どこかの元T大生の思考

不定期です。旅行と考えることが好きな元T大生が、たまーに駄文を公開します。旅の記録を語る[旅]、何かに対する見解や主張をぶつける[論]、自分の生き方について思いを巡らせる[憂]、趣味などについて書き散らす[雑]の4つのカテゴリーで。

[憂14]「ふつう」であること

「物語」の主人公にならなければ。

 

 

私は「常識人」「まとも」です

 

〇〇唯一の良心。××の常識人。真面目。比較的まとも。普通の人間。

これは、私が他の人から評価を受ける際によく聞く言葉である。

なおこのほかにも「拗らせ」「残飯処理班」「バ畜」「遠距離通学」「ツイ廃」などがあるが、ここではそれは考慮しないでおく。

 

すなわち、私は他人からすると「常識人」「まとも」らしい。少なくとも「変人」と言われたことはない。

うん、確かに自分でも自覚はある。

 

「常識人」とは。

単語の意味からすると、「常識を弁えている人」であろう。その際の「常識」というのは、多く「社会生活における振る舞い」みたいなものだろう。いわば、「常識人」とは「キ〇ガイ」の対局である。

「まとも」も同様、「変な言動を行わない」である。「変人」の対局である。

 

この「常識人」「まとも」という言葉、語義そのものから考えると明らかに褒め言葉である。私自身、この言葉を言われて嬉しくないことはない。

 

 

私は「没個性」「つまらない人間」です

 

だが、ここで少し立ち止まって考えてみる。

人はある人を評価せざるを得なくなった時、適切な言葉が見つからないととりあえず「常識人」「まとも」などと無難なコメントを言っておくものである。

人は所属組織の仲間を紹介する時、その人の個性を思い起こしては「頭おかしいやつらばっか🤪」など言うものである。

 

つまり、「常識人」「まとも」はある意味評価からの逃げ、いわば「没個性」の言い換えなのである。もっと言ってしまえば、「評価に値しない」さらには「つまらない」にも繋がる。

 

すなわち、私は他人からするとある程度「没個性」「つまらない」らしい。少なくとも「個性の塊」と言われたことはない。

残念、自分でも自覚あるんだよなあ。

 

こうなると、もはやネガティブな評価である。それを考えると、「常識人」「まとも」などの評価に対して素直に喜べない。

 

 

私は「ふつう」です

 

常識人。まとも。

没個性。つまらない。

 

特定の何かに秀でているわけではない。

小さい頃からある強い目標を抱き、それに向かって激しく努力しているわけではない。

「面白い」と思われる一芸を持っているわけではない。そもそも誰かを面白がらせることも苦手。

大学生活をかけて没頭しているものはない。没頭するだけのものがない。ガクチカは周りの大学生に勝てない。

何をしても中途半端で、プロになれない。文章を書いても、書き振りは極めて稚拙。

目立ちたがりたくない。というか目立てない。

誰かが自分のことを激しく求めているわけでもない。自分も誰かのことを激しく求めているわけじゃない。

「友達」と呼ばれる存在はいるが、積極的に遊びに誘われるわけでもない。

ひどい不細工というわけでもないが、容姿を褒められることはまずない。体重は標準体重そのもの。

無能すぎることもないが、決して有能ではない。

 

「ふつう」の人間である。

「東大生であり勉強ができる」この一点では社会において「ふつう」から逸脱している(突然のイキリ)が、それ以外の「人から見える箇所」においては「ふつう」である。東大にいる限りはこの特性は使えないし、私はただの「ふつう」に成り下がる。

 

なんか、こう書いていると悲しくなってくるなあ。

 

 

私は「ふつうよりタチの悪い人」です

 

もっとタチの悪いことがある。

 

この社会においては「恋愛するのはもはや当然」だ。ふつうの大学生、ふつうの成人は恋愛など当然のようにこなす。しかし私はそれができていない。

この社会においては「成人男性は170cmくらいあるのはもはや当然」だ。ふつうの成人男性は170cmの身長など当然のようにある。しかし私はそれがない。

この社会においては「芸能に関する知識を持つのはもはや当然」だ。ふつうの人間は芸能人なんて当然のように知っている。しかし私はそうでもない。

この社会においては「大学生が未成年のうちから飲酒するのはもはや当然」だ。ふつうの大学生は飲酒なんて当然のようにする。しかし私はしない。

 

「ふつうよりタチの悪い人」である。「ふつう」であればできるようなことを、できていない。

 

 

結局、大事なのは他人からの評価

 

ここまで散々ひどいことを書いてきたが、1つ誤解をしないでいただきたい。私は自分のことが好きで、自己肯定感もめちゃくちゃ高いのである。「ふつう」であることそれ自体を嫌悪しているわけではない。というか、自分で自分を肯定せずに誰が肯定するんだ。

 

しかし、結局重要なのは自己評価でなく他人からの評価である。競争社会だ、それも東大生の中での。自分をどう見せるか、他とどう差別化して見せるか、いかに「物語」を見せるか、ここにある。

私はこれが非常に不得手なのだ。

 

「常識に囚われない人、破天荒な人を求めています。」こう言う。

自分はどうだろうか。

 

「ナンバーワンにならなくてもいい もともと特別なオンリーワン」めちゃくちゃいい言葉である。大好き。

でも、「ふつう」であればオンリーワンと胸を張って言うだけの特性もない。「いろんな花」と一緒方にされて終わり。綺麗かもしれないが、しゃんと胸を張っているかもしれないが、それは周りだって同じ。そして並んでいるだけで、選ばれることはない。争うことなんてしたくないが、争いはいつか絶対に生じる。そして「オンリーワン」と思わせることすらできない自分は負けるのみ。

 

「上位互換」「下位互換」という最悪な言葉がある。

言ってしまえば、私は「ふつうじゃない人」や「タチの悪くないふつうの人」の下位互換である。私には、数多く上位互換がいる。そんな私なんて選ばれない。

お前は1人しかいないが、お前の代わりは何人でもいる。

 

ここで、最初に少しだけ触れた「拗らせ」「残飯処理班」「バ畜」「遠距離通学」「ツイ廃」を思い出す。これらはいわば、「ふつう」な私の少しだけ「ふつうじゃない」「個性」である。

しかし「拗らせ」は個性として有用に働くことはなく、周りから忌避されるのみ。「残飯処理班」「バ畜」「遠距離通学」は私を深く知ってこそ分かる個性だろうが、そうでもない人からしたらインパクトに欠ける。「ツイ廃」論外。

 

そもそも私は、これまでいろいろな記事で述べてきたように、誰かと深い関係になるのが苦手だ。だから自分を深く理解してもらうことが難しく、結局多くの人に「没個性」「つまらない」「ふつう」「理解できない」と思われて終わり。

いくら自己肯定感が高かろうが、自分を理解してもらえないとダメなのである。

 

自分は、自分の中では物語の主人公だ。しかし他人からすると、主人公に値しないモブキャラレベルに過ぎない。「物語」なんて認められない。

 

 

「物語」のある人への憧れ

 

小説や漫画やドラマやアニメを見ると、何か不思議な気持ちになる。

フィクションに限らない。ドキュメンタリーなどで人の偉業や強い思いを見ると、何か不思議な気持ちになる。

 

彼ら彼女らには人を魅了するだけの「物語」があり、それに憧れを抱いているのかもしれない。

 

そのような物語の主人公は、間違いなく「ふつう」の人間ではない。何かしらの偉業を成し遂げたり、何らかの強い思いを抱いていたり、何らかの強い人間関係を持っていたり、とりあえず強い個性を持っている。「ふつうの高校生が〜」みたいなフィクションもあるが、そいつは異世界転生したり運命の再会をしたりハーレムに見舞われたりするから間違いなく「ふつう」ではない。

まあそれも当然だ。主人公に個性があるからこそ、フィクションやドキュメンタリーとして成立するのだから。

 

彼ら彼女らみたいな、誰かを魅了できる生きざまが羨ましい。

そういう生きざまを見ると痺れる。

めちゃくちゃかっこいい。

すごい。

 

自分にはない、人を魅了できるだけの「物語」の持ち主に、憧れている。

 

 

自分も「物語」の主人公にならねばならない

 

でも、自己アピールを書く際とか、そのように人を魅了できるだけの「物語」が自分にもなければならない。

今の時点ではモブキャラレベルに過ぎないが、そこから他人にも主人公として認められるくらいにならねばならない。

 

そのためにはもう、「ふつう」ではいられない。

自分の個性を探して、それを他人に認められるくらいにしなければならない。

 

自分も、フィクションやドキュメンタリーの主人公みたいにならなければならない。

 

決して悪口ではない「常識人」「まとも」「ふつう」という評価。肯定的評価だが、「没個性」「つまらない」の裏返しでもある。

「ふつう」な私だが、これからはこれを打破できるだけの個性を、探したり作ったりしてぶつけて行こう。

[論20]時の流れには逆らえない

今の思考・行動は大切。

 

