「いい人」で何が悪い?
手前味噌っぽいが、私は人から「いい人」と呼ばれることが多くある。それは自分でも認める。
この「いい人」というのは、まじめに授業を受け、人の要望を基本的に聞き入れ、仕事を回収し、滅多に怒らず人を対等に扱い、人を嫌ったり存在を否定したりすることなく、それ故に誰かからひどく嫌われることもなく、法を遵守しズルをせず、平和志向で、自分にも他人にも素直である。…自分で書いていて恥ずかしくなったが、こんなところだろうか。
こう考えてみると、「いい人」というのはある意味、「他人にとって操りやすい人」「パシリとかしやすい人」とも捉えられる。
たしかに私は優柔不断で周りに流されやすく、断ることが少ないため多方面で仕事を引き受けキャパり、「嫌われる恐怖」から人に怒ったり意見を明確に主張したりするのが苦手で、他人にとっちゃ操りやすい人間だ。人の尻に敷かれるのも目に見える。
それに「いい人」は損をすることがある。
例えば東大法学部には「シケタイ制度」があり、講義に出ていない不真面目(?)な人でも書き起こしによって勉強できる。「いい人」は授業に出ている分、ある意味「不真面目な学生のために尽力せねばならない」というディスアドバンテージを背負いうる。
人ってのは、特定層に激しく嫌われる存在ほど、別の特定層に激しく好かれやすい。つまり「いい人」は険悪な人間関係を築けないため、特定層に激しく好かれることも少なく、ゆえにとても親しい友人はできづらい。
断れないため、どんどん仕事を引き受けてしまう。そして自分の生活が圧迫される。キャパって精神的余裕がなくなり、病みそうにもなる。
法を遵守するから未成年飲酒しないが、そうすると飲み会や打ち上げで周りに合わせるのが難しい。というか、酒をメインとする飲み会が楽しみづらい。そのくせして、酒を飲んでいる人と同額を払わなきゃいけない。
詐欺の対象となりやすい。素直すぎて人をつい信頼してしまい、騙されることも少なくない。
だが、私はそれでも「いい人」であり続ける。
出なくてもいい講義にまじめに出続けるのは、後々自分のためになる。例えそれが単位にならなくても、自身の教養として間違いなく帰ってくる。講義の書き起こしを読むより講義自体を聞いた方が、理解は深まる。真面目は裏切らない。
役職や仕事を割り振ってくれるのは、それだけ自分が必要とされていること、信頼されていることの裏返し。承認欲求の強い自分としては、それにはなるべく答えたく感じる。
親しい人はできづらいけど、私はそれより誰かから激しく嫌われることの方が嫌だ。関わる人間すべてと良好な関係を維持したい。だって、将来その人とどこかでまた関わる機会もあるかもだし。
未成年飲酒しなくて損をするけど、「未成年飲酒は絶対しない」という固いモットーとプライドがある。成人した後、「未成年飲酒っていう違法行為をしなかった」と堂々と言うことができる。その場の損得より、長期的に見た「自分の生き様の正しさ」「あとで振り返った時に自信を持てる生き方」を重視したい。
詐欺だけは、まあどうにかしなきゃいけないな。人を疑うことを意識せねば。
人に操られ、損をすることも多い「いい人」。でも、それでいい。なんならまだ、真の「いい人」になるには足りない部分だって多くある。さらなる「いい人」を目指したっていい。
あえて敵を作ったり、ズルをしたり、素直じゃなかったりする必要はない。ありのまま、自分がそうありたい形の「いい人」で。
これからも私は、「いい人」であり続けたい。
「夏休みに毎日1記事ずつ書く」という目標で始めたこのブログ、ここでその役割も終了だ。少しずれることも多かったとはいえ、なんとか1日1記事相当のペースで書くことができた。
私が生きていて深く考えたこと、私の旅の記録、そして夏休みの過ごし方と解説(?)をつらつらと述べてきた。全部で62記事。ある時は本当に深く考え1記事に4時間くらい、ある時は本当に適当に1記事30分くらい。そんな感じで、あてもなく文章を書き続けてきた。あまり脈絡のない、稚拙な文章だった。
「夏休みがこのままでは有意義に過ごせないかもしれない」、そんなことを考えてブログを書こうと思った。実際はそんなことはなかった。今年の夏休みはとても有意義で、楽しかった。私は後悔していない。唯一反省点としては、物事の優先順位を間違えた(ブログを仕事より優先した)ことくらいだろうか……。
そして、こんな形で文章を書いてよかった。間違いなく自分の思考の整理がついたし、後々自分自身を振り返る良い資料になったと思う。
そんな文章、意外と読まれているようで嬉しい。私の周りの友人たちも結構読んでいるらしく、「この文章好き」と言ってくれる人もいる。嬉しい。こんな稚拙な文章をこれまで読んでくれたことに、そして私に考えをぶつけたりもしてくれたことに、ここで感謝する。
夏休みは終わった。2Aセメスター、後期課程の授業が始まる。私はさらに前進する。