どこかの元T大生の思考

不定期です。旅行と考えることが好きな元T大生が、たまーに駄文を公開します。旅の記録を語る[旅]、何かに対する見解や主張をぶつける[論]、自分の生き方について思いを巡らせる[憂]、趣味などについて書き散らす[雑]の4つのカテゴリーで。

[論29]「地方創生」考

「地方創生」。私が大学1年生の頃に関心を持ち、それからずっと考えてきた概念。今まで考えてきたいろいろなことを、ここで整理したい。

なお、ここに書いてある内容はすべて私見であり、所属組織あるいは所属予定の組織の見解と何ら関係するものではない。

 

 

「地方創生」とは何か、その本来の目的は何か

 

「地方創生」という言葉が登場したのは、「地方消滅」という言葉の登場と大きく関係している。

増田寛也を座長とする日本創成会議は、日本の自治体の多くで近いうちに若年女性が著しく少ない状況になるとし、そのような市町村を「消滅可能性都市」と定義した(同書p.22など)。若年女性が少なくなると「消滅」するというのは、人口の再生産を担う層が少なくなることで出生数が著しく少ないあるいはゼロとなり、高齢化社会の中で死亡数が上回ることで自然減が進行していずれ人口ゼロになりかねない、という論理のはずである(同書p.23など)。

そのような「地方消滅」に対して実施されるのが、いわゆる「地方創生」である。

 

さて、なぜ「地方消滅」は望ましくないとされるのか。そのような「消滅可能性都市」が存在することそのものが、是正せねばならない事態なのだろうか。

私は、必ずしもそうではない、日本創成会議の主張の本質は本来そこではない、と考えている。

むしろ、現時点で比較的合計特殊出生率の高い(すなわち端的には若年女性が子どもを産みやすい)地域から若年女性が消え、合計特殊出生率の低い東京圏にしか若年女性がいない状況となることで、結果として日本全体の出生数が減り今後の日本を支える人材がいなくなる(同書p.22など)、これこそが真に危惧されているのではないか。

すなわち国が進める「地方創生」の本来の目的は、「あらゆる地方の消滅を防ぐ」というよりは、「日本全体の人口減少の加速に歯止めをかける」なのだと思われる。増田自身が編著の『地方消滅』において「すべての集落に十分なだけの対策を行う財政的余裕はない」(p.48)と述べていることから、「あらゆる地方の消滅を防ぐ」が至上の目的では無いというのは分かる。

 

では、「地方創生」を通して日本全体の人口減少の加速に歯止めをかけるには、具体的にはどうすれば良いのか。

議論の前提は、これまで「東京圏一極集中」が進んできたという事実である(同書p.17など)(私はあえて「東京一極集中」とは書かない)。「現時点で比較的合計特殊出生率の高い(すなわち端的には若年女性が子どもを産みやすい)地域から若年女性が消え」るという現象は、決して若年層が亡くなるからではなく、若年層が当該地域から東京圏へと流出するから生じるものである。では何故流出するのかと言えば、端的には「職がないから」であろう(同書p.20など)。

それゆえ、「地方創生」政策の中心は「雇用の創出」となる。実際、国において「地方創生」とほぼ同じ意味合いで用いられるのが「まち・ひと・しごと創生」であることからも、雇用創出は地方創生政策の中核であることが読み取れる。

 

私はかつて「創生」という用語に、「東京中心主義で偉そうだな」と違和感を覚えたことがある。しかしよく考えてみれば、これは国(中央)の政策なのだから別にそれほどおかしい言葉ではない気もする。

むしろ、民の取り組みを言う場合などは「地域活性化」を使うべきであり、国の政策以外について東京中心主義的な「創生」を使うのはナンセンスなのかもしれない。

 

 

「地方創生」の主語と目的の迷子

 

一方で「地方創生」という言葉は、国の政策的な意味合いを超え、民における取り組みあるいは理想を表象する言葉としても使われているような気がする。「誰が」という主語が欠けた言葉として流布している気がする。

 

