どこかのT大生の思考

不定期です。旅行と考えることが好きなT大生が、たまーに駄文を公開します。自身の生に関する思いを述べる「自省」、旅の思い出を記す「旅記」、社会に対して言いたいことを唱える「主張」、人間関係の悩みを書き散らす「拗人」、その他自分の姿や趣味などを自由に語る「特筆」の5つ。

[拗人5]めんどくさいコミュ障です

コミュニケーション自体は好きなのに、普通のコミュニケーションが苦手な、めんどくさい人間です。

 

 

精神不安定な理由

 

COVID-19流行のせいで自宅に引きこもること、はや3週間。

当初は溜め込んでいたやるべきことの処理に勤しんだり、久々の時間的余裕を満喫したりとなんだかんだ楽しんでいた。

しかし、先週あたりからしんどくなってきた。日中からなんとも言えない虚無感と絶望感に襲われ、ニュースを見ては憂鬱になり、夏頃の予定を考えると激しい不安に苛まれ、夜はやたらと精神不安定になる。資格試験・検定試験は延期になり、ますます勉強する気は失われるが、かといってなんだか読書を進める気にもならない。久々に「夜眠れない」状態になった。日頃やたらアクティブに活動している人間、こういう際になぜか弱い。最近はアマプラでアニメ見てばっかで現実逃避し、ある程度はましになってきたが、それでも無力感は消えない。

昨日始まる予定だった文学部の授業開始はさらに1週間延期され、4/24となった。このままだと、授業開始までにどんどんモチベは落ちるばかりだ。まずい。


この精神不安定の原因は何だろうか。だいたい、「先行きの見えない不安」「運動不足」「人との接触機会の減少」の3つが大きい気がする。

まず「先行きの見えない不安」。これは当然だ。早くサークルやバイトに行きたいが、いつ行けるかわからない。夏にやりたいこと・やるべきことは数多あったのに、それが実際にできるかわからない。就活がうまくいくかわからない。そしてニュースが不安を煽ってくる。

続いて「運動不足」。体を動かすことはストレス発散につながるが、最近は自宅からほとんど出ないため運動していないのだ。あんなに毎日のように漕いでいた自転車も、4月に入ってからは2回しか使っていない。ちなみに先日20kmのサイクリングと3kmのランニングを1回だけしており、その際は疲れると同時に気分がある程度スッキリしたから、運動の効果は確かなようだ。ところが、また運動するやる気は出ない。そしてそのせいでますます運動不足になり、ストレスが溜まっていく。悪循環。

さて、この文章で主に扱いたいのは3つ目、「人との接触機会の減少」についてである。

 

 

コミュニケーションが好きだった


安倍総理は先日、感染拡大を防ぐためにも「人との接触を最低7割程度減少」させるよう要望すると述べた。医学関係の有識者は8割を望んでいるようだ。まあ、無症状でもキャリアになっている可能性は十分あるし、真っ当な要望であろう。私自身は3/27のバイトおよび3/31の私用以降は昨日4/17まで、家族と店の店員以外に会っておらず、それ以前と比べると(少なくとも人数ベースでは)8割減っていることは確実だ。最近は家族としか対面で話していない。

家族と話せるだけまだマシなはずなんだが、これがなぜか案外しんどい。一人旅に慣れているからこんなの平気だろうと高を括っていたが、いやいやそんなことなかった。実際これまでも、10日以上家族および店員以外と会わなかった(4/1-4/16)のは、記憶の限りだと少なくとも中学以来だ。


家族以外と会えないの、何が辛いのだろう。それは「他愛もない話を新たにする相手がいない」ことなのだろう。決してうちの家族と話さない(話したくない)と言っているわけではない、ただ「それ以外に話す相手が存在しない」ということだ。

そもそも私は、自分の身の上などいろいろな話をいろいろな知人とするのが好きだ。知人に会うたびに面白いエピソードや他愛もないネタ話をし、それを相手方からも仕入れる。「いろいろな人」に会えない以上、それは達成され得ない。また、私の得意技たる限界トークは、相手が私を理解している家族以外の知人であるからできるのであって、家族の中では死んでもできない。そうやって「話したいこと」が消化されずに募っていって、いつのまにかフラストレーションの蓄積につながってしまう。

ただ、これに関しては「通話」「LINE」などの手段がある。でもそれだけでは物足りない。通話では電波環境が悪いと途切れがちになること、家の中での通話だと結局家族に聞かれることがなんか嫌だ。LINEだと相手の声が聞こえないし、対面の会話や電話ほど「スピーディーなやりとり」はできない。そんなわけで、やりとりのために「思考」「準備」をすることになり、対面での会話ほど「他愛もない会話」というのはできない。

それにどちらも、相手の顔を直接見ることができない。テレビ電話をつないだとしても、そこに映るのは「画面を通した顔」でしかない。距離を感じてしまう。

やっぱ、直接会って話したいのだろう。そっちの方が、訳のわからない会話とかもしやすい。


私は「多数の人と直接話すこと」が好きなのだ。

そう、内容に関わらず「コミュニケーションが好き」なのだ。

だからこそ、家族以外と対面で話せない現状は辛いのだと思う。

 

 

