どこかの元T大生の思考

不定期です。旅行と考えることが好きな元T大生が、たまーに駄文を公開します。旅の記録を語る[旅]、何かに対する見解や主張をぶつける[論]、自分の生き方について思いを巡らせる[憂]、趣味などについて書き散らす[雑]の4つのカテゴリーで。

[雑39]旅をするわけについて、考えてみる(2023.12.3)

実は向き合っていなかった問に、向き合ってみた。

 

 

なぜ、旅をするのか?

 

小さな頃から日本の地図と路線図を眺めることが好きで、行ったことのない地への思いをずっと馳せていた。大学受験終了以降、それまで難しかった遠出を繰り返し、行ったことのない地を徐々に減らしていった。大学卒業を前にして、「最長片道切符」を使った長大な旅を敢行し、47都道府県への宿泊とJR全路線(当時)完乗を果たした。社会人になった今もなお、週末を中心に遠出を繰り返している。

趣味は何かと問われたら、国内旅であると明言できるくらいには、旅をしている。

 

……そう自覚している私であるが、「なぜ、旅をするのか?」という問いに対しては、あまり真剣に向き合ったことがなかったものである。

 

最長片道切符の旅を実行した理由、それ単体はかなり明確である。もともとのきっかけは[雑22]の記事の通り、「今しかできないことを成し遂げたい」であった。それに追加して、当時中途であった「47都道府県への宿泊」「JR全路線完乗」を遂行したいとの意欲が加わり、一般にとんでもないと思われるような行程を計画・実行したものである。

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しかしながら、数ある「今しかできないこと」の中から、国内での長旅という対象を選んだのは、なぜだろうか。そもそも大学受験終了後に遠出を繰り返すようになり、ゴールとして「47都道府県への宿泊」「JR全路線完乗」を真剣に目指していたのは、なぜだろうか。そのゴールが達成された後もなお旅を続けているのは、なぜだろうか。

 

 

地図・路線図の閲覧を重層的に楽しむ

 

「小さな頃から日本の地図と路線図を眺めることが好きで、行ったことのない地への思いをずっと馳せていた」が影響しているのは、間違いない。

 

「小さな頃」というのも、親によれば物心つく前からそうだったみたいなので、この地図・路線図への関心の根源を厳密に探るのは容易でない。とはいえ、幼稚園の時点で早々に関心対象から離脱した「自動車のエンブレムや車種」「サラ金のマーク」(←なぜ?)などと違い、「地図・路線図」というのはこの年齢まで未だ好んで閲覧する存在である。

地図・路線図の何が良かったのか、考えると

①未知の領域の存在を、手軽に知らせてくれる

②居住地や最寄り駅といった既知の領域も記載されているため、既知の領域の延長に未知の領域があることを感じ、ワクワクできる

③そしてその未知の領域を、現地訪問によって実際に確認するという形で、単なる情報収集にとどまらない重層的な楽しみ方ができる

といったところか。①は幼児の関心対象全般に言えそうだが、②は地図という媒体ならではの特徴の一つであろう(サラ金で②が生じてたまるか)。そして親がアウトドア派だったため、③が幼い頃からたびたび生じていたのも、関心の継続に大きく影響していそうだ(対照的に自動車のエンブレムや車種については、親の車の買い替え頻度の関係もあり③は生じづらかった)。

4年前に[雑6]で以下のように記しているが、これは結局幼い頃から本日までずっとそうなのである。

路線図や地図は、眺めているとそれだけで世界が広がるような感覚を得られる。路線図をたどっていくことで脳内で旅行をしたり、地図の細かい部分に目を向けてみて街並みを想像してみたり、知っている都市同士の位置関係・アクセスを把握したり。そうだ、別に「〇〇から××に行くために見る」という目的がなくても、眺めているだけで楽しいのだ。

また、その上で実際に現地に行ったり鉄道に乗車したりすると、脳内イメージの再確認につながる。これが結構快感たり得るのではないだろうか?

