どこかの元T大生の思考

不定期です。旅行と考えることが好きな元T大生が、たまーに駄文を公開します。旅の記録を語る[旅]、何かに対する見解や主張をぶつける[論]、自分の生き方について思いを巡らせる[憂]、趣味などについて書き散らす[雑]の4つのカテゴリーで。

[論11]組織のあり方と「権力」「中心」

サークルとか委員会とかの運営を円滑に進めるための、組織体系とか支配者とかに関して、下っ端なりの意見。本音ぶちまけます。

 

 

 

前回言ったとおり、私は現在大学にて6つ(数え方によっては5つとも言える)のサークル的団体に属している。また、高校では同好会と文化祭実行委員会の一部局に属していた。こうやって多くの団体に属した経験があると、ある団体の組織体系を自明視しないために問題点が見えやすいように思える。

一方、すべての団体において役職にはついているものの、高校の同好会を除いてはおよそ「権力がある」とは言えない役職ばかりである。いわば下っ端である。下っ端でいると情報共有や意思決定に不便が生じることがあり、それゆえ「権力」を持つ上層部の動きに疑問を感じることもある。

そんなことから、今回はサークル的団体の組織体系や権力のあり方・問題点について、抽象化しつつ個別的に(?)書いていこうと思う。

以下、私が大学にて属している(いた)3つのサークル・委員会・ゼミ、および高校の文化祭実行委員会の計6つ(大学の委員会は組織の特殊性から便宜的に1つにまとめて考える)を「団体①」「団体②」「団体③」「団体④」「団体⑤」「団体⑥」としよう。身バレ防止のために抽象化させていただく。ついでに、唯一私が若干の権力を有していた高校の同好会についても「団体⑦」としておく。

 


まずは、運営方針の決定・伝達に関して。これに特に問題があったのは①と⑦だろうか。

例えば②や③では、上層部のみでの意思決定の後に総会が開かれ、とりわけ規則や予算・会計についてはそこで全構成員(…とまではいかないが全総会参加者)に確認した後で決議を取る。④では、運営方針決定に関する部局が他部局と並行して存在するし、そもそも各部局の独立性が強い。⑤では公開の会議(任意参加)や説明(原則全員参加)が存在する。

一方、①では運営方針はすべて役職者のみの集い(非役職者も参加可能だが日程原則非公開)で勝手に決定し、その後で全構成員に伝達する形式となっている。その集いの記録は形式上構成員に対して公開となっているが、記録が大雑把なため読んだところで分かりづらいし、そもそもそのありかを知る人はそれほど多くないように思える。すなわち、非役職者が意思決定からハブられているということだ。加えて、役職者の集いも毎回すべての役職者が参加できるわけではなく、また「決議」という形式で「過半数の賛成で可決」などするわけではないため、だらだらと話をして成り行きで決まってしまう節がある。ゆえに1人の役職者の希望がすんなりと通ってしまうこともあるし、逆に他の役職者が自身の都合を考え反対することで意見が突き返されることもある。その上、組織の特性上全構成員の把握が困難であり、連絡手段が不明ゆえ形式上①に属しつつも一切の情報を与えられない人間が存在しうる。

⑦については、私は会計の役職および会誌の編集長を務めており、権力の持ち主であった。会計については完全に会計役職の裁量であり、いわば私のいう通りになったのだ。そして同好会なので会計報告などもなかった。私はパソコンの新調と会誌の値上げを断行し、相当額の支出を行った。これは私の独裁を許す形になっており、組織的に見たら決して良くなかったのではないだろうか。私が悪者だったら、横領していたかもしれないのである。また、会長と副会長が機能不全に陥っていたため実際の方針決定権は私ともう1人、平会員が持っている形だった。会計の絶大な権力と会長・副会長の職務の曖昧さ・求心力不足により、権力の乱用が可能な状態だったのである。

とりわけ団体の会計については、(この2団体では部費がないため学園祭での売り上げのみでまかなっているとはいえ)団体の構成員の金を使うことになる。疑念を抱かせないためにも、使途は明示したほうがいい。会計に限らず、各種の運営方針に関しては全構成員が見やすい形で公開しある程度の意見を募るべきだ。そして上層部(役職者内)での職務分担および最高意思決定のプロセスを明確にすることで、1人の行動による暴走を防ぐ必要がある。これができていなかった点で、①と⑦は問題をはらんでいた。

 


次、役職の決定について。これ、大体の組織で「政治」が絡むものだ。

例えば③では、私の役職はもはや自動的に決定した。いわば「上層部の言いなり」なのである。所属部局がどこなのか、上司が誰なのかも気づいたら決まっていた。そのプロセスは詳しくは知らない。私は下っ端に過ぎないため反論できず、結局その役職になった。まあ私にとっては天職だろうから、結局満足してるんだけどさ。