「地方創生」という言葉でググったら、「株式会社地方創生」のWebサイトがヒットした。トップページには、

真の地方創生とは、日本全国の地方各地で、多くの人々が、明るく、楽しく生活している状態のこと。“明るく”“楽しく”を構成する要素の中で、いま、最も不足しているのは「仕事」。地方に住む人々、美味しい食べ物や自然にあふれた町の魅力と共に、如何にして生活の糧を得る「仕事」に結び付けていくか。株式会社地方創生は、地方各地の魅力を発見し、伝えつつ、「仕事」を結び付ける。地方における雇用創出を最大の使命として取り組んでまいります。

という文章がある。この1文目をそのまま読解すると、すなわちこの企業において、「地方創生」は「ある目的を実現するための政策」というより「理想的な状態」を表象する言葉として用いられているということになる。さらにその「理想的な状態」のために不足しているものが雇用であり、それを生み出すのが当該企業の中心的な事業であるということだ。何故それが理想的な状態なのか、という点は明確には言及されていない

 

……「地方創生」の自己目的化と、それを理想とする民間企業による取り組み。

(なおWebページを見た感じ、私はこの企業が実施していることはかなり立派だと感じた。地方の人口流出を止めようとするなら雇用創出が重要だというのは事実だし、私はこの企業自体を批判する気はない。)

 

地方自治も、この言葉になかなか躍らされていると思う。「日本全体の人口減少の加速に歯止めをかける」という、本来の政策の目的からは離れていく。

 

私は卒業論文の関係で、自分の居住する地域を対象とした調査を実施した。この地域は東京の郊外に位置する職住分離の住宅街であり、都心回帰の中で人口減少と少子高齢化が著しく進行していて、属する基礎自治体は「消滅可能性都市」の定義に該当する。

そして当該自治体は、「消滅可能性都市」というマイナスイメージから脱却すべく、「まち・ひと・しごと創生総合戦略」を策定した。この総合戦略においては、自治体単位での人口減少を避けるための戦略、それも「出生率向上」でなく「他の自治体への流出抑制と他の自治体からの流入促進」という形の戦略が規定されている。

この地域は職住分離ということもあり、合計特殊出生率はかなり低く、子育ての比較的しづらい地域とも言える。そのため他の自治体から人口を奪ったところで、日本全体の人口減少の抑制に寄与するとは考え難い。だいたい、この地域は東京圏である。それなのに、国はこの総合戦略に基づき当該自治体に「地方創生加速化交付金」を交付し、その交付金をもとにハコモノが整備された。

 

……「地方創生」の目的の、「その自治体単体が消滅可能性都市を脱却する」「その自治体単体の人口減少を抑制する」へのすり替え。

(なお当該自治体により整備された当該ハコモノは、さまざまな好条件が重なり合ったことで、成功事例と言えるものとなっている。私はこの施設自体を批判する気は毛頭ない。)

 

本来「国の視点」に基づくはずの「地方創生」について、ここでは「民の視点」「地方自治体の視点」の2点における歪みを整理した。

 

 

東京圏一極集中を避けることの意義

 

国の「地方創生」政策の本来の目的の一つが「日本全体の人口減少の加速に歯止めをかける」であるとは言ったが、日本国民が東京圏に集住せず分散している状況は、それ以外の点でも望ましいことだと私は考える。根拠として、例えば以下のようなものが挙げられるであろう。

 

第一次産業を維持する

都市(東京圏)の生活は都市(東京圏)の存在のみによって成り立っているのではなく、各種資源を供給する地域の存在によって成り立っている。例えば食材の場合、それが国産である場合に限れば、その食材を生産できる条件が整った地域が国内に存在し、さらにその地域で第一次産業に従事する人がいるからこそその食材は都市(東京圏)で供され得るのである(近郊農業のみでは全ての食材は賄えない)。

そして第一次産業に従事する人が当該地域で生活を営むためには、その地域に第三次産業および行政サービスが存在することも重要である。今や第一次産業従事者も、自給自足のみの生活を営んでいるとは言い難く、生活に必要な各種サービスを提供する事業者が地域にいなければ生活は難しい。

ゆえに消費社会の都市(東京圏)で各種活動がなされるためには、都市(東京圏)以外の地域に第一次産業従事者・第三次産業従事者・公務員が存在し、当該地域で事業が実施される・行政サービスが提供される必要があると思われる。

 