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①②は現物地図とインターネットさえあれば容易に生じさせられるため、関心のある地域はどんどん増えていく。一方で③については、資金・時間のない高校生までは基本的に近場or家族旅行or学校行事に絞られ、たびたび生じるといっても限度がある。

だからこそ、大学受験が終わり時間に余裕ができた途端、自発的に③を達成すべく遠出をするようになった。そしてそれとは別に①②は生じ続けるため、それに応じて③のための遠出も繰り返されていく。

 

ちなみに、現代ツーリズムの本質は「既知の場所の追認」であるという考え方([雑30]でも少し触れている)があるが、③の楽しみ方はまさにそれであろう。地図・路線図の閲覧によって得られた地域・施設・交通網の情報を確認するために現地に赴く、その「既知の場所の追認」に楽しみを見出すのである。

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かくして、地図・路線図ならではの魅力に取り憑かれた私は、それにより得られた情報の確認として、遠出を繰り返すようになった。

 

 

制約の中、一定の目標を達成しようとする

 

遠出を繰り返すようになったといえ、大学生の私は大量の資金を有しているわけではなく、かつ資金調達のためのバイト等により時間的制約も存在した。無秩序に遠出をしたいところであったが、必然的に、それらの制約の中での実施に限られた。

そこで私は、大学時代に達成可能と思われる一定の目標を設定し、その達成に向けて遠出計画を組んでいくこととした。

 

さて、一口に「地図」「路線図」といっても様々な種類があるが、私が幼い頃から慣れ親しんでいたのは「都道府県パズル」と「首都圏鉄道路線図」である。

都道府県パズル」について。地図というただでさえ好きであった媒体に、パズルという楽しませてくれる要素が加わっているのだから、幼い私がハマらないはずがなかった。パズルだから当然最初は都道府県の形だけであったが、そのうちその都道府県の中身(地理、交通)にも関心が向くようになる。そして小4で地図帳を手に入れて以降、各都道府県の様子を知るべく地図帳を眺める生活が出来上がっていった。ここで①②が生じていったため、③を実現すべく「全ての都道府県に行きたい」という思いが生まれた。

「首都圏鉄道路線図」について。私は諸事情により幼稚園入園以前から、ある首都圏私鉄に乗る機会が多かったのだが、どうやら扉上の駅名一覧を見るのが好きで、3歳にしてその路線の全駅名を覚えていたらしい。そのうちJRに乗る機会も出てくるわけで、するとJRの路線図(今は「路線ネットワーク」と書いてあるアレ)に釘付けになる。そこに書いてある範囲を一通り覚えると、今度は範囲外(常磐線の高萩より先とか)に興味が向くわけで、市販の全国鉄道路線図を眺めるようになった。ここで①②が生じていったため、③を実現すべく「日本の全ての鉄道路線に乗りたい」という思いが生まれた。

……ゆえに、私の欲求は「全ての都道府県に行きたい」と「日本の全ての鉄道路線に乗りたい」が核となっていた。

 

当初私は、「47都道府県への到達」「国内全鉄道路線完乗」であれば、大学4年間でも達成できそうだと思った。しかし実際に始めてみると、「47都道府県への到達」は大学2年の時点で達成できてしまったため、「47都道府県への宿泊」へと目標を引き上げることとなった。一方で「国内全鉄道路線完乗」には時間が足りず、逆に「JR全路線完乗」へと目標を引き下げることとなった。

 

……ここで補足となるが、私の旅については、「47都道府県への到達/宿泊」「JR全路線/国内全鉄道路線完乗」は【それ自体を目的としている】ということに留意されたい。魅力的な場所を訪問していった結果として達成されれば良い、というものではなく、明確にそれを目指しているのである。

例えば福井県を例に挙げれば、北陸本線で通過しただけで「福井県到達」(2018/9/2:[旅9]参照)、夜中のえちぜん鉄道勝山永平寺線を往復するだけで「福井県鉄道路線完乗」(2022/2/23:[旅44]参照)、これらは私にとって許容されるのである。別に「福井県の観光地」や「昼間の車窓」を確認できなくたって、「福井県という地域が存在すること」や「福井県内に地図通りの鉄道路線が存在すること」の確認はできるのだから。また私にとって福井県初宿泊は観光地の芦原温泉であった(2020/8/24:[旅54]参照)が、これも「芦原温泉に宿泊したい」より「福井県に宿泊したい」が先に来ているものであり、当時GoToトラベルで安かったから芦原温泉に泊まれただけであって、別に福井駅前のネカフェでも許容されていたのである。

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……こう言うと、奇妙な目で見られるかもしれない。せっかく遠出するのにそんな感じで良いのか?ただそれだけのために金と時間を使って虚しくないのか?と。しかし考えて欲しい。一口に遠出といっても、人によって・シチュエーションによってその目的は異なってくる、このことは疑いなかろう。福井県への訪問だって、「芦原温泉目当ての温泉ファン」と「丸岡城目当ての城郭ファン」と「一乗谷目当ての歴史ファン」と「恐竜博物館等目当ての恐竜ファン」と「永平寺に行く曹洞宗信者」と「サンダーバード目当ての鉄道ファン」と「福井県の恋人に会いに行く人」で行程は異なるし、ひとえに東尋坊に行くといったって目的は必ずしも全員一緒とは限らない。私の場合、最初は「福井県という地域が存在することを確認したい人」、続いて「福井県に宿泊したい人」、続いて「福井県内の鉄道路線を完乗したい人」であったから、それに従って行程を組んだ、ただそれだけなのである。

