どこかのT大生の思考

不定期です。旅行と考えることが好きなT大生が、たまーに駄文を公開します。自身の生に関する思いを述べる「自省」、旅の思い出を記す「旅記」、社会に対して言いたいことを唱える「主張」、人間関係の悩みを書き散らす「拗人」、その他自分の姿や趣味などを自由に語る「特筆」の5つ。

[主張25]猫嫌いと、価値観への懐疑

なんでみんなあんな無能生物を好むんだよ(暴言)。あんな奴が可愛いと思われる価値観そのものをひっくり返してやりたいよ(暴言)。

※この記事に書いてあることは完全に個人の主観であり、愛猫家を真っ向から否定するものではないことは、最初に留意いただきたい。

 

 

猫が嫌いです

 

突然だが、私は猫が大嫌いだ。

私以上に猫を嫌っている人間はそうそういないだろう、と思う程度には大嫌いだ。

 

「そいつら」は、いつからだか我が家のそばに現れるようになった。私は生物含めて「特定の他者」に関心の薄い人間のため、突如現れた「そいつら」のことも特段気にしなかった。そんなの気にするよりは、自分のことを気にした方がよっぽど良いからだ。

しかしある時、「そいつら」は私の親に連れられて我が家の中に入ってきた。突然我が家はペット持ちの家になった。親は「そいつら」のためにトイレとケージを買ってきた。「そいつら」はどんどん成長して活発に動くようになり、ケージはどんどん大きくなり、家の階段の前には(侵入防止の)扉ができた。「そいつら」は何も気にせず走り回り爪を研ぎ、家の壁を大幅に傷つけた。

別にそれだけなら無視すれば良いだけなのだが、厄介なことに私の生活を侵害し始め、無視できない存在となった。親が不在の時、餌を与えるのが私の役割となった。米袋を「そいつら」が襲うのを防ぐために、米袋を入れるための大きな木箱を作らねばならなくなった。こたつでぬくぬくしようとしても、「そいつら」が否応なく私の邪魔をしてくるようになり、パソコンや図書館の本を置くことさえ迂闊にはできなくなった。リビングに干してあるワイシャツなどが「そいつら」の侵害を受けるようになり、即座に洗濯物を回収しないと酷い目に遭うこととなった。「そいつら」は爪を立てながら私の足をよじ登ろうとし、私に傷を負わせた。食事をするにも「そいつら」が食べようとするのを防がねばならなくなった。「そいつら」はしまいには家の階段の扉を勝手に開け、2階で私が講義をしているのを邪魔し、私の所有物を漁るようになった。そもそも「そいつら」はやたらうるさい声で鳴き、私にとっての騒音そのものとなった。

「そいつら」という一切歓迎していない存在により日常生活が邪魔され、「そいつら」を無視することもできず、私は平穏な生活を侵害された。ついには、「そいつら」がいないというただそれだけの理由で一人暮らしをしたくなったレベルである。

 

妹は「〇〇たん可愛いのう」としつこいくらいによく言う。母親は猫撫で声(正直気持ち悪い)で「そいつら」に話しかける。父親は「そいつら」を目前にすると謎の動きをする。少なくとも、私以外の家族が「そいつら」を可愛がっているのは事実である。また家族以外でも一般の人間は猫に対して「可愛い」との感情を持つらしく、猫単体のみならず「ネコミミ」など猫から派生したものも「可愛い」とされる現状である。

しかし私は「そいつら」を一切可愛いと思わない。勝手にやってきて勝手に人間のリソースを食って、それでいて人間に対して何のリターンももたらさない、ただの図々しい生物である。邪魔者でしかない。あと、いろいろな人がハンドルネームなどで「〇〇ねこ」を名乗るのは気持ち悪くてたまらないし、「かまってにゃん❤️」「にゃーん」みたいな言い方は吐き気が出るほど嫌いになっている。マジで滅びろ。

私以外の人間の「可愛い」という感情のために、私の生活は犠牲になっている。

 

私はかねてより他者に関心の薄い冷酷な人間であり、それを見かねた親が「猫を飼えば少しは暖かい人間になるのでは」と言った。ペットを買えば愛着が湧く、という考えゆえのものであろう。私だって最初はそれを期待していた。

