どこかの元T大生の思考

不定期です。旅行と考えることが好きな元T大生が、たまーに駄文を公開します。旅の記録を語る[旅]、何かに対する見解や主張をぶつける[論]、自分の生き方について思いを巡らせる[憂]、趣味などについて書き散らす[雑]の4つのカテゴリーで。

[論19]「リーダー」のあり方

有事の時、どう対応してどうまとめるかって大変よね。

 

 

「リーダー」の素質が試されている

 

COVID-19の流行に伴い、あらゆるレベルにおいて「想定外」が生じ、そしてそれに対する対応がなされている。一国の政治経済に関わるレベルの「緊急事態宣言」から、大学の一サークルの「新歓日程全変更」まで。

 

そういう対応を最終的に統括・決定するのは、どのレベルであっても「リーダー」であろう。団体・集団としての活動はもちろん「リーダー」だし、個人の活動だって自分が自分の「リーダー」である。

リーダーすなわち主導者は、このような未曾有の有事の際でも、適切な対応を導かねばならない。当然リーダーの下につくそれぞれの人員だって大切だが、それを律して最終決定するのはリーダーだ。

「未経験だから対応がわからない」ったって、そんなのみんな一緒である。そして、何があったって批判や称賛の矢面はリーダーだ。

 

だからこそ、リーダーの素質が今、とても試されているような気がする。

こういう有事を切り抜けてこそ、真の有能なリーダーが明らかになるだろう。

 

 

国レベルの「リーダー」は

 

日本の「国」としての対応を統括するのは、内閣総理大臣であろう。

果たして今の安倍総理は、こういう有事にしっかりと対応できる有能なリーダーなのだろうか。

……とはいっても、ここで自身の政治的立場を述べるつもりはない。ここでは、総理に向けられた批判がなぜ生じているのか、そこからリーダーには何が求められるのか・どんなリーダーが有能なのかを、軽く整理してみたいと思う。

 

4月7日、7都府県に緊急事態宣言が発令された。これに対する批判に「遅すぎる」というものがあるだろう。私自身が遅いと考えているかどうかは置いといて、ここでは「迅速な対応」が求められていたようだ。

緊急事態宣言の下では、「自粛」の「要請」がなされている。これに対する批判の一つは「そんなお気持ちだけじゃ動けない」というものだろう。それ自身の是非は問わず、「明確な指示」というのが求められていそうだ。

自粛要請の中、星野源の歌に合わせて総理がくつろぐ動画が出され、波紋を呼んだ。これに対する批判を言語化すると「お前はこんな時に休むべき立場じゃねえ」というものだ。「仕事している感」は確実に求められている。

 

様々な業種で休業が相次ぎ、生活が苦しくなっている人も多い。これに対して政府は、最初「休業補償」を出し渋った。これに対する批判は「政府は弱者のことをわかっていない」だろう。ここでは「自分と違う状況の人間の存在把握・配慮」が求められていそうだ。

実は、様々な形で公的な助成金が存在する。これに対して「わかりづらい」という批判が起きるのも理解できる。ここでは「わかりやすい形の情報開示」「手続きの円滑化」が求められているのではなかろうか。

結局、公明党の要請もあり、国民に10万円ずつ給付されることが決まった。これに対する批判に「なぜこれまで拒んできたのか」というのもありそうだ。ここでは実は「過去の過ちの訂正と対処」が必要だったのかもしれない。

ところで最近、広島県知事が県職員の分の10万円を回収し対策に充当する、という発言をして激しい批判を浴びた。ここでは、一般化した表現で「組織構成員の自由の保障」が必要だった、とも言えそうだ。

 

現金給付だけでなく、マスクの給付も始まっている。これが決まった時の批判は様々だったが、比較的真っ当なものとして「もっといい金の使い方があっただろう」というものがある。ここでは「もっと良い策の検討」が求められていると考えることもできそうだ。

そもそも、この政策の真意がわかりづらい。これも批判の的だ。「対応の理由の開示」が求められている、と考えられよう。

 

もっと前に遡る。2月末には、公立小中学校の休校要請が突如出された。これに対する批判は「休校中に親はどうすればいいのか」というのもあった。ここでは「ある対応が実施された際の副作用の把握」が求められる、と一般化できるかもしれない。