 

かくして、私は大学生の間のひとまずのゴールを「47都道府県への宿泊」「JR全路線完乗」として、旅を計画・遂行していくこととなった。これに「今しかできないことを成し遂げたい」という思いが加わって、最長片道切符の旅が完成していく。

 

 

広い日本の中で折り合いをつけつつ、新たな目標を設定し旅を続けていく

 

最長片道切符の旅+αにより、私は大学生のうちに「47都道府県への宿泊」「JR全路線完乗」を達成した。しかし当初目標である「国内全鉄道路線完乗」は達成されていないため、今度は「国内全鉄道路線完乗」を目的とする遠出を続けることとなった。

では「国内全鉄道路線完乗」が達成されれば旅は終わるのかというと、そうではないと思う。

 

「47都道府県への到達/宿泊」「JR全路線/国内全鉄道路線完乗」を目的に旅をしているからといって、それだけで満足できるわけではない。

日本地図を眺めていると、鉄道路線が通っていない地域など多数目につくわけで、その地域の実在を確認するには「47都道府県への到達/宿泊」「JR全路線/国内全鉄道路線完乗」を目的とした旅では到底足りないのである。例えば、福井県については全鉄道路線完乗もすでに達成しているが、鉄道空白地帯にある丸岡城も訪問したいし、自治体として鉄道の通っていない越前町や池田町にも行ってみたい。「福井県という地域が存在すること」や「福井県内に地図通りの鉄道路線が存在すること」だけでなく、「福井県の観光地」や「昼間の車窓」もできれば確認したいのである。

 

しかし、地図・路線図で確認した全ての土地を訪問することは、大学4年間のみならず人生全てかけても到底不可能である。「狭い日本」などのたまう人もいるが、日本は広い。一定の目標を設定するにしても、それが「国内全ての名勝を訪問」「国内全ての郵便局を使用」などであれば困難極まりない。

だからこそある程度は、達成可能な目標(「47都道府県への到達/宿泊」「JR全路線/国内全鉄道路線完乗」など)を設定しそれを第一目的とした旅を実施して、その中で訪問できればラッキー、みたいな感じで折り合いをつけるしかないのである。福井県であれば、「47都道府県への到達/宿泊」「JR全路線/国内全鉄道路線完乗」を目的とする旅の中で、行程に余裕があったから東尋坊訪問ができてラッキー、福井中央郵便局を使用できてラッキー、といった感じである。

 

一方で、人生にはまだまだ時間があるというのも事実である。そのため「国内全鉄道路線完乗」の達成後又は達成の過程の中で、例えば「現存十二天守全訪問」という目標を達成するのは難しくないし、「国内全市町村到達」という目標も「国内全ての郵便局を使用」ほど達成不可能とはいえない。

そのため、達成不可能ではない目標を新たに設定し続け、訪問できる土地を増やしていく、という感じで旅を続けることは十分想定される。福井県であれば、「現存十二天守全訪問」「国内全市町村到達」の目標のもと丸岡城越前町・池田町に足を運ぶ、その行程の中で名勝や郵便局にも行けたらラッキー、といった感じで。

 

かくして、私は社会人になった今も「国内全鉄道路線完乗」を目標に遠出を続けるし、たとえそれが達成された後でも無数の行先候補がある中、ある程度の折り合いをつけながら新たな目標を設定して旅を続けると思う。

 

なお、私の今の旅の特徴として「国内で完結する」「行き当たりばったりでなく、計画を立てて実行する」というものがあるが、これは上記スタイルゆえのものである。そもそも日本自体が広いからまず国内に焦点を向けて旅をし、目標がありそれを目的とするからこそ綿密な計画を要する。

 

 

楽に達成できる、という側面も否めない

 

旅というのは、スタイルによっては案外楽なものである。

 

直前に述べた通り、私の旅は「国内で完結する」「行き当たりばったりでなく、計画を立てて実行する」スタイルである。このスタイルでいる限り、盗難、遭難、食糧不足、野宿といったリスクが小さく安全に旅を実行できるし、万が一の事態があっても、電波が通じる地域であれば外部への救援を要請できる。

