どこかの元T大生の思考

不定期です。旅行と考えることが好きな元T大生が、たまーに駄文を公開します。旅の記録を語る[旅]、何かに対する見解や主張をぶつける[論]、自分の生き方について思いを巡らせる[憂]、趣味などについて書き散らす[雑]の4つのカテゴリーで。

[憂24]拗らせをやめてしまった自分

そろそろ、真面目に危機感覚えないとやばいよね。

 

※最初に断言しておくが、私自身は肉体的にも精神的にも男性を自認しており、また恋愛対象・性欲対象は異性であると自覚している。

 

 

ホワイトデーなんてあったね

 

3月14日。いつも通りの1日である。

 

……え、ホワイトデー?

……そういえばそんなのあったね。

 

……知らねーーーーーーー私には関係のない話じゃーーーーーーーー!!!!!!!!!!

 

 

とか言ってみたけど

 

こんな感じの「拗らせ」、1年前や2年前の私ならいつものようにやっていたことだろう。

だいたい、[憂]のカテゴリーの記事の少なからぬ数が「拗らせ」に関係する内容である。自分が恋愛において何もできないことによる、なんともいえぬ行きどころのない鬱憤を、文章にして発散していた。

そして私の「今後ブログに書きたい内容」というメモにも、以下のようにいろいろな記述があった。

・東大行ってもモテやしねえよ

・結局自分からアクションせねばならぬ

・イケメンならなーーーーー

・「熱い人間」は評価されるのか

・「自分を愛せない人間に愛される資格はない」←嘘乙、女性は自分を愛せない人間ほどターゲットにされやすいし他者による愛に引っかかりやすい、また自分を愛している女性はそれ自体が魅力になって愛される、だが男性はむしろ自分を愛する人間ほど他者を愛せないので交際できない、自分を愛せない男性はメンヘラになるから人間性を抜きにしてとりあえず交際はする、クソが

・自分が好きすぎるのとプライドが高すぎるの、お先真っ暗

・「好きです」と「付き合ってください」の論理の飛躍

・自己肯定感の高い女性になりたかった

……最悪なメモだ。

 

……しかしながら最近、私は全然こういうことを考えなくなったのである。「諦めた」とかではなく、「そもそも考えなくなった」。

 

 

現実逃避?

 

拗らせているのと、そもそもそういうことを考えなくなるのと。どっちの方が良いのだろうか。

改めて考えてみると、頭を働かせている前者の方がよっぽどマシなのでは、という気がしてくる。

というのも、拗らせというのは「自分はダメ人間だ」と明確に自覚しているから生じるのであって、「ダメ人間」という自覚とともに「脱却しないとやばいかもしれない」という思いが少しでもあるのだ。一方で「考えなくなる」というのは、「脱却しないとやばいかもしれない」という思いも含めて完全に思考放棄すること、その思いによって何らかの行動が生まれる可能性が完全に消滅することに等しいのである。向上心を捨てたようなものだ。

 

一生独身で生きる覚悟が本当にできているのであれば、別に向上心がなくても良い。しかし厄介なことに、[憂13]でも少し書いていたように、私は結婚をしたいのである

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この記事を書いたおよそ2年前の当時は、「学生らしい青春っぽい恋愛」をまだ諦めきれていなかったが、もはやそんなのは金輪際できなくても良い。でも今なお、結婚のために必要な恋愛であればしたいと思っている

そんな私に対して、「キモオタクよ現実を見ろお前に結婚なんてできない」と考える人も多いだろう。でもそう言われても諦めきれないのが、私という現実を弁えない異常独身男性なのである。

……そう、私は諦めているわけではない。ただし、最近は拗らせることをやめて、そもそも考えなくなったのである。いわば現実逃避

 

ちなみに私にとって恋愛が難しいということは、[憂19]や前記事の[憂23]でも書いている通りだ。

utok-travelandthinking.hatenablog.com

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拗らせを忘れた今、考えると

 

さて、拗らせていた当時の私が残していたメモを、拗らせを忘れた今、改めて考えてみよう。「拗らせていた自分」に対してコメントする、という感じで。

 