 

過去を捨てられない

 

最近、部屋(厳密には部屋様の自分専用スペース)の整理をひたすらしている。家にいてやることがない時の、結構いい暇つぶしである。

掃除をしていると、過去の資料が出てくる。2年前の大学入学当初の資料はもちろん、受験期の教材や勉強記録、中学の修学旅行で行った奈良のパンフレット、さらには2007年度版の「やんば散策マップ」なんかも出てきた。

 

私は「ものと結び付けられた記憶」が残りやすく、そういう過去の資料を見ていると、当時の様子がありありと思い出されるものだ。東大合格が決まって新生活にワクワクしていたあの時、合格に向けて頑張って勉強していた苦難のあの時、旧友と修学旅行を楽しんでいたあの時、川原湯温泉に入浴していたあの時。

過去の資料ってのは、過去を否応なく思い出させてくる。

 

そんな過去の資料を、私はなかなか捨てられない。整理するならば断捨離をしたいものだが、なかなかできないのだ。

それと一緒に、過去の思い出を思い出すきっかけ、ひいては過去自体を忘れてしまう、そんな気がするから。それが怖いから。

 

私は、過去にしがみついているのかもしれない。過去を捨てられない。

 

 

過去は、二度と取り戻せない

 

過去を捨てられないのは、現在を直視したくないからだろうか。現実逃避したいからなのだろうか。悪いことなのだろうか。やめた方がいいことなのだろうか。

……必ずしもそうとは限らないだろう。

 

そういうことじゃなくて、「楽しかった思い出」「面白かった思い出」「あの時の姿」という取っておきたいものを「捨てる」「忘れる」という不可逆的行為、それ自体を忌避しているからなのだろう。一生懸命コレクションしているものを捨てたくない、それと本質的には同じだと思う。現在が自身にとって満足できるものであれ、満足できないものであれ。

それに、過去は普通の蒐集物とは異なり、一回捨ててしまうと取り戻すのは極めて困難だ。タイムマシンができない限り、過去に戻ることはできない。だからこそ、貴重だ。

そもそも過去を思い出すということ、それ自体が楽しい。話の種になるし、自身を落ち着かせる効果もある。現在が様々な困難に阻まれ、未来の展望も決して明るくない今、尚更。

 

そんな貴重な過去を思い出させてくれる資料、それを捨てることで過去が永遠に思い出せなくなるのが、怖い。

たとえ資料自体の価値はなくても、少なくとも自分の中では価値がある。たとえ、時の経過の中でボロボロになってしまったパンフレットでも。むしろ、そんな「時代を経てきたという証拠」が付いているだけ価値がある。だからこそ、それを写真で撮ることで過去を思い出すきっかけを保ったとしても、捨てるのは少し惜しいのだ。

 

別に、過去を無理して捨てる必要はないと思う。だって、それは一回捨ててしまうと二度と取り戻せない、貴重なものなのだ。

 

……この考え方は、過ぎて仕舞えば二度と取り戻せない「現在」「今」を大事にする、と言うことにつながる。

 

 

後悔は、悪いことではない

 

忘れたくない過去だが、すべて肯定するのは難しい。「あの時こうしていれば……」と後悔することもある。だが、そのことこそ貴重なのかもしれない。

 

[論17]で、私は「後悔」と「反省」の違い、そして後悔するくらいなら反省だけで済ませるべき、ということを述べた。

utok-travelandthinking.hatenablog.com

しかしながら、そう言う私自身がよく後悔している。人に偉そうに言っている場合ではない。

例えば今でも、進学選択が正しかったのか思い悩む時がある。そもそも高校で文系を選んだのが正しかったのか、そこから思い悩む時がある。大学でのサークル選びが正しかったのか、思い悩む時がある。真面目に勉強する時期が遅かったのではないか、思い悩む時がある。

 

これは実は、今を大切に思っているゆえなのではないか。

後悔というものは、必ず「あの時〇〇していれば……」という形で表される。その後に続くのは、大抵は究極「今××だったのに」である。すなわち、後悔は今に満足できていないから、ひいては今を大切に思っているからこそ、生じるのだろう。今を大切にしているが故に、その今を形作る過去を大切にする。だって今のことを全く気にかけなければ、そんなことどうでもいいのだから。

過去について考えてしまうのは、現実逃避でなく、むしろ現在のことをよく考えているからなのかもしれない。

 

 

後悔は生かし、できるだけ軽く

 

そして、そういう後悔をしているがために、今後あまり後悔せずに済みたいと思い、さらに現在を大切にすることにつながる。反省する。

後悔は必ずしも悪いことではないが、「後悔先に立たず」というのは事実だ。ひどい後悔は、できるだけしなくて済むような方がいい。だからこそ、どうせ後悔するなら「反省」に還元して、現在の行動に生かすべきであろう。そうでなきゃ、後悔する意味はない。

 

そもそも、後悔は「どちらかしか選べない選択」を経験してきたから生じるものだ。だからこそ、そこで違う方の選択をしてきた世界線は経験できないし、それを経験してみたいと思うのも至極当然。その意味で、どちらかしか選べない選択がある以上、必ず「選んでの後悔」「選ばなくての後悔」の2種類のうち1つを選ぶことになると言える。後悔は不可避だ。

ならば、2種類のうち「軽い方の後悔」で済ませた方がいい。

 

 

未来を憂慮するなら

 

今、未来は真っ暗だ。この大変な状況がいつまで続くのか、誰も見通せない。

未来を憂慮するのも、無理はない。

 

そうやって未来を憂慮するとき、今のことを忘れてはならない。「未来は心配だけど、今の自分は何も考えないし何もしない」というのはダメだ。いくら絶望しようと、思考停止や投げやりに陥るのはダメだ。

 

未来は、「現在」の積み重ねにより形成される。現在何を考えるかによって行動が決まり、その現在の行動が大なり小なり影響して、1つの未来が作り出される。

たとえそれが「一国経済」というスケールの大きいものであっても、たとえそれが「来月までに感染症撲滅」という不可能に近いものでも、自分の思考・行動は良い方向であれ悪い方向であれ十分に影響を持ち得る。声を上げることで回り回って給付・補償制度の充実につながることも、要請を無視して外出を続け自身がウイルスをばらまくことも、可能性は極小だとしても決してゼロではない。良い影響をもたらす希望、悪い影響をもたらすリスク、それはゼロではない。

 

未来を憂慮するのなら、展望の見えない中で「できるだけ良い未来」を作るために、現在を大切にしたいものだ。「どうせ自分の現在の思考・行動は関係ない」とは思わず、良い影響をもたらすため・悪い影響をもたらさないため、今のあり方を重視するべき。

未来になって、ひどく後悔しても遅い。先程「選択がある以上は後悔は不可避」と言ったが、その中でなら「軽い後悔」で済ませるべきだ。良い影響があるかもしれない行動をせず「あの時行動していれば……」と「重い後悔」をするよりは、行動した上で影響が出ず「あの時は自分の行動に期待しすぎた」と「軽い後悔」をする方がいい。悪い影響があるかもしれない行動をして影響が出て「あの時行動しなければ……」と「重い後悔」をするよりは、行動せず「あの時はナーバスすぎた」と「軽い後悔」をする方がいい。

 

未来を憂慮するなら、今はひたすら我慢して、できる行動をするしかない。「できるだけ良い未来」のために。「重い後悔」をしないために。

 

 

いつか、これも過去になる

 

大変な状況にある中で、1人1人の行動が確実に身を結んでいるんだと思う。効果を身をもって感じることは難しいが、データにも表れつつある。何も対策がなかった場合の「最悪の未来」は回避されているし、何もしていなかったら迎えたかもしれない「重すぎる後悔」もせずに済んでいる。

これは、1人1人の「現在」の積み重ねであろう。我慢とできる行動の積み重ねにより、「できるだけ良い未来」「軽い方の後悔」に導かれている気がする。

効果がなかなか見えなかった2週間前は、もう過去だ。

 

今この瞬間も、すぐに過去となる。さらに言えば、今の行動が生み出す1ヶ月後や2年後の未来だって、20年も経てば過去となる。

そのうち、これも「貴重な過去」になるだろう。話の種となる過去、忘れてしまえば二度と取り戻せない過去。

 

いつか、今の時代の資料を見て「あんなこともあったね」と昔のこととして懐かしむ、そんな未来も来るだろう。

「苦難の記憶」であれ、いつか受験期みたいに「あの時は頑張ったな」と思えるようになる、そんな未来も来るだろう。

今は現実逃避したいほど大変であれ、いつか「捨てられない過去」「面白い思い出」「忘れてしまうのが怖い過去」になる、そんな未来も来るだろう。

その時に「軽い後悔」で済めば、それでいい。

 

時の流れには、逆らえない。それがいかなる形であれ。

[論19]「リーダー」のあり方

有事の時、どう対応してどうまとめるかって大変よね。

 

 

「リーダー」の素質が試されている

 