また、私は普通自動車の運転免許をもっているものの、「国内全鉄道路線完乗」を目標としている関係で公共交通機関の使用を好む。集中して自ら自動車を運転する必要が無いため、(乗り過ごしに気をつけさえすれば)割と気を抜きながら旅をすることができる。

そして、最大の特徴が、一人旅がメインであるというところか。

 

一人旅というのは、まず自らの体力のみに合わせた行程を組むことができる。そのため若い今であれば、朝早くから夜遅くまでずっと移動しているような行程や、小走りを必要とするような無理ありげな行程を組んでも、自分の体調さえ良ければ遂行できる。

また、一人旅は日程の融通がききやすい。そもそも同行者との日程調整が不要だし、予定が入ったり体調を崩したりで遂行できなくなった場合も、突然めんどくさくなった場合も、すぐに取りやめできる。逆に日程を延ばしたくなった場合や、前日や当日に突然遠出したいと思い立った場合も、交通機関や宿の予約以外に何の調整も要らず実行できる。旅をしている最中も、追加で寄りたい場所が出てきた場合などは、行程を柔軟に組み換えることができる(最長片道切符の旅ではよく柔軟に組み替えたものだ)。

そして、行程のハードさや日程の融通以外においても、同行者がいないため気を遣う必要がない(もちろん周囲の他者に不快な思いを与えぬよう気をつける必要はあるが)。都合によりパソコンやスマホでずっと作業しながらの旅になっても、計画の不備による行程の乱れがあっても、食事が疎かになっても、誰にも迷惑はかからないし文句を言われない。とても自由なのである。

逆に、長時間孤独でいるのがしんどいため、一人旅は辛いという人もいるだろう。それも分かるが、しかし私の場合は一人の時間を過ごすことに慣れているため、何も辛くないどころか自由で楽しい行為なのである。この点、「一人旅は移動式引きこもり」という言葉は言い得て妙で、知り合いと離れ一人の気楽な時間を選ぶ私は、引きこもりのようなものである。

 

大学生活の最後、数ある「今しかできないこと」の中から国内での長旅という対象を選び最長片道切符の旅を実行したのには、このように案外楽に達成できるから、という側面も無視できない。

 

「なぜ、旅をするのか?」という問いに対する答えとして、「自分探しのため」というのは一つの模範回答であろう。しかし私の場合、ここまで読んだらもう分かると思うが、残念ながらそんな崇高な目的で実施しているのではない。旅を通して成長しようなど、一切考えていない。「旅」という言葉を使うのも憚られるのでは、崇高性を感じさせる要素のない「遠出」という用語に留めた方が良いのでは、と思うくらいである。

私にとって旅というのは、地図・路線図で知った情報を確認する「既知の場所の追認」という楽しい行為であり、それが自分にとって楽だからこそ実施しているに過ぎないのである。つまらない回答だと思うが、これが事実なのである。

 

 

一方、思いがけない出来事も面白い

 

この通り、私が実施する旅は「既知の場所の追認」であり、行程も十分に計画された極めて安全なものである。基本的には予定通り粛々と進むものであって、何が起こるか分からないというワクワク感はさほどない。

しかしながらその中でも、思いがけない出来事というのは、たびたび生じるものである。

 

時間があったため急遽降りた駅、下調べをしていなかったが訪問の価値があった観光地。(2018/3/21:[旅3]参照)

行程のミスによる、雨降る夜中の長大な徒歩。(2019/8/14:[旅21]参照)

バスを逃したところの、救世主であるタクシー相乗り。(2020/3/6:[旅26]参照・[雑28]にも記載あり)

ネカフェに向かって夜中の田んぼの中を歩く中、ふと空を見上げると、満点の星空。(2021/11/6:[旅56]参照・[雑28]にも記載あり)

大雪で列車が運休、余った時間で初めて訪問した、雪国のある街の風景。(2022/2/6:[旅35]参照)

ゲームの関係で本来下車しない駅で下車し、歩いていたらたまたま見つけたローカルチェーン、あまりにも美味の丼。(2022/2/28:[旅46]参照)

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思いがけない出来事というのは、いくら強運の私であろうと、いくら計画された行程に従った旅であろうと、良い意味でも悪い意味でも起こり得る。良い意味での思いがけない出来事というのは、その旅で得られるものが増えるという点で、単に嬉しい。悪い意味での思いがけない出来事も、それは必ずしも悔しいものではなく、代わりに別の予定外のことができるようになる等して、良い思い出になることも多い。結論、思いがけない出来事というのは面白いのである。

