どこかの元T大生の思考

不定期です。旅行と考えることが好きな元T大生が、たまーに駄文を公開します。旅の記録を語る[旅]、何かに対する見解や主張をぶつける[論]、自分の生き方について思いを巡らせる[憂]、趣味などについて書き散らす[雑]の4つのカテゴリーで。

[論16]東京って怖い、でもすごい

東京は、特殊な街だと思う。

 

 

 

私は東京都の隣、埼玉県に在住している。埼玉県の中部、典型的な「衰退した郊外の町」だ。そこから毎日のように東京という「大都市」に出て、大学で勉強したりサークル活動に出たり労働をしたりしている。一方で旅が好きなため、東京からも出て日本中の「地方都市や田舎」に行くこともある。

そうやっていろいろなところを見ていると、「東京」という街に対して他では見られないような特殊性を感じることがある。それについて、偏見まみれの素人ながら書き記してみようと思う。

「東京の人」というのが主語になるなど、主語が大きくなることがあるがご了承いただきたい。「東京の人全員」を指しているわけではなく、あくまでも「東京の人の多く」もしくは「東京の人の一部」である。また、若干論点がずれること、偏見が含まれていることもあるがお許しいただきたい。だってこのブログ自体、駄文書き連ねただけだし。

 

 

「人が多い」

まあ東京と言ったらこれだろう。旅から帰ってくる時とか、毎回のように「なんで東京ってこんな人がいるんだ」と思うものだ。東京の人口密度は、世界的に見てもおかしい。正直な話、東京の人口半分くらい減っちゃえよと思うこともある。

人が多すぎることで、まあいろいろな問題が発生しているだろう。まず、東京のあらゆる路線で満員の「通勤電車」もとい「痛勤電車」が発生している。すし詰め状態で、となりの人が自分のプライベートゾーンにまで入っている状態である。普通に考えて恐ろしくないだろうか。自分のスペースが全く確保できず、得体も知れない人間の肩が自分の体に当たってくる。常に誰かの体が自分の体と接触している。そんな知らない人間に押しつぶされそうになる。手を動かすこと自体満足にできない。電車が急停止した時なんて、ドミノだおしだ。痴漢だってされやすい。「自分の自由がほぼ確保されない」「知らない人が自分のとても近くに居続ける」「単純に苦しい」とか、いろいろな面で満員電車は怖い。

電車の外に出ても、混雑していることに変わりはない。通勤時間帯なんて駅から出るので精一杯。駅から出ても、新宿東口とかでは人ばっかでなかなか進めないし、足元を満足に見ることもできない。店に行っても、待ってる人ばっかのこともあって相変わらず混雑。そんな状況、怖い。

あと、自転車で配達をやっているとヒヤッとすることが多い。そもそも自転車は車道を走るのが通常だけど、東京だと人口が多くて自動車の交通量も多いし、加えて路駐も多すぎるから満足に走れない。そんで歩道に行くと、今度は歩行者が多すぎて徐行を余儀なくされる。徐行しながらの自転車の運転は大変だし、歩行者の動きの予測は困難だ。新大久保とか原宿に行った時にゃ徐行しながら漕ぐことだって不可能で、自転車を押して歩くのが強いられてなかなか進めない。人が多いから、いつ自転車が接触してもおかしくない。そんな不安定な状況、怖い。

だからこそ「なんでこんな大変な東京に、地方から人が来ようとするんだ???」って思うのだ。

 

 

「うるさい」

人が多いからだろうか、東京はうるさい。

金曜や土曜日の夜の電車。飲み会の後だからだろうか、みんな興奮してペチャクチャ喋っている。そして日本人特有なのかよくわからない「赤信号 みんなで渡れば 怖くない」理論で、それに触発されて喋る人もいる。車内で喋るだけならいいんだけど、いかんせんうるさすぎる。もうちょい静かに話せないものか。

あと、東京の祭りはひたすらうるさい。この間、原宿を友人と歩いていたら「スーパーよさこい」なるものに遭遇したのだが、スピーカーから大音量で音楽を流していて耳が痛くなった。この間の渋谷の祭りでも、井の頭線西口の目の前で太鼓が非常に大きい音を出していて、耳を塞ぎたくなった。そもそも渋谷や原宿じゃ、祭りの時以外でもやたらうるさい宣伝車がいる。普通の通行人もいるんだ、もうちょい小さい音で済ませられないものか。

