どこかのT大生の思考

不定期です。旅行と考えることが好きなT大生が、たまーに駄文を公開します。自身の生に関する思いを述べる「自省」、旅の思い出を記す「旅記」、社会に対して言いたいことを唱える「主張」、人間関係の悩みを書き散らす「拗人」、その他自分の姿や趣味などを自由に語る「特筆」の5つ。

[自省9]「器用貧乏」の思考

もっとうまい生き方を、したかった。

 

 

「欲張り」の頭の中

 

私は、とてつもなく欲張りだ。

 

勉強したい。社会学の勉強をしたい。社会学以外の勉強もしたい。週20コマとって、いろいろな分野を学びたい。本を読んで知識を深めたい。資格や検定試験の勉強をしたい。数学の勉強もしたい。プログラミングの勉強もしたい。あわよくば、世界の全てを理解したい。

自分の頭の中を整理したい。ツイートしたい。Twitterのタイムラインを見て考えたい。ブログに文章を起こしたい。友人と議論したい。

趣味をエンジョイしたい。いろいろなところを旅して自分の知っている世界を広げたい。地図を眺めて楽しみたい。DIYをしたい。アニメとマンガをひたすら見ていたい。中学生の時に中断していた架空鉄道の完成もしたい……。

お金が欲しい。お金が欲しい。お金が欲しい。お金を自分のために使いたい。

人望が欲しい。人の信頼を得たい。友達が欲しい。恋人が欲しい。

自己肯定感が欲しい。満足感が欲しい。何時も「無駄な時間を過ごした」と思いたくない。虚無感を味わいたくない。

 

だが、残念なことに時間は有限だ。若さはすぐに失われていく。

それに私はロングスリーパーで、睡眠時間が少ないと気力が出ない。できれば省エネしたい。無駄を省きたい。

どうすればいいのだろうか。

 

ここで、「確実に生産性のあるもの」「今しかできないもの」「少ないエネルギーでできるもの」だけをやるようになる。すなわち、効果が自分に「確実に」返ってくるもの、「東大にいることで」できること、「ながらで」できるもの。

 

例えやりたいことであっても、その3つに当てはまなければ後回し。

だからいつの日も、欲望が尽きることはないし、本気で「暇」と思うこともない。

 

それは全部、自分のため。自己満足のため。自分で自分を喜ばすため。

 

 

なぜ〇〇をやらないのか

 

私は、サブカルチャーに対する抵抗など全くないのに、デジタルゲームをほとんどやらないことで知られる。アナログのゲームやパズルについても、人と一緒にやる時を除いてはほとんどやらない。

なぜか。それは「時間が無限に溶けるくせに、何らかの現実的な成果が出る保証がない」からだ。決してゲームの意義を否定するわけではない。だが、他にやりたいことがある場合、そんなゲームやパズルは置き去りにする。

 

私は、食べるのが大好きなくせに、料理が好きでない。

なぜか。それは「かかる労力の割に、得られる効果が一時的だ」からだ。決して料理が不要と主張するわけではない。だが、他にやりたいことがある場合、料理はできあいのもので十分だ。

 

私は、アニメは結構見るくせに、ドラマや映画はほとんど見ない。スポーツも見ない。アイドルにハマりもしない。そういう知識が常人と比べてはるかに劣っていて、いわば社不適なのだが、あまり直そうとはしない。

なぜか。それは「少し手を出したところで常人の知識に追いつけるわけではないし、万が一ハマっちゃうと時間が奪われる」からだ。芸能人を見ることは眼福だし、スポーツも見ていて興奮する。だが、他にやりたいことがある場合、それの意味は小さい。

 

私は、語学は嫌いではないのに、大学で勉強した語学を真剣に復習しない。

なぜか。それは「後でやってもいいと考える」からだ。実際には復習は早いほうがいい。だが、他にやりたいことがある場合、それどころではない。

 

私は、社会問題に対する関心はあるのに、今社会貢献をするやる気はない。

なぜか。それは「大学を出て社会経験を積んだ後の方が効果があると考える」「自分に直接利益が来づらい」からだ。貴重な大学4年間、もっと別のことに使おうと思う。そして私は「自分の利益になる」ことしかやりたくなく、基本的に「相手からの信頼を得る」「自分の充足感を満たす」以外の目的で人助けするのはやる気が出ない。

 

結局、「世界のすべてを知る」ことは叶わない。

 

 

「器用」ゆえになんとか生きてきた

 

この「欲張りと効率主義」は、大学に入ってから特に激しくなった。というのも、自分に残された自由な時間が残り少ない、と実感してしまったからだ。

高校時代まではまだ、ゆとりを持って生きていた。だが、大学に入った2年前からは、そうはいかなかった。

 

結果、私は「キャパお化け」になった。単位が必要ない時でも10コマ以上の授業をとり、最大6つのサークル・団体に所属して活動に参加し、10種類を超えるアルバイトをして年90万以上を稼ぎ、旅もして全国各地を巡ることも怠らず、資格・検定試験の勉強も行い、大学のプログラムにも参加しようとする。

 

そして「マルチタスクの鬼」になった。授業中に作業するのは「授業を聞くつもりがないから」ではなく「時間がもったいないから」。労働をしながら、余った時間で課題のための読書。リモートの現在は、パソコンには常に2画面か3画面が表示されて、某活セミナーやアニメを流す傍らで課題や作業を進める。

 

実は小学校時代から鍛えられていた「キャパ増強」「マルチタスク」の能力を生かして、こんな中でもなんとか生きてきた。大学の成績は良い方。資格・検定試験も基本的に合格。

 

幸い私は要領がとても良く、「器用」だった。

 