・国のレジリエンスを高める

東京圏に人口が集中している場合、東京圏が災害により大打撃を受けた際、国全体が機能不全に陥る可能性が非常に高くなる。人口が分散していた方が、大災害に対するレジリエンスは高まるであろう。お気持ちベースでない「首都移転構想」も、一定程度はこの根拠に基づいているのではなかろうか。

 

・現時点で存在する住民の生活を守る

事実として、現時点で「過疎地域」にも多くの住民が居住している。その住民が全員大都市圏に移住してしまえば、当該地域に行政サービスを提供する必要は無くなるが、現実には「過疎地域」(あるいは「生活が不便な地域」)だからといって住民全員が易々と流出しているとは限らない。住民がいる限り、その地域への行政サービスの提供を停止することはできず、当該地域を含む自治体に勤める公務員や財源を提供する納税者が存在しなければならない

 

以上は客観的かつ国の(全体を俯瞰する)視点に立ったものであり、国の政策としての「地方創生」を正当化する根拠となり得、かつこれらについて意見が割れることは少ないと思う。

 

一方、主観的あるいは民の(個々の)視点に立った場合、「自分にとって住みやすい地域が東京圏以外にある」「東京圏ではできない『人間的な生活』をすることができる」「住んでいて愛着がある地域だから無くなってほしくない」「素晴らしい観光地だから無くなってほしくない」といったものも、東京圏一極集中の回避を正当化する言説として存在し得る。

しかしこれらの言説は、必ずしも100%の人間が納得するものとは限らないと思う

先述の「株式会社地方創生」の事業も、「(一部の)人々にとって明るく楽しく過ごせる場所は地方にある」という、客観的に100%正しいとは必ずしも断言できない考えを暗黙の前提としている気がする。

 

 

「田舎」は本当に魅力的なのか

 

東京圏から他地域に自発的に移住する人は、「自分にとって住みやすい地域が東京圏以外にある」「東京圏ではできない『人間的な生活』をすることができる」という意見を持っている人が多数だと思われる。

地方移住した人の声というのは、ググればいろいろなところで見ることができる。そういう人がよく言うのは、「都会って冷淡で息苦しい、それに対して田舎は人のあたたかさが感じられる」ということ。……いやマジで、移住先の選定にあたって「人のあたたかさ」を根拠としている人多すぎるのよ。

そういう人の移住先は、地方都市中心部というよりは農山漁村いわば「田舎」であろう。東京圏や地方都市中心部に見られる「冷淡な」都市型社会でなく、「田舎」に残っている地縁の強い農村型社会、そちらの方が「自分にとって住みやすい」と感じるから移住するのである。

 

このような地方移住者の「都会より田舎の方が住みやすい」という意見、これをさも全員が共感できる一般論であるかのように論じる人がいる。

コロナ禍でリモートワークが一般化した状況下、東京圏より自然が豊かな地方部の方が多くの人にとって好まれると考えてか、「これからは田園回帰が進む」と論じる人がいる。

 

……しかし私は、そうは思わない。

 

客観的な根拠。

人口移動に関する統計を見れば、東京圏→それ以外よりそれ以外→東京圏の移動の方が圧倒的に多い、すなわち東京を選好する人が多いというのは明らかである。むしろ都市の本質は「都市の空気は自由にする」であり、「人のあたたかさが感じられる」ほどに「人との距離が近くて窮屈」な地域より、「冷淡な」都市すなわち東京圏の方がしがらみから逃れられる、というのが多くの人にとって現実だと思う。そしてそれを反映するように、今日まで東京圏への流入超過が進行してきたという、確固たる事実が存在する。だいたい何もせずとも都会より田舎の方が住みやすいのであれば、国がわざわざ「地方創生」なんて政策を出す必要は無いだろう

「でもコロナ禍で東京一極集中は抑制されたのでは」という意見がある。確かに「東京23区で久々の転出超過」みたいなデータはあったが、あれは「東京圏からそれ以外」でなく「東京23区から東京郊外」への移動の増加を反映したに過ぎず、「東京圏一極集中」が改善されていると結論づけることは不可能である

 

