アクティブさと笑顔を大切に。若干イタイ文章だけど許して。
今回もヘマをしてしまった。日曜日の時点でブログを書けなかったのだ。もうこれで3回目だ。…まあ、忙しいんだからしょうがないよね。
さて、夏休み第4週のの私は限界旅とサークルの合宿で成り立っていた。謎にアクティブな1週間だった。
まずは週の振り返り。
8/12(月・休)、鳥取の米子から中国山地を通り、岡山の児島(倉敷)まで行った。山間部の景色は本当に良かった。
8/13(火)、児島から瀬戸大橋を渡り、香川・高松へ。そこから琴平方面経由で徳島県西部に抜け、吉野川に沿って東に向かって進み鳴門へ。そして徳島で阿波おどりをちょっと見てきた。
8/14(水)、深夜に徳島から和歌山に渡り、そこから紀伊半島をぐるっと回って三重県へ。そして名古屋に抜け、名古屋から夜行快速列車で東京へ。
8/15(木)、東京駅から乗りつぶしで茨城県の常陸太田や栃木県の宇都宮、烏山へ。それから埼玉に戻り、中学校時代の友人と会う。まあここまでの旅程は詳しくは後ほど旅行編で。
8/16(金)、所属サークルのうちの1つ(山歩きサークル、某旅行サークルとは別物)の合宿が始まる。バスで長野に移動し、しばらくの自由時間のあとBBQ(…って言いながら自分たちは焼かない感じ)と花火をした。
8/17(土)、合宿2日目。長野県の飯縄山へ。頂上は曇りのため意外と眺望が良くなく、あとめっちゃトンボいた。そして宿に戻ると肝試しがあって、女子とペアになるなどした。
8/18(日)、合宿3日目。斑尾山へ。頂上付近の景色はめっちゃ良かった。宿に戻ると、謎解きのクイズ大会的なのがあってとても面白かった。ちなみにこの合宿についても後ほど旅行編で。
前回の[雑]でも言ったように、私はこうやって旅に出るとよく写真を撮る。同時に自分が写った写真もよく撮るものだ。すると、我ながら自分はいい笑顔で写っているものだ。
そう、自分で言うのもなんだが、私の特技は「笑顔」なのだ。今回は「笑顔」について語ろう。
…ここから先若干キツイ文章が続くと思うが、決して宗教とかじゃないのでお許しを()。
私の笑顔、これは写真を撮られるときに限らない。人と話しているときも、バイトで接客するときも、そして作業しているときもたまに(ちょっと気持ち悪いかね……)。もはや意識するまでもなく、笑顔になっているのだ。
大学での所属団体での自身の評価も、「笑顔が素敵」というのが結構見られて私も嬉しい。やっぱ、自身の表情が褒められるって良いことよ。
なんで私はいつも笑顔なのだろうか。それには、「これまでの生き方」と「現在の生き方」が関わってきたように感じる。
「これまでの生き方」について。私は一言で言うと「優柔不断」な人間であり、これまで(特に中学生時代までは)周りの顔を過度に伺いつつ生きてきた。その際、周りの空気を乱さぬよう「愛想笑い」を多くするようになったのである。この時は無理して笑っていることも多く、100%良いこととも言えなかった。しかし今となりゃ、それのおかげで「笑う」という行為に全く抵抗を覚えなくなり、むしろ「愛想笑い」などと言われる笑いが意識せずとも出るようになったのである。同時に笑い方も改善され、不自然さのかけらもない笑顔ができるようになった。結果として、今や笑顔が自然と出てくるようになった。このような過去が良かったのか悪かったのかは分からないが、少なくとも自身の笑顔を高めるのには非常に貢献したと考えている。
そして「現在の生き方」について。私は現代社会について考え事をすることは多いが、基本的に前向きな人間なので、端的に言えば「人生が楽しい」。ある意味好奇心旺盛で、楽観的な人間なのである。興味が広い範囲に及ぶ性格のおかげで常にやりたいことが多く存在し、それをこなす計画を立てることや実際にこなしていくことに快楽を感じるのである。そしてそれは尽きることなく、「じゃあ来月はこれやりたい」「来年はこれやりたい」などと続いていくのである。だから生きること自体が楽しく、そんな楽しいことをこなしているから自然と笑顔が出るのである。
では、笑顔でいることの何が良いのだろうか。
まず、笑顔でいることでさらに楽しい感情が湧くのだろう、と私は思っている。表情と感情は相互に影響を及ぼしあう関係で、「楽しいから笑顔になる」と同時に「笑顔だから楽しい」ともなり、これが好循環を及ぼすのではないだろうか。だから、楽しいときに素直に表情に表すのは良いことだと思っている。
次に、相手からの印象である。先ほど私の大学の所属団体での評価について触れたが、私の「いつも笑顔」というのは大抵肯定的な文脈で語られる。(深く真摯に謝らねばならない状況などを除き)誰も笑顔でいることなんて責めない。むしろ「この人は悪い人ではない」と相手に好印象みたいなものを与えると思っている。そりゃそうでしょう、よほど笑顔が気持ち悪くない限り()、真顔の人と笑顔の人とでは笑顔の人の方が印象が良いんじゃないの。それに、相手が笑顔だと自分も清々しい気持ちになるものである。
あとは究極「写真写りがいい」である。でもこれ、結構大事だからね。自分の写真に自分が渋い顔で写っていたら嫌じゃん。外部に見せる写真なら(まあ証明写真的なのは別としても)なおさら。
まあ、常に笑顔なのも良いことばかりではない。例えば、深刻なミスをして謝らねばならない時。この時は真摯な謝罪のために真顔を貫く必要があり、笑顔になってはならない。謝罪でなくても、真剣・深刻な話をしている時でも。
これは私自身も若干困った。なんせバイトの接客中のクレーム対応でも、下手すると笑顔が出てしまうからである。自戒も含めて言うが、笑顔と真顔の切り替えはできた方がよっぽど良い。
じゃあ、笑顔ってどうやったら自然と作れるようになるのか。これは私も、表情が固いことだけが玉に瑕の友人から質問を受けたことがある。
それは私の経験からするに、「最初は頑張っていつも笑顔を作る」ことではないかと思う。私自身、無理もしつつ愛想笑いを多くしていた結果自然と笑顔が出るようになり、笑顔の様子も不自然でなくなった。要は、笑顔を作ることに慣れるのである。
普段から、些細なことでもいいから笑ってみる。人と話すときに笑顔で応対してみる。ちょっと大袈裟でもいい。そしたらいつのまにか、自然と笑顔ができているかもしれない。
…別に私は「笑顔教」とかいう宗教を布教したいわけではない()。だが、今の疲れて笑顔が失われつつある現代人にもっと笑顔の大切さに気づいてもらい、笑顔を増やしてもらいたいものだと考えている。
みなさん、笑顔を大切に。
それではまた。