 

「貧乏」ゆえに虚しくなる

 

だが、これで失ったもの、得られなかったものが3つある。それは「ひとつのことを突き詰める根気」「深く考える思考」「親密な人間関係」だ。

 

「欲張り」の裏には「飽きっぽい」がある。私は結構飽きっぽい。というか、常に刺激がないとやっていけない。だからこそ、ひとつの分野だけでは物足りなく、あらゆる分野に手を出そうとする。

だから、ひとつのことを突き詰める根気を、失ってしまった。結果として、「これなら誰にも負けない!」というのが存在しなくなった。まあ「路線図」「日本の市」なら結構な自信があるが、これは幼稚園時代からの長い積み重ねの成果だ。大学に入ってから新たに「これなら誰にも負けない!」となったものは存在しない。

 

悩みまくる時間は、時に無駄になる。他のことをやるために、できるだけ少ない時間でことを済ませようとする。

だから、深く考える思考を、失ってしまった。「なんとかなるだろう」で済ませて、後で「もう少し考えておけば……」「もう少し余裕があれば……」と思ったことは数多く。自分の浅はかな思考による、公開すべき言動の数々。後悔しても、何も生まれない。

 

そして、親密な人間関係を、得られなくなった。

 

残念なことに私は中途半端で、「貧乏」だった。

 

 

人間関係の器用貧乏

 

人は、完全な利己主義で動いているわけではない。

ゲーム理論的には、繰り返し囚人のジレンマ・ゲームにおいては「裏切られるまでは協力」がナッシュ均衡だ。心理学的には、オキシトシンの分泌が利他行動に関与すると言われる。

人が他人に協力するのは、合理的かつ生物上の宿命のようなものだ。他人への最低限の協力は、するのが当然であり、せざるを得ない。

 

だが、それ以上の度を越した協力や配慮は時々、自分の時間を無駄にするだけで終わる。相手が自分に魅力を感じなければ、相手が自分を必要と感じなければ、どう頑張ってもそこに「親密な人間関係」は生まれない。

大学入学に伴いリセットされた人間関係において、誰かに自分と親しくなってもらうには、周りの人間との「親しいもの争い」の競争に勝たねばならない。それは、一歩出遅れたらもうおしまいだ。

概して人間関係は、時間と労力がかかるものだ。リスクが大きい。病む原因にすらなる。

 

結果として、私は大学で「必要最低限くらいの人間関係」しか築くことができなかった。

「知り合い」ならやたらといるが、一緒に遊びに行くほど仲の良い「友達」はあまりいない。むしろ「知り合い」との中途半端な交際に時間をとられ、特定の人と「友達」になるために十分な交際ができない。

そんなだから、「恋人」なんてできるはずがない。現実離れした高望みだ。そんなものを望んでいる自分に反吐が出る。

 

驚きの事実として、私は大学の知り合いと「サークルなどの団体における行事以外」て遊びに行ったことが、2年間でなんと3回しかない。カラオケも1回のみ。食事に誘った/誘われたことだってたかが10回くらい。同じ期間に、高校同期とは述べ15日以上旅行をし、10回ほどカラオケに行き、10回以上食事に誘われているというのに。

「大学でとても仲の良い一生モノの友達を作りまくる」という、入学当初に抱いていた希望は、もはや幻想だ。

 

人間関係については、一部の人を除いてほぼ完全に失敗だ。大学生活一からやり直したい。

特定の人ともっと親しくなっている世界線に、生きていたかった。

 

 

人は私を誤解する

 

私のことを「何でもできる」「有能」「人間性が備わっていてまとも」と思っている人も、なぜかいることだろう。

 

だが、それは間違いだ。

実際は「何も中途半端にしかできない」「低脳で無能」「自分の利益ばかり考えているクズ」だ。

 

いろいろなことに手を出しすぎて、専門的な知識など(日本地理の一部以外においては)かけらもない。

だからと言って、ゲームや芸能の知識は完全に抜け落ちているし、何でも知っているわけではない。

 

正しく考えて行動しない。とりあえず急ぎ、雑に処理する。結果として、結構な失敗を引き起こす。

だが私は都合良いことに「何事もなかったかのように演じること」「呼吸するように嘘をつくこと」が得意で、隠蔽する。

 

自分さえ良ければ何でも良い。他人への協力は基本的に、自己満足を得るためか、他人から嫌われないため。真に他者のことを想っての無性の行動なんてしない。

外見を整え、八方美人を演じているだけ。内面は自分の生存ばかり考える、ただのクズ人間でしかない。

 

結局、私がこうやって良い側に誤解されているのは、私の全てを知るほど親しい人が大学にいないから、そういうことだろう。

誤解されるのも、器用貧乏により人間関係が不十分なため。

 

 

危機感

 

私は、若さゆえに体力があること、これまで培ってきたマルチタスク耐性があること、他人に能力を誤解されていることにより、器用貧乏としてなんとか生き延びてきた。

 

しかし、これからどうなるかわからない。

いつガタが来て、私が体力も能力もない単なる無能に成り下がり、周りの人に「真のダメ人間である自分」を知られるかわからない。

今はうまく行ってたって、将来もうまく行く保証はない。

 

そろそろ、欲張りおよび効率主義と距離を置いて、器用貧乏を脱しなければならない。

将来「大学では結局中途半端なことばかりだった」「人間関係は失敗した」なんて思いたくない。

 

「欲張り」は悪徳ではない。むしろ自分の誇りだ。

でも、それがあまりにも強すぎると、単なる役立たずの器用貧乏であるままだ。

 

私はそろそろ、変わらねばならないようだ。