総理が半ば独断で決めていたのでは、という疑念や批判もあるだろう。ここでは「周りを巻き込んだ十分な議論」が求められている。

加えて、学校関係者には一切事前の連絡がなかったという。これに対する批判は「突然すぎる」である。ここでは「現場の把握と根回し」が求められている、といえよう。

 

さて、そんな中で総理夫人が宇佐八幡に団体で参拝していた、という事実が判明した。総理はこれを「三密じゃないから大丈夫」といった感じで擁護した。これに対する批判に「身内だからって擁護するな」というものがある。「贔屓しないこと」が、そもそも求められている。

 

そしてここまで述べなかったが、非常に大事だと思うことに「あからさまにメンブレしないこと」「構成員を信頼すること」というものがある。安倍総理があからさまにメンブレなんかしていたら、国民は総理の言うことなど一切聞かなくなるかもしれない。安倍総理が国民を信頼していなかったら、「自粛要請」なんてできていない。

 

以上に述べた「迅速な対応」「明確な指示」「仕事している感」「自分と違う状況の人間の存在把握・配慮」「わかりやすい形の情報開示」「手続きの円滑化」「過去の過ちの訂正と対処」「組織構成員の自由の保障」「もっと良い策の検討」「対応の理由の開示」「ある対応が実施された際の副作用の把握」「周りを巻き込んだ十分な議論」「現場の把握と根回し」「贔屓しないこと」「あからさまにメンブレしないこと」「構成員を信頼すること」こそが、とりわけ有事の際にリーダーに求められるもの、と言えるかもしれない。

 

 

サークルレベルの「リーダー」は

 

上で述べた要素は、国レベルでなく大学のサークルレベルのリーダーでも大事だろう。どっちも、「リーダーのいる組織」というのは変わらないから。

国の組織よりもっと私にとって身近な、「私の所属団体におけるリーダー」で考えてみたい。

 

現実の私を知っている人なら周知の事実だろうが、私は大学で複数の団体に所属している。団体それぞれの内側でも、官僚制組織の中で小集団の統括が存在し、ゆえに私は多くの「リーダー」を見ていると自負している。自身も小集団の統括を2つ務めている。

その中で見た例と、先ほど述べた要素を照らし合わせてみたい。批判および自省を交えつつ。

(この記事を読まれた「リーダー」の方々へ、自身のことが書いてあっても私のことは恨まないでください。)

 

「迅速な対応」、これはリーダーによって結構異なる。ある団体では合宿の中止を迅速に決めていたが、こういう重大な事項を迅速に決められるのは有能な証拠であろう(何様だよって感じだが)。

「明確な指示」、これはリーダーによる差が顕著だ。3月末に東大当局より課外活動の自粛が要請されたが、それに対して一部のリーダーは即座に活動全面停止を指示したが、一部のリーダーはなかなか指示を出さなかった。なかなか指示が出されないと、自分に割り与えられた本来の仕事を続けるべきかわからないし、自分が新たに何をすべきかわからなくて困る。

「仕事している感」、これに関しては自省する面が大きい。私は自身が統括する小集団の1つでは構成員に指示を出しているが、「指示しているだけに見えて構成員のやる気を削いでいないか」というのが心配なほど、「仕事感」を出すのに失敗している。ただ一方で、いつもから仕事を抱えすぎなゆえに「仕事している感」は何もしなくても感じられる、という信頼のおけるリーダーも存在する。

 

「自分と違う状況の人間の存在把握・配慮」、これは特に私が苦労しているところだ。というのも私が統括する小集団の中で「忙しい」構成員がいて、仕事の割り振りやケアの仕方などを工夫する必要があるからだ。現状それをあまりしっかりできている気がしないから、頑張りたい。これは、リーダーが「自身と価値観が違う構成員にどう対応するか」という面で試されているといえよう。

「わかりやすい形の情報開示」、リーダーによって結構異なる。例えば各大学当局からの課外活動停止指示状況とそれへの対応、これだけでもわかりやすく構成員に伝えられている組織と、ほとんど構成員に伝えられていない組織がある。情報の共有は大事だ。