東京の人はこういうのに慣れてるのかもしれないけど、普通にうるさくて耳障りなんだよなぁ。それ、全員がそんな大音量を求めてるわけじゃないし。別に音量がすべてじゃない。

 

 

「無関心で冷酷な、ミーハー?」

原宿とかのタピオカ屋では、長い行列ができているのが日常的に見られる。新たな観光スポットができれば、そこに人が群がる。まあこれは東京に限らないかもしれないけど、ミーハーが多い気がする。

一方で、無関心なものには結構無関心なのでは。隣の住民と話したことがない、という人も多いと聞いたことがあるが、これうちの周辺では想像し難い。後述するが、災害についても無関心なのだろうか。

そして冷酷だ。倒れている人がいても、小火の現場に遭遇しても、みんなミーハーの野次馬のように写真を撮るばかり。何かの機会で初対面の人に迷惑を被った時、初対面とは思えぬ乱暴な口調で怒鳴りつける人も多い。不気味で怖い。

まあ「ただでさえ忙しい」「無駄に絡むと面倒なことになる」「プライドが高い」ってのもあるけど、それにしても人の心の暖かさが感じられないな……?

 

 

「みんな顔が死んでいる」

特に通勤時間帯のサラリーマンとか、生き生きとしている感じがしない。周りを見渡せばみんな真顔でスマホをいじったりしていて、不気味にさえ感じる。

…そりゃまあ、40年間くらいずっと痛勤電車に耐えながら同じようなことを繰り返してるんだものねえ。正直、楽しくなさそう……。自分もああなりたくないな、と思ってしまう。まあどうせああなっちゃうんだろうけど。

 

 

「たぶん、金銭感覚が違う」

東京の人、概して地方の人より金持ちの割合が多いと思う。まあ最低賃金が日本で一番高いし、そうなりがちなんだろうけど。それにしてもだ。

Uber Eatsをやっていると、これが肌で感じられることが少なくはない。まず、やたらとタワマンの住人が多い。一等地のタワマンの46階くらいまで配達することもあり、ひどく豪勢で綺麗で自分が入っていいのか疑うレベルのに遭遇することもある。その際は「どれだけ稼いだらこんなところのマンション買えるんだろうな」「自分とは程遠い世界だろうな」と思うものだ。「投機目的で買っている」と言っている人もいるそうだが、それができるのも金持ちだからだろう。

自宅から店まで0.5kmくらいにもかかわらず、デリバリーを頼んでくる人もいる。Uber Eatsでは配達パートナーに対して結構な報酬(0.5kmなら500円くらい、そのうち3割近くが手数料でUberに取られる)が入るのだが、たかが0.5kmくらいでそんなのを払おうと思うのか。そしてその人は、いかにも高級そうなマンションに住んでいる場合が多い。

あと、学生生活でも「金持ち」を感じないことはない。関東住みなのに一人暮らしをさせてもらえる人、親のクレジットカードを平然と決済に使う人、大学生になっても小遣いを大量にもらう人。

まあ私の場合は「普通の学生」だから、そもそも金銭感覚が社会人や裕福な家庭のそれとは違うし、こういう指摘はナンセンスなのかもしれない。でも「景気の伸びが感じられない」「消費の停滞」とか叫ばれる中で、そんな世界とは違う世界があるような気がした。

 

 

「教育熱心」

東大に入って改めて驚いたことの1つに「私立中高一貫校出身があまりに多い」というものがある。ある程度は覚悟していたのだが、改めて度肝を抜かれた。中高一貫校出身ということは、小学校時代から受験をしていたということだ。そんなのがうじゃうじゃいるということだ。正直、すごい。金銭的にも、やる気的にも。

[論14]で、「親の影響」の強さについて述べた。

utok-travelandthinking.hatenablog.com

受験は父親の経済力と母親の狂気にかかっている、だっけか。すなわち、そんな親が大量にいるということだ。まあ、「子どもの数」という母数自体が多いから「中高一貫校出身」も多いように思うのかもしれないけど。