・東大行ってもモテやしねえよ

はい、少なくとも東大生である間はその通りでした。中学の同級生から突然連絡来るイベント?そんなのあるわけねえだろ。

誰かが「東大男子は卒業後にモテる」って言ってたけど、Twitter見てる限りだとそんなこともないと思う。モテるのは「東大卒」じゃなくて「東大卒のうち魅力的な人」であり、「東大卒でいろんな面で難がある人」ではないのよ

 

・結局自分からアクションせねばならぬ

アクションしなかった結果として今の自分があるんだから、それはそう。これは突き詰めれば、生物学的性としてのオスとメスの非対称性につながるよね。[論23]とかいうクソ記事でも書いてたけど。

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なお「自分からアクションする」ことに対して私が抱えているハードルは、[憂7]と[憂17]に書いてある。

utok-travelandthinking.hatenablog.com

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・イケメンならなーーーーー

何を抜かしてるんだお前。現実を見ろ。自分をかっこよく見せようとする努力すら怠るお前に、そんなことを言う権利はない。

だいたい、イケメンだったところでお前は性格に難がある([憂19][憂23]の内容)

 

・「熱い人間」は評価されるのか

先輩が私のことを「熱い人間だし、就職後サラッと結婚してそう」と評してくれたことから、こういうメモを残したのだと思う。

「熱さ」をかっこいいと思ってくれる人は、いるかもしれない。……でもその魅力としての「熱さ」を覆い隠すくらい、私の性格(やはり[憂19][憂23]の内容)がダメなものとして認識されてしまえば、私は魅力的とは思われないであろう

 

・「自分を愛せない人間に愛される資格はない」←嘘乙、女性は自分を愛せない人間ほどターゲットにされやすいし他者による愛に引っかかりやすい、また自分を愛している女性はそれ自体が魅力になって愛される、だが男性はむしろ自分を愛する人間ほど他者を愛せないので交際できない、自分を愛せない男性はメンヘラになるから人間性を抜きにしてとりあえず交際はする、クソが

やめろ、「理解ある彼氏」の話はやめろ。

ただまあ、ここに書いている内容は、冷静に考えてみても正しいと思う。「自分を愛する男性がそれを魅力に思った女性にアプローチされる」という可能性も無いことはないかもだけど、それって女性の方は何が楽しいのだろうか……?(批判とかじゃなくて単に分からないだけ)

 

・自分が好きすぎるのとプライドが高すぎるの、お先真っ暗

前記事の[憂23]でも書いた通り、これは事実だと思う。

 

・「好きです」と「付き合ってください」の論理の飛躍

これ、謎ですよね。拗らせているかどうかに関係なく、普通にこれは謎だと思う。

友人の話を聞く感じ、「好きなその人を失いたくないから付き合う」ってのが”普通”なんだろうけど、「ありのままでいるその人」と「自分という異物が付き纏っているその人」とでは前者の方が魅力的、という考え方もできるのではないでしょうか(「百合の間に男が挟まるのはけしからん」も同じ論理では?)。

そもそも「付き合う」という行為は「好きな人」以外とは”普通”生じない、ってのも謎。一緒に暮らすなら「好きな人」より「互いに信頼し合える人」「価値観の合う人」のほうがいいんじゃないですかね。まあ私の場合はそんな人いるのかって感じですが

 

・自己肯定感の高い女性になりたかった

無責任な発言をするな。ダメ発言の典型例だよこれは。お前の「旅」という趣味は、お前が男性だから実施しやすかったって側面もあるだろうに。だいたいお前は女性だったとしてもダメだったと思う

 

 

「拗らせ」かは分からないけど、改めて危機感を抱くことはできたね

 

今改めて考えてみると、最悪な考えをしてたんだなーって時もあるけど、結局下線部のように考えてしまう癖は抜けてないのね。

今や「毎日拗らせている」という状態ではないしむしろ「考えなくなった」けど、ホワイトデーみたいに突然「そういう話」を考えねばならないイベントが生じたら、こうやって自分の身について改めて考えることはできるのね。

 

……しかしまあ、私の関係性に進展が生じるのは、いつになるのだろうね。

周囲の友人が結婚していって、そのたびに今回みたいに自分のことを振り返って危機感を覚える、その繰り返しで特に進歩はしない人間になるのかね。

 

分からねえ。

とりあえず[憂23]の最後でも書いたように、社会人としてお金を得てからだな。