どこかの元T大生の思考

不定期です。旅行と考えることが好きな元T大生が、たまーに駄文を公開します。旅の記録を語る[旅]、何かに対する見解や主張をぶつける[論]、自分の生き方について思いを巡らせる[憂]、趣味などについて書き散らす[雑]の4つのカテゴリーで。

[雑6]地図とか路線図を眺め、覚える楽しさ

路線図を眺めるのって、楽しくない?

 

 

 

最近、ブログが確実におろそかになっている。「毎日書く」ありきになっているからだ。

タイトルと最初の体裁だけ整え、日付が合うように投稿しておく。その後で時間ができた時に、書き直したり写真を加えたりする。…こんなの勿論良くないから、来週こそはその日のうちに完成させたいねぇ(と言って何日も経ってる)。

とりあえずまあ今週の分は、明日とか明後日にでも書き直しておこう。

 


気を取り直して、まずは週の振り返り。

8/26(月)、とあるスタディツアーの説明会が昼にあり、そのために本郷に向かった。終わって昼食を済ませると、1時間半くらいだけUber Eatsの配達。そして秋葉原から千葉方面の大回りをしつつ、先週分のブログの書き直しと委員会の仕事をこなした。

8/27(火)、高校の友人とともに、新潟にいる他の友人を訪ねに行った。青春18きっぷを用いて高崎線上越線経由で向かい、モグラ駅こと上越線土合駅で下車もしてみた。そして友人の宅に行き、新潟駅前での夕食後、ゲーム等をしつつ宿泊。詳しくは後ほど旅行編で。

8/28(水)、友人宅を出て、磐越西線を東に向かい会津若松観光。鶴ヶ城を見て、お土産を購入し、喜多方ラーメンを食べた。そして東北本線を南下して帰宅。

8/29(木)、とあるところの1dayインターンシップに参加、面白かったがよく考えさせられた。終わると神保町のボンディで友人と夕食、そして歩いて日比谷公園に行って色々と話をするなど。帰宅は終電だった。

8/30(金)、これまでの疲れから午前中はずっと寝ており、起きると「朝会おう」と言っていた幼稚園からの友人に会いに行った。とある商品の受け渡しが目的だったが、つい2時間くらい立ち話してしまった。それから、都内で行われていた合唱団のジョイントコンサートを見に行った。

8/31(土)、1日中Uber Eatsの配達。自分史上最多の24回配達を実現させ、14,000円程度を稼いだ。配達しつつ委員会の仕事も少ししていた。

9/1(日)、親の結婚記念日に合わせた家族写真の撮影があり、その後昼食を食べに行った。終わると東京に出て少し配達、色々あって3時間で7,000円くらい稼いで満足して終了。そして大宮に向かい、高校のクラスメートと夕食。また昼食・夕食ともに食べ放題だった。よかった。

 


さて、関東の大回り(JRの東京近郊区間内で、出発駅と目的駅の間の経路は同じ駅を通らなければ遠回りが可能という特質を使い、初乗り程度の激安運賃で途中下車なしに遠くに行くこと)および新潟・会津若松への鉄道旅行は、計画するにあたっては路線図を参照する必要がある。また、今週23,000円程度稼いだ配達については、店と配達先が示された地図(スマホ上)を参照する必要がある。

すなわち私の生活においては、このように路線図・地図が重要となっているのだ。

 


路線図や地図は、眺めているとそれだけで世界が広がるような感覚を得られる。路線図をたどっていくことで脳内で旅行をしたり、地図の細かい部分に目を向けてみて街並みを想像してみたり、知っている都市同士の位置関係・アクセスを把握したり。そうだ、別に「〇〇から××に行くために見る」という目的がなくても、眺めているだけで楽しいのだ。

また、その上で実際に現地に行ったり鉄道に乗車したりすると、脳内イメージの再確認につながる。これが結構快感たり得るのではないだろうか?

 


あまりにも地図や路線図を眺めていると、おのずと地図・路線図自体が脳内に構築される、すなわち覚えることがある。私の脳内には全国ほとんど(名古屋地区の地下鉄とかはまだだけど、、、)の路線図が入っているし、全国の自治体名なら大概位置がわかるし、よく配達する東京山手線内なら各地区の位置関係・標高・アクセスも把握している。こうするとルート構築が大体頭の中でできるようになり、非常に便利だ。例えば大回り乗車はどの路線・区間が可能なのかは勿論、どれだけの時間でどれだけ行けそうかもわかる。新潟や会津若松に行くにあたっては、どの路線を使うのが適切かが一瞬でわかった。東京での配達についても、秋葉原から不忍池西側、武蔵小山から白金付近、表参道から四谷三丁目など、大体理解できる。

 


まあ大した目的なしに路線図・地図を眺めること自体オタク的ではあるが、改めて言わせてもらおう。眺めるだけで楽しいものだよ。それを覚えてしまうと便利だよ。

以上、オタクからの言葉であった。