 

 

「災害への危機意識が小さい?」

配達をやって毎回のように思うのが、「東京マンション多すぎでしょ」ということである。体感では、配達先の8割が入り口が施錠されているマンションであり、残り2割も集合住宅だ。一軒家に配達したことは、200回やって5回もあったかどうかってくらい。とにかく、集合住宅ばっか。

「集合住宅ばっか」それだけならいい。だが、「これでいいの?」と思うのは、前述もした「タワーマンションが多すぎる」というものだ。なぜ、何階もあるようなタワマンに平然と住むことができるのだろうか。そんなところで災害に見舞われたら、どうするのだろうか。停電でエレベーターが使えなくなったら、どうやって逃げるのだろうか。下の階で火災が起きたらどうするのだろうか。また仮にセキュリティシステムが壊れて開錠出来なくなったら、どうやって部屋に戻るのだろうか。

あと、タワマンは東京の湾岸地帯にも多いのだが、そこは埋立地だ。液状化現象が起こることもあるだろう。

これは私の偏見だが、東京に住んでいる人の多くは「災害による甚大な被害」をこれまで受けたことがなく、ゆえに災害を「非現実的なもの」と認識している層が多いのだと思う。東日本大震災津波があったって、それは東京から遠い「地方」での出来事で自分たちが受けるものではない、と思っている人も多いのではないだろうか。首都直下地震の話がされることが多いが、もし起こったらどうなるんだろう。

 

 

眠らない街

友人とたわいもない話をし続けた時など、東京23区を出るのが23時半くらいになることがある。しかしながらその時間になっても、当然のように照明がついている建物が多い。霞ケ関などに行ってみると、省庁のオフィスは明るいままだ。駅の周辺だと、人通りも絶えない。24時間営業の店、朝まで営業の店がうじゃうじゃある。渋谷なんかでは、空が明るく思えるくらいだ。

逆に地方都市なんかでは、8時とか9時とかで多くの店が閉まりひっそりとするところも多い印象だ。東京、社畜多すぎか…?

 

 

「地方のことを知らない」

東京には、「東京の当たり前」を「日本の当たり前」と感じてる人が少なからずいるのではないだろうか。そんなことはない。

普通は公共交通機関はこんなに走っていないし、年収200-300万の世帯もいるし、公立の中学校・高校に通うし、高校卒業後に社会人になる人は一定程度いるし、専業主婦は少ないし、地域のコミュニティは存在する。

東京の人達、これを本当にわかっているのだろうか…?

 

 

「みんな忍耐力がすごい」

こんな大変なところで生きている東京の人、「怖い」を通り越して「すごい」。痛勤電車とか大混雑の駅前をくぐり抜け、うるさい街角をなんともないような顔をして通り過ぎ、長い行列にも平然と並び、社畜のように夜遅くまで働く。台風の日でも、地震の日でも出勤しようとする。相当忍耐が必要だろう。すごい。

 

 

文化資本が優れている」

東京にいると感動するのが、博物館や美術館の多さである。多分、東京にいりゃどこでも何かしらの資料館にすぐにアクセスできるだろう。

また、書店も充実している。池袋のジュンク堂とかデカすぎでしょ。

こりゃまあ、博識な学生が生まれて教育熱心な親が生まれるわけだ。すごい。

 

 

「なんでも揃いすぎてる」

東京に対する恐ろしさの1つに、「あらゆるものが揃ってしまう」というものがある。低額なものから高額なものまで。服屋は豊富だし、アクセサリーも豊富だし、薬も豊富。食材だって結構安価で手に入る。アンテナショップとかで地方の物販だって買える。

だからまあ、デメリットを冒してでも東京に来ようとする人が多いんだろうな。すごい。

 

 

多くの点で「怖い」と思う東京だ。しかしそれを裏返してみると「すごい」と感じることもあった。東京、怖いけどそれだけすごい。

 

 

私は、東京から離れることは将来も困難だろう。こんな怖いけどすごい東京と付き合っていかねばならない。

怖さに適応しつつ、すごい人間になって、生きていかねば。