どこかの元T大生の思考

不定期です。旅行と考えることが好きな元T大生が、たまーに駄文を公開します。旅の記録を語る[旅]、何かに対する見解や主張をぶつける[論]、自分の生き方について思いを巡らせる[憂]、趣味などについて書き散らす[雑]の4つのカテゴリーで。

[論13]「文系」「文学部」という分け方

数学と物理のできる文学部生に、なりたかった。

 

 

 

昨日、東大の進学選択の第二段階の結果が発表された。これをもって、多くの東大2年生の後期課程が決まったといえよう。…まあ降年とか第三段階とかもいるけど。

さて、私は第一段階において、文学部のある学科に内定した。ゴリゴリの文系である。文一ゆえに「脱法」という形で法学部を捨てるという決断だが、自分で選んだ選択肢であり、この選択が誤っているとは思っていない。

 


しかし私は内定以来、実は「本当にこれで良かったのだろうか」と思うことがたびたびある。社会学への興味とやる気は結構あるので、そこは大丈夫だ。問題は「文系」「文学部」「人文学科」というものである。

 


この悩みは高校時代まで遡る。

私は高校1年生の時の文理選択において、文系を選んだ。

文系を選ぶ理由として、「数学ができないから」「理科が嫌いだから」といったネガティブな理由をあげる人もいる。しかし私はそうではない。そろばんをやっていたこともあり、むしろ数学は得意科目だった。強いて言えば生物は嫌いだったが、それ以外の理科はそれほど嫌いでもなかったし、地学なんかは結構好きで科学の甲子園に出場させてもらったくらいだ。そんなだから中学の頃は、自分は普通に理系に進むだろうと考えていた。私の母が中学の理科教師に、私が高校で理系でなく文系を選んだことを伝えたところ、その教師は非常に驚いたという。…というか私の嫌いな科目といえば「体育」「英語」だった、そんなん文理関係ない。

私が文系を選んだ理由は、「社会科が好き」それだけだ。地理も歴史も、公民も好きだった。とりわけ地理と日本史は大好きで、東大の受験科目に選んだのも当然この2科目である。この社会科が好きという気持ちが、数学や理科を学びたい気持ちを大幅に上回った。私の高校では理系を選ぶと日本史を選択できず、また地理の時間も減るため、それが嫌で文系を選んだのである。結果、東大の文科を受験することとなった。

だから私は、理系から逃れたわけではない。文系を積極的に選んだのだ。

 


だが、世間の印象として「文系は数学ができない」「文系はコンデンサなど物理を理解していない」というのがあるだろう。私はこれが非常にもどかしいのだ。

前者。私は文系だが、高校の数IIまでは得意科目だった。だから私はむしろ、高校範囲までは数学は得意な方である。とかいってもたしかに数Ⅲの範囲はやっていないため、理系に比べると圧倒的に劣るかもしれない。だから数検準一級を取ってやろうと思っている。数学ができない文系だとは思われたくない。

後者。たしかにその通りであるが、言い訳をさせて欲しい。積極的理由で文系を選んだ私にとって、物理を学ぶ機会などあまり与えられなかったのだ。高校ではカリキュラム的に文系は地学基礎か物理基礎の片方しか授業を取ることができず、地学に少し興味があった私は物理基礎の授業を取り損ねた。それ故に基礎的な知識もなく、大学で物理の授業を取ろうとしても追いつける気がしない。結局学ばずじまいだ。しかし物理はいわばこの世界を支配している原理とも言えるものを学ぶものであり、人間として学んでおきたいとは思っている。

ここまできて考えた。「文系」「理系」という分け方がナンセンスなんじゃないかと。そうやって大まかに括ることで、ある教科を学べなくなるなど一部の選択肢が削がれてしまっているのではないかと。その区分がされることで、「あの教科はできないんだろうな」などと評価されてしまいかねないんじゃないかと。

私が高校時代に文系を選んだ最大の後悔は、「数学や物理をあまり学べない」というものである。私はたしかに社会科の方が好きで、将来の道としても当時から文系を考えていたが、だからといって数Ⅲや物理を捨てたわけではない。世界の基礎となる理論、可能なら学びたかった。「文系」「理系」という区分の押し付けとそれによる高校のカリキュラム・選択肢の固定化、これが阻んできた。あの時だけ理系を選択して東大でも理科で入っておいて、進学選択で文転する、これが教養を身につけるための最善手だったのかもしれない。

 

 

だいたい、すべての学問を2つに分類すること自体もはや不可能だろう。日本では文系に分類される心理学なんか実験を行うし、もはや理系だ。経済学部も数学の知識が要るため、「数学できない人が文系に行く」という一部の層が有するイメージとは隔離する。逆に理系でも都市工学、社会基盤学、建築学などは人間の移動・コミュニティなど文系要素も関わる。そもそも人文地理学とか社会学って、結構都市工学と近いのでは。二分法自体に限界がある。そんなものでカリキュラムを分けてしまうのはもったいないというか、合っていないというか。そんな曖昧な概念でその人間の「数学が苦手」などのレッテルが貼られてしまいかねないのが、もどかしい。

あと「文系」という区分に関して思うのは、「うまい文章を思いつくのは文系だからじゃない」「考えるのが好きなのは文系だからじゃない」というものである。議論をまとめたり表現を工夫して伝えるのを求められたりする時、私はたまに技巧表現を使うのだが、それに際して理科の学生から「さすが文系!」と言われることがある。しかし私は文系だからといって、大量の文学作品を読むことで技巧表現を身につけたわけではないし、それなら理系でもできる。だいたい私は人文科学じゃなくて社会科学の人間だ。あとたまに「理系はあんま学生同士で議論とか好まないかー」という言説を聞くのだが、それも嘘だろう。理科の学生も生産的な議論を好む人が少なからずいるというのは、今年春休みの主題科目でとても感じた。逆に文系だからといって、じっくり考え意見を交換するのが好きとは限らない(まあ私は大好きだけど)。別に「文系だから」「理系だから」とかないから。

 


そして、「文学部」という括りにも私は疑問を感じるのだ。

私は「文学部人文学科」所属となる。これだけ見ると、人は「え、文学でも読んで大学で何してたんだ?」と思うことが多いのではないか。私の友人も、彼の親に私が「文学部」に進学することだけを伝えたところ、不思議そうな顔をされたという。

いや、「文学部」って「文学」部じゃなくて、「文」学部だから。私、別に文学そんな読んでないから。それに社会学だから、社会科学よりで「人文学科」ってのもなんかイメージ違うし。世間の「文学部」に対するイメージとは異なるところにいる、それをわかって欲しい。

 

 

とりあえず、「文系」「文学部」という括りは好きではない。この言葉に対する周りのイメージが変わってくれなきゃ、もはや誤解のようなものを受け続けるようになる。

私はそれを、払拭したい。そんな思いを胸に、「文学部人文学科」への道を進む。