COVID-19の流行に伴い、あらゆるレベルにおいて「想定外」が生じ、そしてそれに対する対応がなされている。一国の政治経済に関わるレベルの「緊急事態宣言」から、大学の一サークルの「新歓日程全変更」まで。

 

そういう対応を最終的に統括・決定するのは、どのレベルであっても「リーダー」であろう。団体・集団としての活動はもちろん「リーダー」だし、個人の活動だって自分が自分の「リーダー」である。

リーダーすなわち主導者は、このような未曾有の有事の際でも、適切な対応を導かねばならない。当然リーダーの下につくそれぞれの人員だって大切だが、それを律して最終決定するのはリーダーだ。

「未経験だから対応がわからない」ったって、そんなのみんな一緒である。そして、何があったって批判や称賛の矢面はリーダーだ。

 

だからこそ、リーダーの素質が今、とても試されているような気がする。

こういう有事を切り抜けてこそ、真の有能なリーダーが明らかになるだろう。

 

 

国レベルの「リーダー」は

 

日本の「国」としての対応を統括するのは、内閣総理大臣であろう。

果たして今の安倍総理は、こういう有事にしっかりと対応できる有能なリーダーなのだろうか。

……とはいっても、ここで自身の政治的立場を述べるつもりはない。ここでは、総理に向けられた批判がなぜ生じているのか、そこからリーダーには何が求められるのか・どんなリーダーが有能なのかを、軽く整理してみたいと思う。

 

4月7日、7都府県に緊急事態宣言が発令された。これに対する批判に「遅すぎる」というものがあるだろう。私自身が遅いと考えているかどうかは置いといて、ここでは「迅速な対応」が求められていたようだ。

緊急事態宣言の下では、「自粛」の「要請」がなされている。これに対する批判の一つは「そんなお気持ちだけじゃ動けない」というものだろう。それ自身の是非は問わず、「明確な指示」というのが求められていそうだ。

自粛要請の中、星野源の歌に合わせて総理がくつろぐ動画が出され、波紋を呼んだ。これに対する批判を言語化すると「お前はこんな時に休むべき立場じゃねえ」というものだ。「仕事している感」は確実に求められている。

 

様々な業種で休業が相次ぎ、生活が苦しくなっている人も多い。これに対して政府は、最初「休業補償」を出し渋った。これに対する批判は「政府は弱者のことをわかっていない」だろう。ここでは「自分と違う状況の人間の存在把握・配慮」が求められていそうだ。

実は、様々な形で公的な助成金が存在する。これに対して「わかりづらい」という批判が起きるのも理解できる。ここでは「わかりやすい形の情報開示」「手続きの円滑化」が求められているのではなかろうか。

結局、公明党の要請もあり、国民に10万円ずつ給付されることが決まった。これに対する批判に「なぜこれまで拒んできたのか」というのもありそうだ。ここでは実は「過去の過ちの訂正と対処」が必要だったのかもしれない。

ところで最近、広島県知事が県職員の分の10万円を回収し対策に充当する、という発言をして激しい批判を浴びた。ここでは、一般化した表現で「組織構成員の自由の保障」が必要だった、とも言えそうだ。

 

現金給付だけでなく、マスクの給付も始まっている。これが決まった時の批判は様々だったが、比較的真っ当なものとして「もっといい金の使い方があっただろう」というものがある。ここでは「もっと良い策の検討」が求められていると考えることもできそうだ。

そもそも、この政策の真意がわかりづらい。これも批判の的だ。「対応の理由の開示」が求められている、と考えられよう。

 

もっと前に遡る。2月末には、公立小中学校の休校要請が突如出された。これに対する批判は「休校中に親はどうすればいいのか」というのもあった。ここでは「ある対応が実施された際の副作用の把握」が求められる、と一般化できるかもしれない。

総理が半ば独断で決めていたのでは、という疑念や批判もあるだろう。ここでは「周りを巻き込んだ十分な議論」が求められている。

加えて、学校関係者には一切事前の連絡がなかったという。これに対する批判は「突然すぎる」である。ここでは「現場の把握と根回し」が求められている、といえよう。

 

さて、そんな中で総理夫人が宇佐八幡に団体で参拝していた、という事実が判明した。総理はこれを「三密じゃないから大丈夫」といった感じで擁護した。これに対する批判に「身内だからって擁護するな」というものがある。「贔屓しないこと」が、そもそも求められている。

 

そしてここまで述べなかったが、非常に大事だと思うことに「あからさまにメンブレしないこと」「構成員を信頼すること」というものがある。安倍総理があからさまにメンブレなんかしていたら、国民は総理の言うことなど一切聞かなくなるかもしれない。安倍総理が国民を信頼していなかったら、「自粛要請」なんてできていない。

 

以上に述べた「迅速な対応」「明確な指示」「仕事している感」「自分と違う状況の人間の存在把握・配慮」「わかりやすい形の情報開示」「手続きの円滑化」「過去の過ちの訂正と対処」「組織構成員の自由の保障」「もっと良い策の検討」「対応の理由の開示」「ある対応が実施された際の副作用の把握」「周りを巻き込んだ十分な議論」「現場の把握と根回し」「贔屓しないこと」「あからさまにメンブレしないこと」「構成員を信頼すること」こそが、とりわけ有事の際にリーダーに求められるもの、と言えるかもしれない。

 

 

サークルレベルの「リーダー」は

 

上で述べた要素は、国レベルでなく大学のサークルレベルのリーダーでも大事だろう。どっちも、「リーダーのいる組織」というのは変わらないから。

国の組織よりもっと私にとって身近な、「私の所属団体におけるリーダー」で考えてみたい。

 

現実の私を知っている人なら周知の事実だろうが、私は大学で複数の団体に所属している。団体それぞれの内側でも、官僚制組織の中で小集団の統括が存在し、ゆえに私は多くの「リーダー」を見ていると自負している。自身も小集団の統括を2つ務めている。

その中で見た例と、先ほど述べた要素を照らし合わせてみたい。批判および自省を交えつつ。

(この記事を読まれた「リーダー」の方々へ、自身のことが書いてあっても私のことは恨まないでください。)

 

「迅速な対応」、これはリーダーによって結構異なる。ある団体では合宿の中止を迅速に決めていたが、こういう重大な事項を迅速に決められるのは有能な証拠であろう(何様だよって感じだが)。

「明確な指示」、これはリーダーによる差が顕著だ。3月末に東大当局より課外活動の自粛が要請されたが、それに対して一部のリーダーは即座に活動全面停止を指示したが、一部のリーダーはなかなか指示を出さなかった。なかなか指示が出されないと、自分に割り与えられた本来の仕事を続けるべきかわからないし、自分が新たに何をすべきかわからなくて困る。

「仕事している感」、これに関しては自省する面が大きい。私は自身が統括する小集団の1つでは構成員に指示を出しているが、「指示しているだけに見えて構成員のやる気を削いでいないか」というのが心配なほど、「仕事感」を出すのに失敗している。ただ一方で、いつもから仕事を抱えすぎなゆえに「仕事している感」は何もしなくても感じられる、という信頼のおけるリーダーも存在する。

 

「自分と違う状況の人間の存在把握・配慮」、これは特に私が苦労しているところだ。というのも私が統括する小集団の中で「忙しい」構成員がいて、仕事の割り振りやケアの仕方などを工夫する必要があるからだ。現状それをあまりしっかりできている気がしないから、頑張りたい。これは、リーダーが「自身と価値観が違う構成員にどう対応するか」という面で試されているといえよう。

「わかりやすい形の情報開示」、リーダーによって結構異なる。例えば各大学当局からの課外活動停止指示状況とそれへの対応、これだけでもわかりやすく構成員に伝えられている組織と、ほとんど構成員に伝えられていない組織がある。情報の共有は大事だ。

「手続きの円滑化」、言い換えると「業務進行にかかる面倒ごとの単純化」、これに関しては大学サークルレベルでは特に問題にならなそう。リーダーが連絡ツールの活用を推し進めている例もあり、この面で有能さを発揮しているリーダーもよく見る。

「過去の過ちの訂正と対処」、これは見ている限りだと結構できていそう。サークルの代表が頑固だと困るから、過ちを認められるのは非常に助かる。

「組織構成員の自由の保障」、これに関しては「自由さ」を売りにする団体がほとんどゆえにほぼ達成されていて、ありがたいことに仕事を強制して自由を奪うワンマンリーダーはいない。これが現れたら、サークルは一気に地獄と化すだろう。……あ、中学の部活の部長はワンマンだったな。

 

「もっと良い策の検討」、これはリーダーによりできるかどうか異なりそうだ。というか、私自身がしっかりとできているか怪しい。ただこれの厄介な点として、「もっといい策があるかどうかは基本的にすぐにはわからない」というものがある。

「対応の理由の開示」、これに関しては1つの団体のリーダーが「ある企画を中止する理由」をしっかり明文化して記していて、非常に好感度・信頼度が上がった記憶がある。やはり、情報の共有は大事だ。