主観的な根拠。一部偏見。

ぶっちゃけ、私は積極的に地方移住するような人々が好きではない。というのも積極的に地方移住するような人々は、積極的に住民と関わろうとするいわゆる「陽キャ」であり、「陰キャ」の私とは馬が合わなそうだからである。そして地方移住者はたいてい「地方移住者の集い」みたいなものをやっていて、そういう集いが移住後に「豊かな」生活を送るための不可欠に近い要素となっており、そのような他の移住者との関わりなしに、地方移住後の生活を送るのは容易ではなさそうである。

そもそも私は、地縁の強さをそれほど羨ましいとは思わない。むしろ知らない人だらけの環境の方が、あれこれ言ってくる人がいないだろうから過ごしやすい、そんな気すらする。

……このような私の意見に対し「田舎も知らないくせに偏見だけで語るな」と言ってくる人もいるだろう。しかし私は、総務省の「ふるさとワーキングホリデー」への参加・NPO法人の事業としての離島への10日間の滞在を経験した上で、こう言っているのである。また、私の母方の実家はド田舎である。

 

一部の人が思うほど、「田舎」は魅力的ではないと思う。というかそんなに魅力的だったら、現時点でもっと住民がいるはずである。

「自分にとって住みやすい地域が東京圏以外にある」「東京圏ではできない『人間的な生活』をすることができる」といった理由で東京圏一極集中を止めたいのなら、「人のあたたかさ」みたいなフワフワとした主観的なものでなく、もっと客観的に確認できる長所を追求すべきだろう。

 

 

住民の論理と、国の論理の衝突

 

とはいえ、その地域を魅力的に思う人がいる、という事実自体を私は否定する気はない。「田舎」を魅力的に思う気持ちも、共感はできないが理解はできる。

また「田舎」であるか否かを問わず、自分の育ってきた地域に愛着が湧くのはよく分かる。「住んでいて愛着がある地域だから無くなってほしくない」という意見も、至極真っ当なものであろう。

 

ただし国による「地方創生」は先述のように、必ずしも「あらゆる地方の消滅を防ぐ」を目指すものではない。むしろ増田の提案するのは、地方都市に人口流出を抑制するダム機能を持たせるというものであり(『地方消滅』p.47など)、これは「末端」の農山漁村が下手したら「切り捨てられる」ということを意味する。

財政的な問題もあり、国がこのようなスタンスを取るのは仕方ない部分もあるのかもしれない。

 

しかし、この論理に住民は納得するだろうか。

例えば、「出産の際に働けなくなるから女性は冷遇する」「生産性がないからLGBTを排除する」という考えがあったとしよう。今の社会ではこのような考えは差別とみなされ、許容されないはずである。では、「人口が少なくて国力向上に資さないから集落を排除する」という考えは許されるのだろうか。(性差別の論理と集落選択の論理は冷静に考えれば異なるものだとしても、)その集落を気に入っている住民からしたら、同様に差別であると考えてしまうのも無理はないだろう。

 

「住んでいて愛着がある地域だから無くなってほしくない」といった理由で東京圏一極集中を止めたい人に対して、「選択と集中」の論理が働き得る国の政策は残酷なものとなりかねない。

その点に配慮しつつ、「限られた財源の中で日本全体の人口減少の加速に歯止めをかける」という全体としての最適解を探ることは、果たして可能なのだろうか。難しい問いだろう。

 

 

本当に「雇用の創出」だけで良いのか?

 

先述の通り、「地方創生」政策の中心の一つが「雇用の創出」であることは間違いないだろう。

そしてこれは、「人のあたたかさ」みたいなフワフワとした主観的な長所しかない地域において、客観的で確固たる長所となり得るものである。

 

ただし、「地方には職がない」という説明は少し誤っていると私は思う。より正確には、「職はあるけど魅力的ではない」であろう。

 

地方移住者が生活できているのは(不労所得で生活している人でなければ)、その人がもともと職を持っているから(リモートワーク可能な職など)、あるいは移住先で職を得たから(新規就農者など)である。このような移住者がいるということは、地方には職はゼロではないということの裏返しである。