「手続きの円滑化」、言い換えると「業務進行にかかる面倒ごとの単純化」、これに関しては大学サークルレベルでは特に問題にならなそう。リーダーが連絡ツールの活用を推し進めている例もあり、この面で有能さを発揮しているリーダーもよく見る。

「過去の過ちの訂正と対処」、これは見ている限りだと結構できていそう。サークルの代表が頑固だと困るから、過ちを認められるのは非常に助かる。

「組織構成員の自由の保障」、これに関しては「自由さ」を売りにする団体がほとんどゆえにほぼ達成されていて、ありがたいことに仕事を強制して自由を奪うワンマンリーダーはいない。これが現れたら、サークルは一気に地獄と化すだろう。……あ、中学の部活の部長はワンマンだったな。

 

「もっと良い策の検討」、これはリーダーによりできるかどうか異なりそうだ。というか、私自身がしっかりとできているか怪しい。ただこれの厄介な点として、「もっといい策があるかどうかは基本的にすぐにはわからない」というものがある。

「対応の理由の開示」、これに関しては1つの団体のリーダーが「ある企画を中止する理由」をしっかり明文化して記していて、非常に好感度・信頼度が上がった記憶がある。やはり、情報の共有は大事だ。

 

「ある対応が実施された際の副作用の把握」、把握自体はできていてもむしろそれを関係組織に伝えられるか、この点ではリーダーによりできるか異なっている気がする。場当たり的な対応で済ませ、その弊害を理解しないと後々苦しむ筈だ。

「周りを巻き込んだ十分な議論」、これはリーダーの余裕と構成員に対する信頼度により、リーダーによってできるかどうか異なる気がする。私自身が「自身で迅速に決定する」を重視する犠牲として疎かにしがちであり、小集団の統括として反省すべき点である。迅速さと十分な議論がどちらもできてこそ、優秀だろう。自戒。

「現場の把握と根回し」、これはリーダーに「把握する気があるか」にもよりそう。あまり把握していなそうなリーダーもいて、正直信頼がそれほど置けない。

 

「贔屓しないこと」、これは今所属する団体のリーダーは基本的にできている気がする。さすが、優秀な構成員の集まる東大生の集団でリーダーをするだけある。……そういや、中学の部活の部長はこれもできていなかったな。

 

「あからさまにメンブレしないこと」、これはできていないリーダーがいた。勝手に抱え込みすぎた結果、些細な不測の事態が引き金となってひどく病み、コロナで予定が狂ってさらに病む。こういう時に他の構成員がリーダー代理をできればいいのだが、いかんせんリーダーが抱え込みすぎてブラックボックス状態なので、リーダーが復帰しないことには何もできない。辛いのはそうだろうけど、こういうときこそリーダーが元気じゃなくちゃ。

「構成員を信頼すること」、これも同様だ。構成員を信頼しなくなり、結果として仕事を回すのを渋って抱え込む量を増やし、構成員も自身が信頼されていないことを自覚し微妙な気持ちになる。リーダーには、これはあってはならない。……とはいっても、私も小集団の中でほぼ信頼していない構成員がいるので、特大ブーメランになってしまうが。信頼とはいかなくても、せめて仕事を回すくらいはしたいものだ。

 

こう見てみると、国家レベルのリーダーに求められているものはサークルレベルでも大事だし、逆も然りだというのが分かってくる。規模が大きくても小さくても、結局主導者は同じ素質が必要なのだろう。

そして、すべてを達成できているリーダーは(当然自分含め)あまりいなそう。でも、今あげた16個を意識すれば、自分だってある程度良いリーダーになれるかもしれない。

「人の振り見て我が振り直せ」ではないが、総理や知事など「リーダー」を批判するなら、自分や自分の周囲の「リーダー」の言動に落とし込んで考察を加えて、その上で言動の変化につなげてみると面白いのかもしれない。

 

結局この記事で何が言いたいのか自分でもわからなくなってきたが、「今の非常事態にこういうことができるリーダーこそ有能じゃね?」ということを言いたかった、ということにしよう。折角なら、自分もそんなリーダーを目指すか。