 

「ある対応が実施された際の副作用の把握」、把握自体はできていてもむしろそれを関係組織に伝えられるか、この点ではリーダーによりできるか異なっている気がする。場当たり的な対応で済ませ、その弊害を理解しないと後々苦しむ筈だ。

「周りを巻き込んだ十分な議論」、これはリーダーの余裕と構成員に対する信頼度により、リーダーによってできるかどうか異なる気がする。私自身が「自身で迅速に決定する」を重視する犠牲として疎かにしがちであり、小集団の統括として反省すべき点である。迅速さと十分な議論がどちらもできてこそ、優秀だろう。自戒。

「現場の把握と根回し」、これはリーダーに「把握する気があるか」にもよりそう。あまり把握していなそうなリーダーもいて、正直信頼がそれほど置けない。

 

「贔屓しないこと」、これは今所属する団体のリーダーは基本的にできている気がする。さすが、優秀な構成員の集まる東大生の集団でリーダーをするだけある。……そういや、中学の部活の部長はこれもできていなかったな。

 

「あからさまにメンブレしないこと」、これはできていないリーダーがいた。勝手に抱え込みすぎた結果、些細な不測の事態が引き金となってひどく病み、コロナで予定が狂ってさらに病む。こういう時に他の構成員がリーダー代理をできればいいのだが、いかんせんリーダーが抱え込みすぎてブラックボックス状態なので、リーダーが復帰しないことには何もできない。辛いのはそうだろうけど、こういうときこそリーダーが元気じゃなくちゃ。

「構成員を信頼すること」、これも同様だ。構成員を信頼しなくなり、結果として仕事を回すのを渋って抱え込む量を増やし、構成員も自身が信頼されていないことを自覚し微妙な気持ちになる。リーダーには、これはあってはならない。……とはいっても、私も小集団の中でほぼ信頼していない構成員がいるので、特大ブーメランになってしまうが。信頼とはいかなくても、せめて仕事を回すくらいはしたいものだ。

 

こう見てみると、国家レベルのリーダーに求められているものはサークルレベルでも大事だし、逆も然りだというのが分かってくる。規模が大きくても小さくても、結局主導者は同じ素質が必要なのだろう。

そして、すべてを達成できているリーダーは(当然自分含め)あまりいなそう。でも、今あげた16個を意識すれば、自分だってある程度良いリーダーになれるかもしれない。

「人の振り見て我が振り直せ」ではないが、総理や知事など「リーダー」を批判するなら、自分や自分の周囲の「リーダー」の言動に落とし込んで考察を加えて、その上で言動の変化につなげてみると面白いのかもしれない。

 

結局この記事で何が言いたいのか自分でもわからなくなってきたが、「今の非常事態にこういうことができるリーダーこそ有能じゃね?」ということを言いたかった、ということにしよう。折角なら、自分もそんなリーダーを目指すか。

[旅26]2019秋〜2020春の旅ダイジェスト

今回は面倒になったので、写真でお楽しみあれ。

 

 

10/22。

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12/14-15。

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12/30-31。

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1/17-20。

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1/27-2/8。

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2/11-13。

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2/17-19。

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2/23-24。

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2/27-3/8。

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以上。

[憂13]私は「恋愛」に何を求めているのだろう

今回の文章も、めちゃくちゃ下品になりますが悪しからず。

[憂3]や[憂4]、[憂8]もご覧あれ。

utok-travelandthinking.hatenablog.com

utok-travelandthinking.hatenablog.com

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※最初に断言しておくが、この文章の内容は決して私の肉体的・精神的性自認である「男」に限定していない。ただし、私自身は肉体的にも精神的にも男性を自認しており、また恋愛対象は異性であると自覚している。

 

 

私は相変わらず

 

大学生活3年目。共学生活3年目。

「普通の大学生」であれば、出会った人間のうち誰かに「恋」をして、お付き合いの1回くらい経験しているのがザラだろう。

 

ところがご存知の通り、私はそんなことは決してない。

残念ながら、下品な記事を書いた昨年8月から、一切進展していない。

むしろ、拗らせは悪化している。

 

 

恋愛を拒否しているわけではない

 

恋愛やお付き合いを「しない」「したくない」人だったら、自分の他にも知っている。

「恋愛感情なんて邪魔」「恋愛でいい思いをしている人を見たことがないから恋愛する気にならない」「どうせ別れるのに意味あるの?」「自分の自由が奪われるだけじゃん」という声がある。まあそれもそうだ。

 

だが、私の場合は違う。

私はこういう例とは全く異なり、恋愛やお付き合いを経験したがっているのだと思う。それも今、大学生のうちに。それがひどく大変なものだと聞いていても、それでもなお。

恋愛やお付き合いをしたい理由、それは複数あるのだろう。

 

 

恋愛を経験したい理由、なんだろう

 

そもそも、ヒトという生物には三大欲求の一つとして「性欲」という欲求が存在する。これは生殖を究極目的とする生物である以上、否定し難い事実ではなかろうか。たとえそれが、種の存続のみを目的としない高等生物であろうと。これは性自認性的指向に関わらず。

ヒトの恋愛も、本来は生殖本能の表れだろう。つまり「性欲ゆえに恋愛を求める」というものだ。もっと無難な言葉で言うとしたら「自分にとって最適なパートナーを捕まえる」だろうか。これも性自認性的指向に関わらず。たぶん、私が恋愛を求めるのにも、確実にこの側面はあるはずだ。……少し下品で失礼。

ただ、大事なのは「絶対に性欲がすべてではない」という点であろう。そもそもら性欲を満たすのが至上の目的だったら、風俗に行って金を払えば解決できる。金がかかるったって、普通のお付き合いにもそれなりの金と労力を要するし変わらないはずだ。それに、性欲がすべてだったらアセクシャルはどうなるのか。

 

[憂8]でつらつらと述べた「承認欲求」。記事執筆当時(9月)に比べりゃマシになったとはいえ、未だ私を支配している。

utok-travelandthinking.hatenablog.com

非常に自己中心的で最低な理論だが、「自分は必要されている」ということの保証として恋人がいてくれたら嬉しい、というのは変わらない。

 

「結婚前のお付き合いの練習」、これもありそう。とはいっても正直、大学生のうちの恋愛が結婚にすんなり結びつくとは、私はあまり思わない。それよりかは「その予行練習」だろう。

「童貞とつきあったけど、女性経験ないせいで女性への気遣いがなすぎてやばい」という声も聞く(これは決して全女性に対する偏見ではない、ごく一部だということは分かっている)。この状態になることが怖いのだ。

そもそも、私は結婚したい。家庭を持ちたい。これめちゃくちゃ大事。別に恋愛結婚にこだわる必要はないだろうが、それでもお付き合いの経験は結婚前にあった方が確実に良いだろう。

 

さて一番厄介なのが、[憂4]でも少し触れた「恋愛コンプレックス」である。

utok-travelandthinking.hatenablog.com

大学で複数の団体に所属している私は、その中での恋愛事情をよく耳にする。まあ私が蚊帳の外であることはどこでも変わりないけれど。そうして知り合いが恋愛をしていること、知り合いがお付き合いをしていること、知り合いが面白そうな生活をしていること、それを知る。

趣味、および話題に取り残されないための取り組みとして、音楽を聴き漫画を読みアニメを観る。これらは、とりわけ若者世代の恋愛を扱うものが多いように感じる。音楽では愛を伝える言葉や片思いの悲哀が語られ、漫画では今やTwitter上でもじれったい付き合いの様子が見られ、アニメでは恋愛の駆け引きや男女の奇妙なやりとりが映される。

私が大好きな旅においても、観光地に行くと大抵はカップルがいる。彼ら彼女らは、2人でいて楽しそうだ。ふと、相手のいない自分の身の上が切なくなる。

そういうの、自分だって経験してみたいんだよ。「若者の恋愛」「大学生の恋愛」を経験させてくれよ。

「それは幻想、現実はそんなにうまくいかない」別にうまくいかなくたっていいの、ただ経験してみたいだけなんだから。

 

そして、そんな「大学生の恋愛」はあと2年間しかできないだろう。許された時間は、刻々と減っている。そんな焦りもある。

 

 

お悩み相談の回答、ずれてる

 

私のこのような「恋愛がしたいのにできない」という悩みを恋愛経験者に語ると、大抵は「恋愛がすべてじゃないよ」「そのうち絶対に運命の人が見つかるよ、社会人になれば東大卒はモテるし」「付き合いなんてろくなもんじゃない、やらない方がいい」「今の時代、別に結婚がすべてじゃないから大丈夫」という回答が返ってくる。

 

……いや、そうじゃねえんだよ!!!!!

恋愛不能の気持ちをわかってないなあまったく!!!!!