このような出来事は、行き当たりばったりスタイルの旅であれば多いかもしれない。しかし行き当たりばったりスタイルは遭難や野宿といったリスクを伴うものであり、一定の目標の達成に向け計画を立て実施する今のスタイルと比べ、私は割に合わないと考えている。リスクの小さい今のスタイルの中で、それでも思いがけない出来事で面白さを感じることができる、それこそが良いものである。

 

 

集団旅行の良さ

 

一人旅が好きな私だが、不思議なことに、一人旅よりも集団旅行の方が楽しい思い出として残るのである。最長片道切符の旅においても、中断してサークルの卒業旅行に参加していた期間と家族旅行に行っていた期間が、肥前山口駅到着時以上に楽しい思い出として、強く印象に残っているものである。自分が計画しない旅行であれば、基本的に「47都道府県への到達/宿泊」「JR全路線/国内全鉄道路線完乗」といった目標からは外れてしまうにもかかわらず。

一人旅は自由な分全ての責任が自分に生じるが、集団旅行の場合、自分が計画者でない場合は自分が行程の責任を負う必要がなく気楽である。また、レンタカーを使う旅程の場合、集団の方が一人当たり費用が少なく済む。そういった気楽さや安さも一つ要素としてあるとは思うが、別に自分が計画した公共交通機関での旅(例えば2020/10/31~11/1の西日本大移動:[旅54]参照)であっても集団旅行は楽しい思い出になるので、別の要素があるのだろう。

 

先日、修学旅行生と同じ航空便に乗り合わせる機会があった。往路便出発前の元気な様子、離陸の瞬間に上がる集団での歓声と拍手、着陸後の浮ついた空気感、こちらとしても微笑ましくなったものである。また、別の学校の復路にも立ち会ったが、友と話しながら搭乗していく生徒とその写真を撮るカメラマン、乗務員が機内アナウンスで言った「皆さん修学旅行は楽しかったでしょうか、この思い出をずっと大切にしてください」といった言葉、非常に印象に残ったものである。

 

ふと、自分の修学旅行の思い出を振り返ってみる。自分の修学旅行も確かに、自分の記憶に強く残っていた。そしてそれは、単に未知の場所への訪問が達成されたからのみならず、青春の一ページにおける「二度とないタイミングでの二度とないメンバーでの旅」であるからこそ、印象深いのではないかという気がする。「離陸の瞬間に上がる集団での歓声と拍手」や「友と話しながら搭乗していく生徒の写真」は、二度と再現されないだろう。この点、卒業旅行も同じだと思う。

だからといって、「いつメン」での旅が魅力的でないわけはない。私も特定の友人と何回も旅をしたことがあるが、これは何回目でも楽しいものである。気の知れた仲間と一緒にいるのはそれだけで楽しいし、旅の思い出を共有できるというのも良いのだろう(私もその友人とはよく過去の旅の話をするものだ)。旅の最中に「元気な様子」「浮ついた空気感」になるのも無理はない。これは、落ち着いて実施される一人旅とは大きく異なる点である。

そもそも、大切にしている思い出というものは、往々にして美化される。2021年10月に実行した北海道・福井一人旅([旅56]参照)などは、オンライン授業の受講や卒論関係作業を実施しながらの旅であり、終了直後には「日常の延長にある旅は楽しくない」と評していたが、今はとても楽しい思い出として残っているものである。不満な点が少しあっても、全体で楽しければ楽しい思い出として残り、そしてその思い出は集団旅行であれば、同行者と共有できるものになる。

 

一人旅と比べて集団旅行というのは、同行者の存在による自由度の低下はデメリットとなるが、一方で同行者の存在はメリットにもなる。そしてその唯一性や、思い出を共有できる性質ゆえに、集団旅行は特に楽しい思い出として残るのではないだろうか。

 

 

また、次の場所へ

 

「国内全鉄道路線完乗」や「現存十二天守全訪問」「国内全市町村到達」に加え、私は新たに「温泉むすめのいる温泉地制覇」という目標を定めた。そしてさらに、誰も考えないような目標を新たに定め、その遂行に向けて大きな計画を立てて実施し始めた。

その目標が何か、どんな計画が立っているかは、次の記事で語ることとしよう。

 

「既知の場所の追認」という楽しくて案外楽な作業を進めながら、思いがけない出来事による面白さも楽しみ、別の楽しさを有する集団旅行も積極的に参加していく。

 

私はまた、次の場所へ出かけていく。