どこかの元T大生の思考

不定期です。旅行と考えることが好きな元T大生が、たまーに駄文を公開します。旅の記録を語る[旅]、何かに対する見解や主張をぶつける[論]、自分の生き方について思いを巡らせる[憂]、趣味などについて書き散らす[雑]の4つのカテゴリーで。

[憂25]大学生活で、私は何を得たのか

3月25日の卒業式をもって、私は大学を卒業した。

大学在学の4年間を通して、私はさまざまなことを学び、さまざまな形で成長した。その一方、余裕なく努力が苦手で独りよがりな人間になってしまい、人間関係への自信を喪失していた。

 

 

徐々に常識を身につけて

 

中学時代までの私は、いわば「常識を弁えない人間」だった。謎の部分の知識だけ突出しており、一般の人々が話題にするようなことに関する知識がまるで少ない。本を読まず、教科書以外から知識を獲得する意欲に欠ける。空気を読めない。

高校時代、クイズ研究会でクイズをやったことで、「単語で表される知識」については一般人レベルに到達するようになった。ただし、この時点での苦手分野が芸能・スポーツ・アニメ・ゲームであり、前2つは特に一般の人々との会話の中で話題になるにもかかわらず、相変わらず知識は他の人より劣っていた。さらに高校は男子校であり、異性との接し方を忘れた。

 

大学に入り、まずは自分の知識の無さ、知ったかぶりをすることの危険さ、そして逆に無知のままでいることの危険さを知った。自分の趣味に関すること、あるいは「クイズ」という競技において役立つことでなくても、何かを積極的に調べるということを覚えた。

大学ではレポート等のために本を読まざるを得ず、受験国語で鍛えられた読解力をもって、ようやく「本を読む」という行為を学んだ。それまで「文字の羅列」「苦手なもの」であった本が、「自分の世界を広げてくれるもの」として自分の目の前に現れてきた。

初対面の人と接する機会が多く、また異性と話す機会も多く、空気を読むことを覚えた。心優しき人々からのフィードバック等により、自らのコミュニケーションにおける問題点を知った。

 

大学の講義や図書館で「知」に触れること、あるいは学友と接することを通して、非常識な人間であった私は徐々に常識を身につけていった。

 

 

自分の頭で考えるようになり

 

高校時代までの私の頭は、いわば受験に特化した頭であった。何らかの情報を提供する媒体があればその真偽を疑わず、自分の頭で考えない。まるで「自分の意見」というものを持っていない。「想像力は知識よりも重要である。」という言葉を、母親が私に「足りないもの」として渡してくれたが、それをも特に意識せぬまま受験知識ばかりを蓄えていった。

中学時代までの習い事などは、基本的にすべて「受け身」でやっていた。自分がそれをやる意味などを深くは考えず、「とりあえず」続けている感じであった。主体的に関わる、自分がそれをやる意味を考えるということは、高校時代になってようやく覚えたものだった。

 

大学に入り、「社会学は常識を疑う学問である」といったことを聞いた。当たり前だと思っていたことが、実は他の社会では当たり前でない可能性がある、ということを知った。

学友との交流の中で、学友による何らかの意見への批判に触れることも多かった。「批判的に考える」ということを覚え、情報を仕入れる際には一旦立ち止まって考えるようになった。

「客観的事実」のみならず「解釈」も研究のために大きな意味を有する、学問の世界に少し足を踏み入れてしまった。自分の頭で考えなければ前に進まない環境で、自分の頭をフル回転させることを学んだ。

「良い学校に合格する」という目標が明確であった高校時代までと違い、自らの進路は自らで考えて切り開かねばならなくなった。さらに高校時代と比べてはるかに自由が与えられ、「受け身」ではどうにもならないようになった。自分の今後の人生について、自分の頭で思い悩むことが増えた。

 

「想像力は知識よりも重要である。」この言葉がいつの間にか、自分にとって当たり前のものとなっていた。

 

 

計画性を身につけて

 

もともとそれなりに積極的な人間で、さまざまなことに手を出そうとする人間だった。しかし中学時代までは「○曜日はこれで、×曜日はこれ」というように分かりやすいスケジュールであり、自分の計画性が育まれたわけではなかった。

高校時代にはスケジュールは分かりづらくなり、一方で頭の中だけでタスク管理をするから失敗が多く、9月1日の午前8時15分に課題を終わらせるような生活だった。

 

大学に入り、さらにスケジュールは分かりづらくなった。頭の中だけで管理するのは到底不可能であり、手帳とスマホのメモを使ってスケジュール管理することを覚えた。

多くの課外活動に参加するようになり、そのバランスを自分の頭で考えるようになった。自分の頼まれた仕事はどこのものであれ、絶対に忘れないように管理した。一方で「やるべき」と思った仕事の多さに倒れたことがあり、自分の限界をも知った。

卒業論文という、夏休みの課題のノリで取り組むと詰む存在が現れた。完全に自分の裁量で進むものに対して、明確な目標と期限を定めることを学んだ。

 

自分の人生を自分で方向づけ、そのために必要なことを計画性を持って実行する人間になれた。

 

 

時間の無駄を過度に嫌って

 