 

たしかに恋愛がすべてじゃない、けど今の私にとっちゃ「求めているもの」であることは変わらない。だって考えてみろ、東大に入りたいとき、進振り(※東大の進学選択制度)で人気の学科に進学したいとき、「いい大学に行くことがすべてじゃない」「別に楽したっていいじゃん」って言われてすんなりと勉強を止めるか??? 「大学の友人関係なんて脆い」って言われたからって、すべての友人関係を捨てようと思うか??? そういうものだ、「すべてじゃない」のは確かだけど、それを求める気持ちは確かなんだわ。

運命の人はそのうち見つかる? その「そのうち」っていつだよ。大学1年の夏から言われてるが、1年半以上多くの人に会ってきたが、一切見つからんぞ。このペースだと一生見つからんぞ。それによ、こちとら「大学生の恋愛」をしたいんだよ、「そのうち」って言われてもあと2年間しかないが??? 「社会人になったらモテる」ってそりゃ手遅れだが?????

付き合いなんてろくなもんじゃない、いやそう言われても経験したいって思いは変わらないから。例えば「旅行なんて金が飛ぶし危ないしやめた方がいい」って言われたからって、旅行を一切やめようと思うか??? 冒険できそうな楽しそうなところを見つけて、「どうせ何の得もない」からって冒険をやめるか??? そこでしか得られない経験があるから、それをやりたいと思うんだよ。

結婚しなくてもいい? そうじゃない、自分は将来結婚したいの。「しなくてもいい」と「したい」は違うだろうが。

 

たぶん、恋愛やお付き合いを経験した人に、私のような限界未リアの気持ちなんて一生わからないだろう。

向こうだって別にマウント取りたいわけではない、真摯に相談に乗っている、それはわかっている。でもそれは私には響かない。

私を嘲笑っているかのように聞こえる、そんなこともある。

 

頼むから、交際経験あるのに「ずっとぼっち」「陰キャ」とか言うのやめてくれ。本当にやめてくれ。

あんたがそんなんだったら、今まで一切の交際経験のない「ホンモノ」はどうなるんだよ。惨めでたまらねえよ。

交際経験あるなら、せめてそれを素直に誇れ。私は惚気は別に不快には思わない。恋愛への憧れを増長させるだけさ。

 

 

んで、じゃあ何でこんな記事書いてるの?

 

こうやって限界みの深い記事を書いていると、おそらく人々は私という面倒な存在から離れていく。「こんなこと言ってるからモテないんだよ」それはそう。

いや、そもそも私はモテたいわけではない。

 

……は?????

 

私は、自分が「モテる」ことはありえないと思っている。(ちなみにここでの「モテる」、複数の同性もしくは異性から恋愛感情を抱かれる、って意味ね。)

いくら努力しようが、もともと魅力ある人間に叶うはずがない。「外見がすべてじゃない」とは言われるけど、やっぱり「ルックスがアドヴァンテージ」これは誰でもそう。そんな状況で、ファッションや言葉遣いなどの外見に拘ってひたすら自分をよく見せたって、得られるものはそう多くない。「マイナスの感情」を抱かれるのは勘弁だから清潔感は保つが、それ以上の努力をしても「プラスの感情」を抱かれることはそうそうないだろう。

 

負け犬の遠吠えみたいなことを言うと、そもそも私が経験したいのは「恋愛感情」であって「モテること」ではない。歌の歌詞に出てくるような熱い思い、知り合いのリア充が見せる照れ、そういうのがいいんだよ。モテたところで自分が恋愛できなきゃ、意味がない。まあモテるわけないけど(ヤケクソ)。

 

どうせモテないんだし、別に自分をよく見せる必要もそんなないでしょ。それよりかは、自分の中に溜まっているいろいろを吐き出してすっきりしたい。だから別に、自分のこんな限界な思考を垂れ流すのも許せる。

ま、こんな面倒な人間だから相手にされないんだ、って言われたらそれまでだが。

 

 

で、何で恋愛できないんだっけ?

 

そもそも、私が恋愛できない・恋人ができないのは何故なのか?

それは8月と変わらず「恋愛感情が理解できないから」、そう思っていた。

 

……いや、実際はそれ以外の理由もあるのではないか?

それは「単に勇気が出ないから」

 

そもそも私は、すべての人間を恋愛対象から排除しているわけではない。

知人をそういう対象としてみることに葛藤がある、というのは事実だ。でも、だからといってすべて排除しているわけではない。そもそも恋愛をしてみたいと思っているから、頑張ってそういう対象として見ようとすることもなくはない。実は出会い厨のようなものだ。

 

その結果、昨年夏頃に「気になる人」ができたのは事実だ。あれは不思議な感情で、恋愛感情のようなものだった。あの人のことが頭から離れない、そんなこともあった。自分がずっと経験してみたかった「恋愛感情」が少しでも抱けたことに、少しだけ嬉しくなった。

ただし、なぜかすぐに恋愛対象として見れなくなった。恋愛関係であってはならない「すぐさめる」という奇妙な現象が起こった。

 

私はこの奇妙な現象の発生をもって、「自分には恋愛感情がわからない」としていた。

いやしかし、これは「恋愛感情がわからない」ではなかったのでは。「恋愛感情」そのものはあの不思議な感情で理解して、そのあとの奇妙な現象だけが理解できなさった、それが正確だったのでは。

じゃあ、なぜ奇妙な現象は発生したのか。その裏に、実は「勇気が出ない」というのがあったのでは。あれは、自分の中の「恋愛感情」という制御不能な存在が突然自発的に萎んだわけではない、そうだったのかもしれない。自分が相手にとって不釣り合いだという事実を感じ取り、そこで突然自分からアプローチする勇気を失い、勝手に「恋愛感情が消滅した」と自分の中で納得していた、そうだったのかもしれない。「自分には自信がある」と思っていたが、恋愛における自信はなく勇気がつかなかった、そうだったのかもしれない。「勇気が出ない」というのを「恋愛感情がわからない」に置き換えて逃げていた、そうなのかもしれない。

(ちなみにその人には既に相手がいることがのちに判明し、改めて冷めている。)

 

じゃあどうすればいいのか。そりゃ「関係を変える勇気を持つ」なのだろう。

そんなこと今までやったことがない。でも、自分が経験したいと思っていることを実現するためには、越えなければいけない壁なのだろう。それこそ、東大合格みたいに。

 

……ただし、「恋愛感情を抱ける相手」が現れなければ始まらない。残念ながら、私があの時感じた「恋愛感情」を抱ける相手は、あの人の他にはいない。

……いや、実はこれもそういう言い訳で自分が逃げているだけなのでは? 実は恋愛感情を抱く相手、あの時ほど強い感情ではないにしろ、いたのかもしれない。勇気が出なくて逃げていたのかもしれない。

とりあえず、勇気が大事なんだろうな。自分が恋愛できない体質だ、と諦めかえる前に。

てか待ってるだけでも始まらないよな。自分がモテない以上は、自分からのアプローチが必要になるわけだし。

 

なお念のため述べておくが、今明らかに「気になっている人」はいない。潜在的にはいるのかもしれないが。

 

 

結局、「恋愛」に何を求めているのだろう

 

結局、自分は何をしたいのだろう。

 

こうやって、自分の中の考えを放出すること?

恋愛の相手を見つけること?

そこで勇気を出すこと?

人を使って承認欲求を充足すること?

交際の経験を積んで結婚に備えること?

青春コンプレックスをどうにかすること?

この激しい拗らせを脱すること?

それとも、すべてを諦めてソロ充を目指すこと?

 

今はただ、「その時」を待つしかないのかもしれない。

[雑13]変な暇つぶしの仕方

「やること」は無限に出てくる?

 

 

ようやく、春休みが終わるらしい。

3週間開始延期していた学部の授業が、次の金曜日4/24から始まる。他学部の授業はすでに始まっているが、自分の学部の授業が始まってようやく「春休みが終わった」と言えるだろう。

もっとも、ずっと自宅にいるから「休み」なんだか「休みじゃない」なんだかよくわからなくなってきたが。

 

 

春休み、なにやってたっけ

 

ここで、春休みを振り返ってみる。……あれ、春休みっていつ始まったんだっけ?……まあ、とりあえず13回めの授業が終わった1/10以降としよう。

 

1/11、高校同期と昼飯。夜も別の高校同期との飯の予定だったが、日程を1日勘違いしていたことが判明。

1/12、成人式。中学同期と久々に会う。2次会で26時くらいまで飲み屋にいた(自分は飲んでいない)。楽しかった。

1/13、1時間睡眠後に始発でバスターミナルバイトへ。実は12月からここで働いていた。5時間働いて帰宅、泥のように眠る。

1/14、朝に2時間ティッシュ配りバイトをした後、オリンピック関連のアルバイト()の登録会。その後は駒場の図書館にこもってレポートを執筆し、期限10分前に無事提出。