しかし実際は時間が経ったところで、可愛くないものは可愛くない。それどころか、ペットとして飼うことになったことであらゆる負の側面が明らかになり、それまで「好き」とも「嫌い」とも思っていなかったものが「大嫌い」になった。さらには時間が経つごとにどんどん活発になりうるさくなるため、鬱陶しさが増す。ただそんなことを親に言っても「意地を張るなよ」と言われ、友達に行っても「そう思う君は人間として失格」みたいなことを言われる。いや私は本気で「そいつら」を嫌っているんだって。

気になる存在と接触する回数が多いとそれに対する感情が大きくなっていく、という「単純接触効果」が存在する。主に恋愛の場面で用いられる理論だが、異種族間においても当てはまることであろう。それが私の場合は、「嫌い」という感情を助長する方に働いた。

猫を飼えば必然的に「可愛い」という思いと愛着が湧く、という実際は何の根拠もない考えを押し付けられ、それが成り立たない私は「おかしい」「失格」ものとされる。

 

人間の悪口を滅多に言わない(そもそも他者に興味がないしわざわざそれを探すことに価値を感じない)私であるが、「そいつら」に関しては否応なしに生活を侵害してきて構わざるをえないため、ヘイトレベルのとんでもない悪口が数々思いつく。「人間なしに生活できない下等生物」「ネズミがいなければ『可愛い』以外の一切の価値を人間にもたらさない無能」「それどころか人間および人間の所有物を傷つけるマイナスの存在」「『可愛い』ただ一点において辛うじて人間に欲されるだけの雑魚」「リターンをもたらさないくせにやけに餌をねだりにゃーにゃーうるさい声で鳴く我儘と図々しさ満開の生物」「人間の赤ちゃんと違って、成長が一切人間の期待につながらない、なぜ育てるのか意味がわからないレベルのカス」……流石にここらへんでやめておこう。

 

 

「犬が苦手」は許されて「猫が苦手」は許されづらい謎

 

たぶん、犬が嫌いあるいは苦手な人は多くいると思う。現に私も、歩いていて知らない番犬にひたすら吠えられた経験は腐るほどあるため、犬は苦手だ。

一方で「猫が嫌い」「猫が苦手」という声はあまり聞かない。犬の方が番犬としての役割を果たすし利口なのに、そんな犬より無能(過激表現)な猫が嫌われないというのは、本当に謎な現象である。

その理由は「犬は人を襲いかねないが猫は人を襲わない」といったところなのだろう。……いや、猫って本当に人を襲わないのか? 少なくとも私は脚を襲われ出血したが。

 

「猫は可愛い」「全人類は猫を好きである」といった価値観が、もはや社会全体を支配しているように思える。そして多くの人は、その価値観に対して一切疑いの目を持たない。

しかしよく考えてみると、「可愛い」と思われるような犬ですら「苦手」「嫌い」という人は存在するのであって、「可愛いから全人類は好きである」という理論は一切正しくない。

現状は、なぜか猫という特定の種だけが「社会の価値観」という謎の力により守られている状態である。

 

特定生物にだけ当てはまる謎価値観を、堂々と展開しないでくれ。

 

 

現代人はそもそもなぜ猫を飼うのか

 

ネズミが家の中にいることも無くなった現代、なぜ猫は飼われるのか。

私は猫を積極的に飼う理由が一切理解できないため、この問題を考えずにはいられない。

 

まあ答えは結局「可愛いから」「癒しになるから」なのであろう。

現代の猫は愛玩動物である。現代人は生活において様々な苦しみを抱えており、猫はそれを癒してくれる存在として機能するのだと思われる。おそらく他の愛玩動物であるハムスターなんかも同様だ。

 

……だからこそ、「癒し」を求めない&「可愛い」という感情を持たない人にとって、実際猫というのは無意味そのものなのである。少なくとも私には猫は不要だし、メリットが存在しない分デメリットが大きく出て邪魔者となる。

だが、社会の価値観として「猫は可愛い」「全人類は猫を好きである」というものが存在し、猫という存在が無意味となる「癒し」を求めない&「可愛い」という感情を持たない人の存在は無視される。