一方で、それが「魅力的な職」であるとは限らない。例えば農業は一部の人にとって魅力的な仕事だが、私をはじめとする大多数の人にとっては「必要性は分かりつつも積極的にはやりたくない仕事」であると思われる(農業人口の減少がこれを物語っている)。「素晴らしい観光地だから無くなってほしくない」という人に対して「じゃあそこで観光業に従事すれば?」と言うことはできるが、そう言われた人が全員「そうだね観光業に転職するよ!」と言うとは限らない。職の選択肢が限られている地域においては、何に「魅力」を感じるかという主観的な感覚が個人個人で異なる中、数少ない職のどれも「魅力的」とみなされない可能性がかなり高い。

それに比べて都会(東京圏)には、職に関して数多くの選択肢が用意されており、主観的な「魅力的」という指標に合致する確率も高くなる。そして国や企業の中枢は東京圏に置かれるものが多く、「高みを目指す」人にとっては東京圏で得られる職こそ価値あるものとなる。

 

その地域にある職が「魅力的」と思われやすい環境、これが構築されない限り、その地域が職を長所として人口減少を抑制することは困難なままであろう。ただ雇用を創出するのみでは、うまくいくとは限らない。

しかしこれを実際に遂行するのは、かなり難しいことだと思われる。それが簡単にできていれば、「地方創生」が叫ばれ始めた2014年からの8年間で、東京圏一極集中はもう少し鈍化していたはずだ。

 

 

地方自治体における「関係人口」の意義

 

さて、視点を自治に変えよう。

 

人口が増加していない地方自治体の視点に立った場合、東京圏一極集中は東京圏への流出による定住人口の減少につながり、税収減という望ましくない事態をもたらす、悪しき現象とみなされると考えられる。そのため東京圏一極集中を抑制する国の政策としての「地方創生」は、多くの地方自治体にとって望ましいものであろう。

ただし東京圏一極集中が抑制されたところで、当該自治体の人口減少が抑制されなければ、その自治体にとってはほぼ意味がないも同然である。そのため地方自治体は、国の「地方創生」政策を通して、自治体単位での人口減少抑制や税収減抑制を目論むことになるだろう。

だからこそ、自治体単位で「他の自治体への流出抑制と他の自治体からの流入促進」という形の戦略がとられるのも、おかしいことではない。

 

日本の総人口が今後減少していくのは、明らかである。その減少分を補えるほどに外国人を積極的に受け入れる、そのような方向に国が大きく方針転換するというのも今の日本では考え難い。

そのような状況下、国内で各自治体が定住人口を奪い合うのは、ゼロサムどころかどんどんサムが減少していく絶望的なゲームである。「他の自治体への流出抑制と他の自治体からの流入促進」という形の戦略では、下手したら共倒れになりかねない。

 

そこで白羽の矢が立つのが「関係人口」概念である。

「関係人口」とは、「移住した『定住人口』でもなく、観光に来た『交流人口』でもない、地域と多様に関わる人々を指す言葉」とされる(総務省「関係人口ポータルサイト」より)。具体的には「行き来する者『風の人』」「何らかの関わりがある者(過去の勤務や居住、滞在等)」「地域内にルーツがある者(近居)」「地域内にルーツもがあるもの(遠居)」が想定されている。

すなわち、「定住しないけれども地域との関わり/関わりへの想いが強い人」のことである。

 

……しかし「関係人口」というのは、どうやらどの自治体においても「定住人口になる可能性を持ったもの」として捉えられるようである。

関係人口のまま生涯を終えるあり方を全肯定する地域というのは、管見の限りでは滅多に存在しない。魅力的な仕事を東京に見つけたがゆえに絶対に移住しない、しかしどこかの地域の関係人口になるのも良いかもしれない、そのような私のような人間は多くの地域にとって不要な存在である。

ただし多くの自治体にとって定住人口が欲しいというのは、そっちの方が税収が増加するのだから当たり前のことである。ふるさと納税の制度があろうが、定住人口になってくれた方がその人から徴収できる税の額は多くなるだろう。「定住人口になる可能性を持ったもの」だからこそ関係人口を歓迎するという自治体のあり方は、合理的なものだと思われる。

とはいえこのままだと、結局サムが減少していくゲームのままである。自治体間の定住人口の奪い合いという現象の、根本的な解決には至っていない。

 