1/15、インターンの面接に行き(結局落とされた)、そのあと駒場で4限(1回休講があったため補講)を受ける。

1/16、7時間バスターミナルバイト。そのあとUber Eats。稼いだ。

1/17、1限(こちらも補講)を受け、そこから直接群馬県のみなかみへ。スキー場バイトの前泊。暇だったので部屋でFP2級の勉強。

1/18、スキー場バイト。駐車場の管理。めちゃくちゃ楽だったけど結構お金もらえた。

1/19、スキー場バイト。駐車場管理のほか、子ども用のイベントの手伝いなんかもした。

1/20、従業員特例で無料のレンタル・無料のリフトを用いてスキー。天候が悪く、あまり満足に滑れず。帰宅。

1/21、FP2級と授業の試験の勉強。夕方、3時間ティッシュ配りバイト。

1/22、朝にティッシュ配りバイト、その後サークル関連で業者と打ち合わせ。

1/23、朝にティッシュ配りバイト、その後2限に試験。文科の2年生が自分だけらしく笑った。

1/24、朝にティッシュ配りバイト、その後4限に試験。爆死……のように感じたが単位は来ていた。終わるとちょっとだけUber Eatsで稼ぎ、その後六本木で高級な寿司を堪能。最高だった。

これをもって、「大学の試験が終わった」という意味で春休み開始。

 

1/25、朝にティッシュ配りバイト。その後すぐに帰宅し、成人式の後撮り(?)で着物姿の撮影。楽しかった。

1/26、FP2級の試験(合格)。終わると原宿に向かい、食べ放題大好き人間でスイパラ。

1/27、朝にティッシュ配りバイトをした後、バスで長野へ。なんと1,500円という格安でWILLERに乗れた。長野に到着後、長野市の担当の方とお会いして、13日間滞在する「移住体験住宅」へ。夕方には仕事の説明を受ける。ちゃっかり本日提出の授業レポート完成。

ここから「ふるさとワーキングホリデー」「ワーホリ@ながの」が開始。

 

1/28、広告代理店でデスクワーク。次のレポートに取り掛かる。

1/29、スケートリンクで現場仕事。人生で初めてスケートリンクに入った。夜はレポートを片付けた。

1/30、スケートリンクで現場仕事。スケート大会会場のバナー(広告)みたら、反射的に貼り方とかを気にするような人間になってしまった。

1/31、朝はスケートリンクで現場仕事し、午後は翌日のテレビ信州「冬の祭典」のための準備。残業。

2/1、「冬の祭典」に出展。いろいろな現地の方とお会いしてお話しできた。

2/2、オフなので遠出。鉄道で上越高田・南小谷・大町・松本などへ。松本では氷像まつりが行われていて、なかなか綺麗。しかし暖かくて氷像が結構溶けていたのが儚い。

2/3、リンゴ農家でボランティア。と言っても、ジュースにラベルを貼っていく作業。

2/4、リンゴ農家でボランティア。出荷用のリンゴの選別。結構な数のリンゴが「規格外だから出荷できない」ということで、農業の大変さをここでも学ぶことに。

2/5、リンゴ農家でボランティア。ジャムのラベル貼り。むずい。

2/6、リンゴ農家でボランティア。初めて農園に行き、台風19号の惨状を感じる。病に侵された部分の除去作業を行ったが、雪が降っていてとてつもなく寒かった。

2/7、広告代理店でデスクワーク。仕事納め。

2/8、朝から善光寺に行き、お朝事。少し散歩して部屋に戻ると帰宅の準備をし、昼ごろに長野駅出発、飯山の雪まつりへ。そこから飯山線ほくほく線に乗って北回りで帰宅。帰宅中、新たなレポートに着手。

「ワーホリ@ながの」終了。現地の方と関われ、広告代理店や農家の仕事を知れ、努力を知れ、本当に楽しくて有意義な時間だった。いつかまた別の記事書くかも。

 

2/9、関東帰還後早々に委員会の仕事。

2/10、新入生サポートのバイトの研修。そのあとUber Eatsで稼ぎ、日付が変わるあたりで夜行バスで仙台へ出発。

2/11、仙台から蔵王に移動してスキー。めちゃくちゃ悪天候だった。

2/12、蔵王でスキー。めちゃくちゃ良い天候だった。最高。

2/13、蔵王から新庄に移動し、車内で本日期限のレポート終了。そこから鳴子温泉で入浴し、仙台で牛タンを食し、日付が変わるあたりで東京に向けて夜行バスで出発。

これをもって「大学の2Aセメスターの授業が完全に終わった」という意味で春休み開始。

 

2/14、新入生サポートのバイトの研修。先輩にチョコをもらう(その場にいた全員に配っていたが)など。

2/15、サークルの活動。めちゃくちゃ歩いた。

2/16、1日中Uber Eatsで稼いだ。夕方にiPhoneが故障して、データ通信を使えない状態に。

2/17、午前中は新入生サポートのバイトの研修、そこから東武に乗り込んで会津田島へ。サークルのスキー合宿に合流。

2/18、サークルのスキー合宿。天候が悪かった。

2/19、サークルのスキー合宿最終日。天候は良かった。帰京後すぐに新宿のビックカメラに行き、iPhoneをなんと無償交換(リコール)してもらった。神。

2/20、新入生サポートのバイトの研修に出勤途中、自転車で人身事故。即座に保険会社に連絡。自分は無傷で、通常通り出勤。

2/21、新入生サポートのバイトの研修。

2/22、委員会の仕事をした後、六本木ヒルズで「天空ノ鉄道物語博」へ。めちゃくちゃ良かった。

2/23、午前中に簿記3級の試験を受け、午後は国立博物館の「出雲と大和」へ。こちらもめちゃくちゃ良かった。ここで24日出発予定の台湾旅行の自主中止が決定。メンブレ。とりあえず成田には向かった。東葉高速鉄道山万ユーカリが丘線完乗。

これをもって「試験が終わった」という意味で春休み開始。

 

2/24、成田のネカフェで一泊し、芝山鉄道を完乗し、成田空港で友人と合流。台湾旅行がなくなったためとりあえず東京に戻り、カラオケ。

2/25、友人とラウンドワン。その後焼肉。1人(私ではない)食べ過ぎでリバース。

2/26、日中はダラダラ。夕方に警察に出頭し、先日の事故の届け出。その後東京に出てUber Eatsで少し稼ぎ、日付が変わる頃に名古屋に向けて夜行バスで出発。

2/27、名古屋から京都経由で東大阪へ。

2/28、サークルの同期旅行で大阪観光。翌日行く予定だったUSJの臨時閉園が決まりメンブレ。夜は道頓堀。

2/29、かわりに海遊館へ。雨。夜は道頓堀。

3/1、京都に向かい、宇治と伏見稲荷の観光。夜は京都駅でおばんざい。そこから自分だけ離脱して姫路へ。

3/2、別の友人と合流して小豆島観光。夜は福山へ。

3/3、鞆の浦で感動し、そこからひたすら熊本へ。熊本で委員会の仕事。夜は徹カラ。

3/4、熊本から肥薩線経由で鹿児島。奄美大島に向けて出港。フェリーで委員会の仕事。

3/5、朝に寄港し奄美大島観光。

3/6、早朝にフェリーで奄美大島を出て沖縄本島へ。寝てたら動画見てたり本を読んだりしていたら、すぐに11時間は経過した。本部港で上陸し、万座毛を見てソーキそばを食べ、名護のネカフェ。

3/7、名護市内と沖縄最北端の観光。その後イオンモール沖縄ライカムへ行き、国際通りで夕食、那覇のネカフェ。

3/8、平和祈念資料館とひめゆりの塔を訪問。昼は国際通りで食べ歩き。そして首里城を見てゆいレールを完乗し、帰京。

3/9、バイトがコロナで消滅。委員会の仕事もコロナで消滅。あれ?