積極的な人間であり、「大学生活を可能な限り有意義に過ごそう」という思いが常に頭の中にあった。[論30]で書いたように、情報を効率よく摂取することが自分の目標となった。

utok-travelandthinking.hatenablog.com

情報を効率よく摂取するため、あるいは自分を良くする方向の「変化」を効率よく生じさせるため、時間の無駄遣いを嫌うようになった。ひたすら予定を詰め込もうとした。

高校時代には土日はダラダラ過ごしていたはずなのに、大学時代とりわけ1年生・2年生の頃は、土日をダラダラと過ごした記憶が限られるほどしかない。

 

結果、余裕のない人間になってしまった。そして、常に疲れているような人間になってしまった。

確かに、4年間で得たものは他の人より多かったかもしれない。でも、余裕がなかったことで、何かを失ってきたような気がする。

 

 

「努力」から逃れて

 

「大学生活を可能な限り有意義に過ごそう」という思いのもとで、[論30]で書いたように、「不確実」な選択肢を選ばないことが自分の人生の指針となった。

コスパが悪い」と感じてしまうものから逃れるようになった。そしてその逃れるという行動を、肯定するようになった。

一つのことに熱中した記憶が少ない。その代わり、多くのことを同時並行で進めていた記憶は多い。

 

結果、努力の苦手な人間になってしまった。すぐに諦める人間になってしまった。

確かに、自分の身の丈にあった選択を続けており、選択の失敗は少なかったかもしれない。でも、努力をしなかったことで、何かを失ってきたような気がする。

 

 

他者に期待しなくなり

 

勝手に期待して失望することを、コストのかかる行為だと考えた。[論30]で書いたように、周囲の人が完璧だと期待することがなくなった。

自分が行うことなのだから自分を一番頼るべき、そう考えることも多かった。人を頼るという行為、これは自分のためになるはずなのに、怠るようになった。

本来人を頼るべき場面で頼らなかったために倒れてしまった、そんな記憶が複数ある。

 

結果、独りよがりな人間になってしまった。「周囲が助けてくれるだろう」という思いを忘れ、失敗を極度に恐れる人間になってしまった。

確かに、失望という良くない行為を経験することは、少なくて済んだかもしれない。でも、他者への期待をしなかったことで、何かを失ってきたような気がする。

 

 

人間関係への自信を失い

 

余裕のない生活を送り、努力が苦手で、独りよがりな人間。

こうなってしまった私は、人間関係の構築が酷く不得手になっていた。

 

付き合いの悪い人と付き合いの良い人とでは、当然後者の方が好まれるだろう。しかしながら私は余裕がなく付き合いが悪いため、好まれない。

努力が苦手だと、人に好かれるための努力も苦手となる。苦手というか、それをしない。

そうして人に好かれない人間になったところで、独りよがりな私は「自分を一番愛してるのは自分だし良いじゃん」などと言い訳する。

 

私には幸いなことに、大学の友人が複数いる。だからこそ、人間関係の構築が「できなかった」とは言わない。

ただ、人間関係の構築が「うまくできたわけではなかった」とは言いたい。そして人間関係の構築ができたとしても、「遊びとかにうまく誘えなかった」というのは事実だと思う。

 

「キラキラ大学生」は、友達と共によく旅行とかするものだろう。一方で私は大学生活4年間を通して、サークルの公式行事など以外で大学の友人と泊まりの旅行に行ったのは、わずか1回だけである。

大学1年あるいは大学2年の頃のグループに久々に顔を出してみると、そのグループの中の複数人はしょっちゅう会っていて、久々の再会だったのは自分くらいだった、という現象がしばしば生じた。「しょっちゅう会っている」くらいの関係性はどうやったら構築できたのか、不思議に思うことがある。

独りよがりだと誰かを好きになることが少なく、仮に好きになっても努力が苦手だから行動を躊躇してしまい、仮に決意できても余裕がないから実行に移すことが難しい。そのため当然のごとく、交際という行為はできない。「青春」は独り身の状態で過ぎてゆく。

結局、一番気軽に通話とかできる関係性にあるのは、大学の友人でなく高校の友人。

 

自分は他の人々にとって、魅力的な存在ではない。[憂23]でも書いた通り、自己中野郎は誰からも好かれない。だからこそ、これまで人間関係の構築がうまくできなかった。

utok-travelandthinking.hatenablog.com

 

……こういうことを書くくらいには、私は大学4年間を通して、人間関係構築への自信をすっかり喪失した。

他の誰が悪いわけでもない、悪いのは完全に自分なのに、勝手に自信を喪失した。

 

「君は君が思っているほど魅力的でない人間ではない(すなわち魅力的に思う人もいるだろう)」「君はとても話しやすい」「君の気の合う人もいるだろう」こう言われることもある。

しかしこういう言葉はどういうわけか、私の自身の無さを埋めるには到底足りない。自分を「特別」に思ってくれる人が肉親以外で現れない限り、この自信の無さは埋められないのかもしれない。

でも、自分を「特別」に思ってくれる人を確保するためには、自ら行動せねばならない。しかし、努力が苦手かつ自分に自信がない人にとって、その行動というのは非常にハードルの高いものである。結果何もせず、自信の無さは埋まらないままである。

 

社会人としての生活は、このように人間関係構築への自信を失ったところから、始まってしまうのである。

 

 

大学生活で得た知識や考え方や計画性は、間違いなく生涯の財産であり、今後とも積極的に役立てたいものである。

一方で大学生活で得てしまった「自信のなさ」は、ずっと持っていることが必ずしも良いとは限らない。

その「自信のなさ」と完全に訣別することは難しいのかもしれないが、どうにか折り合いをつけて、「豊かな」社会人生活を送っていきたいものである。