ところで「国全体での合計特殊出生率の低下の抑制」を目的とする場合、ある地域の関係人口が増加したとしてもほとんど何の意味もない。東京圏以外のある自治体の関係人口だったとしても、その人が子育てしづらい東京圏に居住していたら、結局子どもは生まれづらいままである。まあ「関係人口となった地域の人々に子育てを任せる」というあり方もあり得なくはないけど、それがすぐに一般的になるとは私は思わない。

 

 

「よそ者」「若者」への過度な期待

 

「地方創生」の本来の目的「国全体での合計特殊出生率の低下の抑制」にそぐうとも限らないにもかかわらず、国(総務省)が「関係人口」創出を支援するのは何故なのだろうか。その答えを知る手がかりとなるのが、総務省の「関係人口ポータルサイト」にある以下のような記述である。

地方圏は、人口減少・高齢化により、地域づくりの担い手不足という課題に直面していますが、地域によっては若者を中心に、変化を生み出す人材が地域に入り始めており、「関係人口」と呼ばれる地域外の人材が地域づくりの担い手となることが期待されています。

ここから国の立場について、定住人口減少に悩まされる地域で「地域づくり」を担う存在として、「よそ者」「若者」に期待しているということが読み取れる。

 

国に限らず、人々は「地域づくり」のために「よそ者」「若者」に頼りがちな気がする。

例えば私の大学(私のブログをちゃんと読んでいる人なら分かるであろう)では、学生が地方自治体の抱える課題を解決しようとするプログラムがある。ここで多くの自治体から我々学生に期待されたのは、「よそ者」「若者」としての視点、であった。

 

……はて、「よそ者」「若者」の視点とは、一体何なのだろうか。

我々「よそ者」はその地域のことをよく知らないし、我々「若者」は知識に欠ける。そのため「よそ者」「若者」の視点とか言いつつ、実現可能性に欠ける提案しかできない。場合によっては「現場を知らなすぎる」として地域の人に怒られる。「斬新な視点を期待している」とは言われるが、斬新でも実現できないなら意味が無いだろう。

確かに学生の提案でも、説得力があり実現しそうな案は出てくる。しかしそれはマーケティングなどの理論を活用した提案であり、その学生に理論の知識があったからこそ出てきたものである。「よそ者」「若者」だから提案できたもの、とは限らない

理論の知識があるとも限らない学生を巻き込む場合、いずれその地域の関係人口、さらにはその先の定住人口となることを目論んでいるのならまだ分かる。しかし「関係人口」の前段階である「交流人口」になってもらうための努力(住民との交流機会の提供など)すらせず、学生にただ単に課題の解決のみを求める自治体の姿勢は、本当に理解できない。真に課題を解決したいのであれば、金をケチるんじゃなくて、そういうのを専門とするコンサルにでも頼むべきだろう

ちなみに、私の周囲で東京圏から他地域に移住した「若者」は、「何らかの課題意識を持ってその地域に入った」というより「その地域で活動するのが楽しいからその地域に入った」という人が多い印象。「若者」を関係人口あるいは定住人口として欲しいのなら、「課題解決を押し付ける」でなく「その地域で楽しんでもらう」これに注力すべきではなかろうか

 

「よそ者」「若者」「馬鹿者」の語呂が良いからといって、「何故良いのか」を考えずに安直に「よそ者」「若者」に期待するのは、本当にやめた方が良いと思う。

大人が生み出した問題は大人で解決せよ。

 

 

積極的な「よそ者」に問う、その課題意識は本当に適切か

 

「よそ者」として「地域づくり」に従事する人は、場合によっては明確な課題意識を持って地域へやって来る。その際、「住民の皆さんにまちづくりの楽しさを知ってもらいたい」「住民の皆さんに誇りを持ってもらいたい」「ブランド力のある街にしたい」みたいなことを言う人がいる。

 

……「よそ者」のエゴを押し付けるべからず。

 

実際、私の居住する地域について、「よそ者」が「住民は地域に誇りを持てていないから変えなければならない」と述べたことがあった。それを知った私は、「舐めてんのか?住民のこともよく知らない分際で」と怒り狂いそうになった。