3/10、新入生サポートのバイト。

3/11、新入生サポートのバイト。

3/12、新入生サポートのバイト。

3/13、新入生サポートのバイト。

3/14、大雨。サークルの会議。コロナによる新歓日程変更について話していた。当時は「泊まり企画ができるかどうか」くらいしか話していなかった。

3/15、国家資格の試験がコロナで消滅。新入生サポートのバイト。

3/16、バイトがコロナで消滅し、どこかに行っていた。

3/17、どこかに行っていた。

3/18、どこかで自転車をめちゃくちゃ漕いだ。

3/19、20歳の誕生日。サークルの用事で駒場へ。夜は初のしっかりとした飲酒。

3/20、1日中Uber Eatsで稼ぐ。

3/21、自分の運転で栃木の祖母宅へ。墓参り。運転疲れた。

3/22、新入生サポートのバイト。夕方に高校同期と会って銀座で飯を食い、その後に別の高校同期と夜行便で伊豆大島へ。

3/23、朝に上陸し、伊豆大島観光。夕方に本州に戻り。他の同期らとともに焼肉。

3/24、サークルの新歓企画(当然延期)の下見で山へ。

3/25、新入生サポートのバイト。国交省の説明会がコロナでオンラインになり、駒場図書館で視聴。その後サークル関係で業者と打ち合わせ。イラレで路線図作成開始。

3/26、新入生サポートのバイト。総務省の説明会もオンラインに。

3/27、新入生サポートのバイト。コロナのせいで企画が潰れ、突然の最終日。

3/28、ついに予定消滅。イラレで路線図作成に勤しむ。家のデッキの資材調達。

3/29、イラレで路線図作成してばかり。NACK5にハマり始める。

3/30、イラレで路線図作成してばかり。完成。

3/31、サークル同期と渋谷で会い(これが最後)、その後Uber Eatsで稼ぐ。渋谷の東急東横店の閉館を見届け帰宅。サークルの部誌用の記事執筆。

4/1、春休みのまとめとしてInstagramfacebookの投稿をしていたら1日が終わった。

4/2、専修のガイダンスがコロナで延期。車で外出。履修を考え始める。

本来だったら、ここで春休みは終了であった。ところが終わらなかった。

 

4/3、授業は始まらず。文学部のオンライン授業のガイダンスがあった。それ以外の時間はイラレ路線図の修理をし、いつのまにか1日が終わった。

4/4、家のデッキの修復開始。父親とともに、部材を切り出して土台構成。夕方になって作業を中断すると、iPhoneで過去7ヶ月間撮っていた写真の整理を開始。

4/5、午前中は父親とともに家のデッキ修復。雨のため午後は断念、委員会の仕事および写真整理。いつのまにか1日が終わった。

4/6、1限に経済学部の授業第1回を受ける。その後写真整理を完了。午後はデッキ修復の続きを行い、ほぼ終了。夕方は春休み中の乗りつぶしを記録。

4/7、2019年度の個人会計決算開始。Excelをひたすらいじくり回す。デッキ修復は塗装以外完了。履修を再検討。

4/8、決算の続きを行い、項目を大幅変更。3限の時間にオンラインで専修ガイダンス。またデッキの塗装開始。夜は久々にガッツリとテレビ視聴。

4/9、1限に経済学部の第2回授業。その後は項目変更後の決算整理と委員会の仕事を行うほか、デッキの塗装終了すなわち家のデッキ完成。昼に久々の外出をし、木曜限定のパンを購入するなど。またAmazonのPrime Videoを本格的に視聴するように(アニメばっか見てる)。

4/10、確定申告に備えて2019年の収入一覧を作成、また委員会の仕事。

4/11、委員会の仕事を行う。2020年度用の金銭出納表を作成。またPrime Videoもたまに視聴。夜はオンラインクラコン。久々に同クラと話せるの楽しい。

4/12、2020年度用の金銭出納表作成続き。夕方からはテレビ視聴。

4/13、1限に経済学部の第3回授業、2限に法学部の授業のガイダンス。荒らしがいた。午後は委員会の仕事。

4/14、2限と5限にゼミの紹介をオンラインで聞く。昼は確定申告で税務署に行き、往復25km自転車で爆走、久々に運動。それ以外の時間は委員会の仕事、もしくはPrime Video。

4/15、2限にゼミの紹介、4限にPython(授業で使用)の環境設定講習会。当然オンライン。Pythonの勉強を始める。それ以外の時間は委員会の仕事、もしくはPrime Videoで鬼滅の刃完走。

4/16、1限は経済学部の第4回授業、2限はゼミの紹介。この途中に中学校同期の訃報に触れ、非常に心が落ち着かず。午後は汚い部屋の掃除をようやく開始。Prime Videoでは藤原啓治さんの声を聞く。

4/17、1日中部屋掃除もしくはPrime Video。13時くらいから、買い物のために3kmほどランニング。18時くらいから、中学校同期の通夜。コロナのせいですぐに帰宅せざるを得ず。

4/18、午前中はちょっとだけ委員会の仕事。16時からも委員会の総会。21時からはzoomでのオンライン飲み会が2件同時に開催。それ以外の時間はPrime Videoひたすら観るのみ。

4/19、部屋の掃除の続き。12年前の資料を発見して興奮するなど。夜は委員会の仕事ちょっと。

 

……長い。こんな感じで、振り返ってみると色々なことをしていた。

 

思えば、最初の頃は普通に外出して普通に人と会っていたんだよなあ……

そしていつ頃からか、マスクをするのが当たり前になり、さまざまな対面企画が消え、授業も延期になり、家に引きこもる生活になったんだ。

 

今自分がこんなに家にいるなんて、春休み開始時の自分はかけらも思わなかっただろう。

だって、私は時間があればすぐ外出して何かしようとする、そんな落ち着かない人間なのだから。

 

 

そんな男の暇つぶしは

 

そんな私だが、なんだかんだここまで「なんもやることがなくてしんどい!」とはなっていない。上に述べたように、家でよくわからないことをいろいろ実施しているからだ。

とりあえずここで並べていこう。暇でやることがない!って場合、これを参考にしてみるといいのかもしれない(まあ変な例ばっかであてにならなそうだが)。

 

前の記事で触れたアレだ。何も見ずに描くので40時間、手直しで8時間くらいかかり、まる2日分くらいの暇つぶしになったと思う。同時に自分の実力試しにもなった。

 

  • SNSまとめて投稿

Instagramfacebookの投稿で、何故か8時間くらい費やした。写真の選定が大変。それにインスタすぐ落ちるし。いい暇つぶしだ。

 

  • 写真整理

8000枚くらいの写真をいちいちソートするのは、非常に時間がかかる。私はGoogleフォト使用アカウントの移行も同時に行ったため、いっそう大変なことになった。15時間くらいはかかったのではなかろうか。

 

サボっていた分をまとめて記録した。私の場合は、紙冊子の「乗りつぶしマップ」とネット上の「乗りつぶしオンライン」。なんだかんだ6時間くらいかかった気がする。

 

  • 前年度決算・金銭出納表整理

もともとExcelで金銭出納表を作り記録しており、そこからすぐに決算金額が割り出せた。ところが私は項目変更を行い、2019年度すべての支出について項目の再割り振りを行って再計算した。それに伴ってExcelのフォーマットにも大幅な変更を加え、2020年度版に継続するものを新たに作り替えた。2019年度決算完成・金銭出納表項目等整理には、なんだかんだ25時間くらいかかった気がする。

 

  • デッキ修復

家のデッキが激しく損傷しており、アルミ材と木材を用いて作り替えた。父親との共同作業だった。DIY。これで20時間くらいは使った。

 

  • 委員会の仕事、もとい趣味みたいな制作

委員会の関係でイラレでさまざまなものを作り、その中にはもはや自分の趣味が表れたようなものもあった。実際使われるか不明だが、なかなか楽しかった。これで40時間くらいは使った気がする。

 

  • 部屋の掃除・整理

もはや無限にできるわこれ。いつのかわからないような資料が出てきたり、それを見て懐かしんだり。いつもは限られた掃除の時間を邪魔してくる存在だけど、今はそれも含めて堪能できる。これで現時点で15時間くらいは潰している。

 

埼玉のローカルFM。こういう時、ラジオ最高なんよね。人の声聞けるし、いい感じに音楽流れてくれるし、昨今の情勢の中でも明るいプログラムを楽しめるし。作業中は基本的にNACK5を流しているくらいには、NACK5にハマってきた。土曜のHITS! THE TOWNは良いぞ。関東の人はぜひ。

 

  • Prime Video

最強。飽きることがない。アニメばかり見ているが、尽きることはない。4/9以降だけで、30分のやつを40本くらいは軽く再生している。

 

  • 寝る

やっぱこれが一番だわ。

 

…いやちょっと待て、「勉強」「読書」しろや自分。

 

授業が本格的に始まっても、週末に予定が入ることはあまりないだろう。

NACK5聴きながら勉強や読書を進めたり、Prime Video見つつ部屋整理を続けたり、そうやって「暇にならないよう」過ごしていきたいものだ。

[憂12]めんどくさいコミュ障です

コミュニケーション自体は好きなのに、普通のコミュニケーションが苦手な、めんどくさい人間です。

 

 

精神不安定な理由

 

COVID-19流行のせいで自宅に引きこもること、はや3週間。

当初は溜め込んでいたやるべきことの処理に勤しんだり、久々の時間的余裕を満喫したりとなんだかんだ楽しんでいた。

しかし、先週あたりからしんどくなってきた。日中からなんとも言えない虚無感と絶望感に襲われ、ニュースを見ては憂鬱になり、夏頃の予定を考えると激しい不安に苛まれ、夜はやたらと精神不安定になる。資格試験・検定試験は延期になり、ますます勉強する気は失われるが、かといってなんだか読書を進める気にもならない。久々に「夜眠れない」状態になった。日頃やたらアクティブに活動している人間、こういう際になぜか弱い。最近はアマプラでアニメ見てばっかで現実逃避し、ある程度はましになってきたが、それでも無力感は消えない。