②や⑤では、役職の希望調査が全員に対して行われた。しかしながら、その役職調査を行う主体は同期の「偉い人」であり、その「偉い人」すなわち次期の代表となる人は気づいたら決まっていた感じだ。いつどのようなプロセスで決まったのか、なぜその人に情報が与えられていたのか、私は全く知らない。④でも、部局の代表・副代表的な立ち位置は公募で決まったが、全体の代表・副代表に関しては「先輩と仲良い」連中により勝手に決まっていた。まあ私は下っ端を望んでいたからいいんだけどさ。

ちなみに⑦の場合、その団体で実力のある人間が「公開の勝負に勝つ」という明確な形で代表となった。代表が副代表と会計を任命できる形式であり、それによって私は会計に任命された。だから、公開という形ではあれ、「実力だけは確実な」代表の好きなようにできるのである。

一方で①の場合、代表含めたすべての役職が公開の場で決められた。ひとつ上の先輩主催の元、すべての役職において「誰がやりたいか」希望調査が行われた。そして希望が被った場合でも、その役職につく人数を増やしたりジャンケンをしたりで平和に解決していた。能力とか権力とかコミット度とか、そんなものは問題にならなかった。私はこの決め方が一番好きだった。ちなみに⑥でも役職につきたい人が募集され、その中で話し合いにより平和に決まったようだ(私が自発的に譲歩したこともあった)。

「政治」によっておのずと決まっている状況、私は必ずしも好まない。だってそれ、あんま関わらなかった人間にとっちゃ、一切プロセスを知らないままに決まっているって状況だから。まあたしかに役職決めに関わる時期にいない方が8割くらい悪いかもしれないけど、決定過程はある程度公開してほしいかな。あと、政治が入りすぎると「この役職につけなかったから辞めてやる」とかの不穏が生じうる。そんなの望んでいる人は少ないはずだ。大学の組織くらい楽しくやればいいじゃん、というのが私の本音である。

 

 

次、情報共有の媒体について。

⑤や⑥では基本的に全員加入のSlack、および必要な時は関わる人間全員によるLINEグループの中で情報がやり取りされる。それが理想形であろう。また④ではメーリスで、⑦ではメーリスとLINEの併用で、おそらく全員に情報が行き渡った。

一方①や②では、Twitter上で企画の募集がかけられることがある。①に至っては、活動の状況を毎日公式Twitterで公開しているがゆえに、それが参照されがちだ。メーリスはあるが、最低限の情報のみ。活動中はLINEグループで情報共有が行われるが、構成員全員が集まる機会に作られるわけではないため全員入っているとは限らず、あくまでも中核の人間の知り合いのみになる。②では、私が構成員の鍵垢をフォロリクを通してもらえないが故に見られない、という状況も生じている。

活動の募集などは、全員が見られる媒体でかけるべきだろう。内輪になっちゃダメだ。だいたいTwitterは全員がやっているわけじゃないから、それを情報伝達の手段と位置づけること自体間違いだ。てか、SlackなんかはTwitterの内輪版みたいな感じで存在するんじゃないの、じゃあそれを使えばいい。Twitter使うのは独り言だけにしようよ。

 

 

そして、責任のあり方について。基本的には権力ある代表、もしくはヘマをした担当の統括的存在が責任を負う。③はそれが確実だし、誰もが覚悟しているように思える。

①は少し特殊だ。代表が必ずしも権力を有すると限らないため、責任のありかが不明瞭なのだ。それに基本的に行動は自己責任のため、「責任」というものがそれほど意識されなかった気がする。ゆえに「誰かを咎める」「誰かが謝る」というのが明確でないうえ、誰かの発言に強制力が伴わず前進しづらい。代表に権力が集中しないこと、責任が意識されないことの良し悪しは別として、主体が不明瞭なのは改善の余地があると思われる。

一方④は、大きなヘマをした部局の代表が公開処刑を受けるような形になった。多方面からバッシングを受けた。うーん、代表とか統括にすべての責任を問答無用に負わせるのも、必ずしも良いこととか言えないのかもな。難しい。

⑦、ここは毎年会誌を販売しているのだが、私が編集長の時に大幅に売れ残りが出た。私は担当者のくせに、これの処理について明確な指針を出さなかった。周りもそれを黙認したし、次期会計の自分しか気にする人間がおらずそもそも関心がなかった。これは私も反省している。

とりあえずいかなる場合でも、責任のありかだけはしっかりと決めておいた方がいいだろう。まあ、それを決めるためにまた「責任のありかを決める権限を持ち責任を負う人」が必要なジレンマが生じかねないけど。

 

 

組織のあり方に正解はない。ガバガバなところでも「緩い」、キツキツすぎるところでも「すべてがしっかりとしている」と、ポジティブに捉えることだってできる。そういうのって「文化」として続いてくものだ。だが、どの組織もそのあり方を自明視せず、改善点は直してほしいものだと、権力のない下っ端なりに思っている。

私も、①においては提言をしたいと思っている。その組織のことが好きだから、いっそう。