私は自分の居住する地域が「魅力的」とは思っていない一方、愛着と誇りは持っており、ただし「ずっと存続してほしい」とも思っていない。別に私からすれば、この地域が「消滅可能性都市」として消滅に近づいていくことは、仕方ないことだと割り切っているのである。むしろこんな不便で高齢者だらけの住宅街が人口を吸収するくらいなら、農山漁村に人口を振り分けた方が100倍良いとすら思っている。

「住民はこう思っている」という決めつけは、その「よそ者」のエゴかもしれない。そしてこれこそが、「よそ者」が地域に入ってくる上で生じる難しい点だと思う。

 

明確な課題意識を持って地域で何かをする人がいるけれど、それを「地域のためになる」と本気で考えているのであれば、それは危険だと思う。

それよりは「自分がやりたいからこうする」と言った方が、まだマシ。

 

 

結局、地理的条件と人

 

昨今人口増加に見舞われ「成功している」とみなされる自治体の代表例が、千葉県流山市兵庫県明石市であろう。

だがこの双方とも、「都市圏の中心部まで鉄道ですぐに行ける」という地理的条件があったが故に、人口増加がもたらされたのだと思われる。地理的条件が必ずしも同じでない自治体がこの2市を真似ても、まあうまくは行かないであろう。

また、人の問題もある。この2市の場合、おそらく行政と議会がそれなりに優秀かつやる気があった。この2市に限らず、人口減少抑制などに成功している自治体は、たいてい首長かその地域のインフルエンサーが優秀かつやる気のある人である。逆に優秀かつやる気のある人を確保できない自治体は、今後の展望が明るいとも限らない。

 

 

「地方創生」考

 

話がとっ散らかってしまったので、まとめよう。

 

・国の政策としての「地方創生」は、本来は少子化対策の意味合いがあり、すべての地域を守るものではない。(そし私は、少子化対策それ自体は望ましいものであると考える。)

・人口が東京圏に一極集中しないことは、合計特殊出生率の向上のみならず、「第一次産業を維持する」「国のレジリエンスを高める」「現時点で存在する住民の生活を守る」という点で有意義だと考えられる。

・しかし「すべての地域を守るものではない」というのは、「守られない地域」の住民からの反発を招く可能性がある。そこの折り合いをつけることは、極めて難しいであろう。

・また「地方創生」政策自体が「雇用の創出」に主眼を置いているが、真に求められるのは「職」そのものというより「魅力的な職」であり、しかしこれを用意することは難しいであろう。

・「地方創生」政策の下で動く地方自治体は、最終的には定住人口を欲しがるが、これはサムが減少していく中での取り合いとなり、共倒れにもなりかねない。

・人口増加など「成功」する自治体は、地理的条件と人に恵まれることが多い。これに恵まれないと先行きは怪しい。

これを踏まえると、現時点での私の見解は、「国の政策としての地方創生は理念としては良いが、掲げる理想を実現させるには難しい点が多々ある」ということになる。

 

・「地方創生」が国の政策という文脈を離れて語られる際、「田舎」を理想的なものとみなす言説があるが、これは100%正しいとは限らない。「田舎」を守りたいのなら、「人のあたたかさ」以外の長所が求められる。

・「地域づくり」においてはやたらと「よそ者」「若者」に期待が掛かるが、それは誤っていると思う。そして「よそ者」の抱く課題意識については、地域住民との齟齬が生じる危険がある。

これを踏まえると、現時点での私の見解は、「地域を活性化させたいのなら、明確な根拠なしに何らかに期待するのでなく、正確に客観的に問題を捉えるべき」ということになる。

 

将来の日本がどうなっているかは、その時になるまで分からない。難しい中でも、少しでも「理想」に近づけば良いとは思う。

 

 

〈参考文献〉

株式会社地方創生,2020,地方創生,(2022年3月18日取得,http://chihousousei.jp).

増田寛也編,2014,『地方消滅――東京一極集中が招く人口急減』中央公論新社

中澤高志,2016,「『地方創生』の目的論」『経済地理学年報』62(4): 285-305.

総務省,2018,「関係人口とは」,関係人口ポータルサイト,(2022年3月18日取得,https://www.soumu.go.jp/kankeijinkou/about/index.html).

筆者の居住する自治体の資料(どの自治体かは都合により明らかにしない)