昨日始まる予定だった文学部の授業開始はさらに1週間延期され、4/24となった。このままだと、授業開始までにどんどんモチベは落ちるばかりだ。まずい。


この精神不安定の原因は何だろうか。だいたい、「先行きの見えない不安」「運動不足」「人との接触機会の減少」の3つが大きい気がする。

まず「先行きの見えない不安」。これは当然だ。早くサークルやバイトに行きたいが、いつ行けるかわからない。夏にやりたいこと・やるべきことは数多あったのに、それが実際にできるかわからない。就活がうまくいくかわからない。そしてニュースが不安を煽ってくる。

続いて「運動不足」。体を動かすことはストレス発散につながるが、最近は自宅からほとんど出ないため運動していないのだ。あんなに毎日のように漕いでいた自転車も、4月に入ってからは2回しか使っていない。ちなみに先日20kmのサイクリングと3kmのランニングを1回だけしており、その際は疲れると同時に気分がある程度スッキリしたから、運動の効果は確かなようだ。ところが、また運動するやる気は出ない。そしてそのせいでますます運動不足になり、ストレスが溜まっていく。悪循環。

さて、この文章で主に扱いたいのは3つ目、「人との接触機会の減少」についてである。

 

 

コミュニケーションが好きだった


安倍総理は先日、感染拡大を防ぐためにも「人との接触を最低7割程度減少」させるよう要望すると述べた。医学関係の有識者は8割を望んでいるようだ。まあ、無症状でもキャリアになっている可能性は十分あるし、真っ当な要望であろう。私自身は3/27のバイトおよび3/31の私用以降は昨日4/17まで、家族と店の店員以外に会っておらず、それ以前と比べると(少なくとも人数ベースでは)8割減っていることは確実だ。最近は家族としか対面で話していない。

家族と話せるだけまだマシなはずなんだが、これがなぜか案外しんどい。一人旅に慣れているからこんなの平気だろうと高を括っていたが、いやいやそんなことなかった。実際これまでも、10日以上家族および店員以外と会わなかった(4/1-4/16)のは、記憶の限りだと少なくとも中学以来だ。


家族以外と会えないの、何が辛いのだろう。それは「他愛もない話を新たにする相手がいない」ことなのだろう。決してうちの家族と話さない(話したくない)と言っているわけではない、ただ「それ以外に話す相手が存在しない」ということだ。

そもそも私は、自分の身の上などいろいろな話をいろいろな知人とするのが好きだ。知人に会うたびに面白いエピソードや他愛もないネタ話をし、それを相手方からも仕入れる。「いろいろな人」に会えない以上、それは達成され得ない。また、私の得意技たる限界トークは、相手が私を理解している家族以外の知人であるからできるのであって、家族の中では死んでもできない。そうやって「話したいこと」が消化されずに募っていって、いつのまにかフラストレーションの蓄積につながってしまう。

ただ、これに関しては「通話」「LINE」などの手段がある。でもそれだけでは物足りない。通話では電波環境が悪いと途切れがちになること、家の中での通話だと結局家族に聞かれることがなんか嫌だ。LINEだと相手の声が聞こえないし、対面の会話や電話ほど「スピーディーなやりとり」はできない。そんなわけで、やりとりのために「思考」「準備」をすることになり、対面での会話ほど「他愛もない会話」というのはできない。

それにどちらも、相手の顔を直接見ることができない。テレビ電話をつないだとしても、そこに映るのは「画面を通した顔」でしかない。距離を感じてしまう。

やっぱ、直接会って話したいのだろう。そっちの方が、訳のわからない会話とかもしやすい。


私は「多数の人と直接話すこと」が好きなのだ。

そう、内容に関わらず「コミュニケーションが好き」なのだ。

だからこそ、家族以外と対面で話せない現状は辛いのだと思う。

 

 

普通のコミュニケーションが苦手だった


ただ、この「人との接触機会の減少」にはもう一つの意味がある。それは「対面の会話以外のやりとりも減った」ということだ。いや、「自分はやりとりの相手に値しないんだと判明した」と言った方が正しいだろうか。

先程述べた「通話」「LINE」であるが、もともと業務連絡として使うことが多かった。ところがコロナのせいでさまざまな業務が停滞し、前に比べると使用機会が減った。業務連絡以外で使う機会も、増えるわけではない。

SNS」というのもまさに非対面でやり取りする典型的なツールで、こういう時に活躍すべきものだ。しかしながら、対面会話が可能だった以前と比べてあまり使用頻度は増えていない。TwitterInstagramで「指名してその人にも答えてもらうリレー」というのがあり、見たところ最近流行っているようだが、私が指名されたことは(把握している限りでは)1回もない。まあ指名されたとしても、自分が誰を指名すべきなのかわからないが。

要は、「業務以外でわざわざコミュニケーションをとってくれる相手がそれほどいない」ということだ。


「じゃあ自分からコミュニケーションをとりに行けば良いじゃない」「自分から行動しろよ」。いや、それも苦手なのだ。

過去の[憂7]にて、私は「誘うことって難しいよね」と論じている。

utok-travelandthinking.hatenablog.com

端的に言うと、「相手が自分に持ちかけられて不快じゃないか心配」「相手の選別が難しい」というのが原因なのだ。これと同様で、なかなか自分から積極的にコミュニケーションを取るのが難しくなっている。

というか、積極的に相手を選ぶコミュニケーションが苦手でそれが積み重なった結果、自分が相手から「わざわざ選ぶ相手」として認識される機会が少なく、先に述べた「自分がやりとりの相手に値しない」状況を招いた、ともいえよう。

「自分から積極的にコミュニケーションをとるのも苦手で、それが悪循環を招いている」ということだ。言い訳がましいが。


そもそも、これまでの会話は「たまたま遭遇して始まる会話」「みんなで集まる機会に自然と始まる一対一の会話」にだいたい依存していた。私は「無難な人間」であり基本的に誰とでも会話ができる(と自負している)ため、会った相手すなわち「自然と決定された相手」との会話は難なくこなせた。

そんな「実際に人と会う機会」が失われた以上、今は「わざわざ相手を意識して始めるコミュニケーション」しかなくなった。会話の対象が「自分がわざわざ決定する相手」その「相手」として自分が選択される可能性はもともと低かった、という事実が明らかになった。そして自分が、積極的に相手を選んでコミュニケーションをとる行為が苦手だったことも、改めて明らかになった。


こんな感じで「わざわざ始めるコミュニケーション」があまり為されず、それを自分から始めるのも苦手、というのが厄介なところであろう。

「普通のコミュニケーションが苦手」ということだ。要はコミュ障。

 

 

COVID-19のコミュニケーションへの影響


COVID-19流行の影で、このような「普通のコミュニケーションが苦手」なコミュ障のコミュニケーションが減っている、と言えるのではないか。これまでは会って自然と始まる会話があったが、今はわざわざセットアップせねばならず、それが苦手だとコミュニケーションが始まらない。

それだけならいいが、「コミュニケーション自体は好き」だと尚更厄介だ。コミュニケーションが嫌いだったらこの「余分なコミュニケーションがいらない」状況はまさに快楽そのものだろうが、好きだと「コミュニケーションしたいのに苦手でできない」という状況になる。そしてもともとコミュニケーションが好きゆえに「ある程度話せる知り合い」は多く、でもその多くと「わざわざコミュニケーションをとるほどでもない」ためにコミュニケーションを取らず(取れず)、自分のコミュニケーションの不得手さを実感するばかり。

これぞ「めんどくさいコミュ障」だ。


「わざわざ始めるコミュニケーション」では相手が選択され、その相手とばかり話すようになる。実際に大人数で会ったときのような、「自然と決定された相手」「わざわざ選ぶほどでもない相手」との会話はなされない。その結果、特定の人との関係は強化される一方、そこから外された「わざわざ選ぶほどでもない相手」との関係は疎遠になる。コミュニケーションが苦手だと、疎遠になってばかりだ。

COVID-19は友人関係を変え、「めんどくさいコミュ障」の「話せる相手」との関係性を薄めているのかもしれない。「友達が減る」ようなものではなかろうか。


だからこそ、「めんどくさいコミュ障」である私も、今「わざわざコミュニケーションをとってくれる人」「わざわざコミュニケーションをとろうと思う親しい人」との関係は、今大切にしておきたいものだ。

自分の精神安定のためにも、この状況が終わった後に虚しくならないためにも。

 

……さて、コミュニケーションツールで、この文章でまだ言及していないものがある。それは「zoom」だ。厳密には「オンライン会議のためのツール」だろうが、授業のほかにも、今やコミュニケーションのために使う機会が増えている。

「団体での会話」の場が、zoomにて設けられる。ある団体の全員を参加可能にしたオンライン飲み会など、企画されている。それこそ「わざわざ相手を選ぶ」という心理的負担なしに、自分も参加権があるため気軽に参加できる。

これも、大切にしていきたいものだ。というか、これこそ「めんどくさいコミュ障」の救済にもなるのかもしれない。

 

私自身も、これからzoomでの飲み会が始まる。貴重な機会、楽しんでいきたい。