすぎるのも、また渋い。

子供には、適切な範囲で「親の影響」を受けてほしいものだ。

 

 

そして私の「東京大学文学部人文学科社会学専修」という進路、実際は親の影響がとても大きかった。全然、影響の排除なんてできなかったんだ。

まあそれでいい、結局私は親の影響を受けた教育によって、親の影響を受けた趣味に従って、それでも最後は自分の力で決めて、ここまで来たのだから。自信を持って進む。