……特定の価値観にそぐわない人を無視するって、それセクシュアルマイノリティに対してやったらやばいって分かるよね??? 猫の好き嫌いだって極端な話、同じだと思うよ。

 

その勝手な価値観で、一部の人間を無意識に抑圧しないでくれ。

 

 

なぜ「猫を守らねばならない」「猫を虐待してはならない」「猫を殺してはならない」のか

 

猫を積極的に飼う理由は「可愛いから」「癒しになるから」だろうが、飼うきっかけとしては我が家のような「野良猫として迷い込んできたから」「かわいそうで、保護する必要があると感じたから」というのも考えられる。

……だが本当に、「人」という自らの種の保存に一切関係のない猫という存在を、「かわいそうだから」などの理由で守らねばならないのだろうか。

 

私は冷酷な人間なので、他者の生命というのにそれほど関心がない。それでもなんとか人を傷つけず殺さずに生きているのは、「法律で明確に罰せられるから」「周囲の信頼を失うから」以外に「その人も自分と同じように懸命に人生を生きている存在だから」というのがある。しかし猫においては、人間とは異なる存在であり「自我」が存在しないため、殺さないことにおいて「その人も自分と同じように懸命に人生を生きている存在だから」という理由は存在し得ないはずである。

一方で動物愛護団体などの影響により、猫を虐待したり殺したりするのは非道とされる。その理由は「かわいそうだから」であろう。

……だが本当に、「かわいそうだから」という理由で虐待や殺害を行わないのは自明なのだろうか。

 

そもそも「かわいそう」というのは完全に人間のエゴである。猫が保護されないことや虐待や殺害を「嫌」と思っているかは本当はわからない。それどころか、本来の生物システムにおいて弱者(猫)が強者(人間)に危害を加えられることは自然の摂理ともいえ(※この理論は割と怪しいので読者は容赦なく突っ込んでほしい)、人間が猫を守ることは決して自明ではない。

 

異なる種のことを勝手に理解した気持ちになって、謎のパターナリズムをさも当然のように展開しないでくれ。

 

 

去勢は「かわいそう」というけれど

 

私の母親は「そいつら」の去勢手術が終わると、「かわいそうでしょう」と私に向かって言った。

でも去勢は、人間の生活を守るために仕方ないことである。避けることはできない。私は「人間に見つかってしまったのが運悪かったな」と言った。

そもそも「そいつら」は、人間に捕まってこのように育てられなければ、完全に野良のままであれば、わざわざ手術を受けることもなかったかもしれない。繁殖期になる前に、早いうちに死んでいたかもしれない。「かわいそう」とはいうが、「そいつら」をその状態にした犯人の1人は拾ってきた母親よ、あなたである。

 

答えに窮するような問いを、さも自分は一切悪くないかのように出さないでくれ。

 

 

ゴキブリって「可愛くない」ですか?

 

猫と正反対のイメージを持たれる生物といえば、まずゴキブリが存在するだろう。あらゆる人類に(なぜか)好まれる猫と異なり、ゴキブリはいるだけで「気持ち悪い」と言われ駆除の対象となる。

猫が大嫌いな私から言わせてもらえば、この場合ゴキブリだって「かわいそう」である。ゴキブリの場合、人間から「積極的に殺すべきもの」と認識されていることがさらにかわいそうである。

 

謎の価値基準で生命に順位をつけ、その中で「かわいそう」を決めないでくれ。

 

 

まあどうしようもないんだけどね

 

こんな感じで色々と猫に対して恨みごとを言ったところで、私の生活は変わらない。そんな簡単に解消できる関係性ではない。大嫌いな存在が生活の一部になっている、この状態はしばらくは変わらない。

 

というか私は「そいつら」に対して「消えてほしい」とは思うが「死んでほしい」と思っているわけではない。というのも、別に「そいつら」は猫として生を全うしているだけであり、「そいつら」に罪はないからだ。

だからこそ、この問題はどうしようもない。

 

正直、やはり私が家を出ていくことが最適解のようである。まあ就職まであと1年ちょいの辛抱か。

 

若者、猫に家を追い出され(そうにな)る。