普通のコミュニケーションが苦手だった


ただ、この「人との接触機会の減少」にはもう一つの意味がある。それは「対面の会話以外のやりとりも減った」ということだ。いや、「自分はやりとりの相手に値しないんだと判明した」と言った方が正しいだろうか。

先程述べた「通話」「LINE」であるが、もともと業務連絡として使うことが多かった。ところがコロナのせいでさまざまな業務が停滞し、前に比べると使用機会が減った。業務連絡以外で使う機会も、増えるわけではない。

SNS」というのもまさに非対面でやり取りする典型的なツールで、こういう時に活躍すべきものだ。しかしながら、対面会話が可能だった以前と比べてあまり使用頻度は増えていない。TwitterInstagramで「指名してその人にも答えてもらうリレー」というのがあり、見たところ最近流行っているようだが、私が指名されたことは(把握している限りでは)1回もない。まあ指名されたとしても、自分が誰を指名すべきなのかわからないが。

要は、「業務以外でわざわざコミュニケーションをとってくれる相手がそれほどいない」ということだ。


「じゃあ自分からコミュニケーションをとりに行けば良いじゃない」「自分から行動しろよ」。いや、それも苦手なのだ。

過去の[拗人3]にて、私は「誘うことって難しいよね」と論じている。

utok-travelandthinking.hatenablog.com

端的に言うと、「相手が自分に持ちかけられて不快じゃないか心配」「相手の選別が難しい」というのが原因なのだ。これと同様で、なかなか自分から積極的にコミュニケーションを取るのが難しくなっている。

というか、積極的に相手を選ぶコミュニケーションが苦手でそれが積み重なった結果、自分が相手から「わざわざ選ぶ相手」として認識される機会が少なく、先に述べた「自分がやりとりの相手に値しない」状況を招いた、ともいえよう。

「自分から積極的にコミュニケーションをとるのも苦手で、それが悪循環を招いている」ということだ。言い訳がましいが。


そもそも、これまでの会話は「たまたま遭遇して始まる会話」「みんなで集まる機会に自然と始まる一対一の会話」にだいたい依存していた。私は「無難な人間」であり基本的に誰とでも会話ができる(と自負している)ため、会った相手すなわち「自然と決定された相手」との会話は難なくこなせた。

そんな「実際に人と会う機会」が失われた以上、今は「わざわざ相手を意識して始めるコミュニケーション」しかなくなった。会話の対象が「自分がわざわざ決定する相手」その「相手」として自分が選択される可能性はもともと低かった、という事実が明らかになった。そして自分が、積極的に相手を選んでコミュニケーションをとる行為が苦手だったことも、改めて明らかになった。


こんな感じで「わざわざ始めるコミュニケーション」があまり為されず、それを自分から始めるのも苦手、というのが厄介なところであろう。

「普通のコミュニケーションが苦手」ということだ。要はコミュ障。

 

 

COVID-19のコミュニケーションへの影響


COVID-19流行の影で、このような「普通のコミュニケーションが苦手」なコミュ障のコミュニケーションが減っている、と言えるのではないか。これまでは会って自然と始まる会話があったが、今はわざわざセットアップせねばならず、それが苦手だとコミュニケーションが始まらない。

それだけならいいが、「コミュニケーション自体は好き」だと尚更厄介だ。コミュニケーションが嫌いだったらこの「余分なコミュニケーションがいらない」状況はまさに快楽そのものだろうが、好きだと「コミュニケーションしたいのに苦手でできない」という状況になる。そしてもともとコミュニケーションが好きゆえに「ある程度話せる知り合い」は多く、でもその多くと「わざわざコミュニケーションをとるほどでもない」ためにコミュニケーションを取らず(取れず)、自分のコミュニケーションの不得手さを実感するばかり。

これぞ「めんどくさいコミュ障」だ。


「わざわざ始めるコミュニケーション」では相手が選択され、その相手とばかり話すようになる。実際に大人数で会ったときのような、「自然と決定された相手」「わざわざ選ぶほどでもない相手」との会話はなされない。その結果、特定の人との関係は強化される一方、そこから外された「わざわざ選ぶほどでもない相手」との関係は疎遠になる。コミュニケーションが苦手だと、疎遠になってばかりだ。

COVID-19は友人関係を変え、「めんどくさいコミュ障」の「話せる相手」との関係性を薄めているのかもしれない。「友達が減る」ようなものではなかろうか。


だからこそ、「めんどくさいコミュ障」である私も、今「わざわざコミュニケーションをとってくれる人」「わざわざコミュニケーションをとろうと思う親しい人」との関係は、今大切にしておきたいものだ。

自分の精神安定のためにも、この状況が終わった後に虚しくならないためにも。

 

……さて、コミュニケーションツールで、この文章でまだ言及していないものがある。それは「zoom」だ。厳密には「オンライン会議のためのツール」だろうが、授業のほかにも、今やコミュニケーションのために使う機会が増えている。

「団体での会話」の場が、zoomにて設けられる。ある団体の全員を参加可能にしたオンライン飲み会など、企画されている。それこそ「わざわざ相手を選ぶ」という心理的負担なしに、自分も参加権があるため気軽に参加できる。

これも、大切にしていきたいものだ。というか、これこそ「めんどくさいコミュ障」の救済にもなるのかもしれない。

 

私自身も、これからzoomでの飲み会が始まる。貴重な機会、楽しんでいきたい。