どこかの元T大生の思考

不定期です。旅行と考えることが好きな元T大生が、たまーに駄文を公開します。旅の記録を語る[旅]、何かに対する見解や主張をぶつける[論]、自分の生き方について思いを巡らせる[憂]、趣味などについて書き散らす[雑]の4つのカテゴリーで。

[憂28]2024年を振り返って/人間関係への挑戦:自己評価の低さとの闘い

悩みの根源は、自己評価の低さである。

それを変えるのも、なかなか容易ではない。

 

 

 

2024年が終わる。
「欲求に忠実にいるだけでなく、しっかりと将来のことを考えて行動できる人間に、2024年はなりたい。」
というのが、昨年末における2024年の目標であった。

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この目標を反映してだろうか。2024年は「自らの人生の行く末」についてこれまで以上に思考を巡らせ、これまで以上に自分の行動・思考の原理を掘り下げ、それゆえ、これまで以上に深く複雑な悩みを抱いた年であったと思う。

 

年を越す前に、過去の記事に見られる自分の行動原理を踏まえて整理した、2024年における自らの思考を書き連ねておきたい。

年末に読まれるべきでない、全記事の中でもトップレベルで長く(※)暗い内容となるが、それはご容赦願いたい。

(※これまでに例を見ない量の過去記事の引用をすることとなった。)

 

 

 

2024年:趣味を強化しつつも、趣味が支障として認識された

 

昨年末、私は以下のようなことを言っていた。

趣味最優先なので趣味の時間が欲しく、休暇を希求する。気楽な一人行動を愛するが故に、伴侶を求めない。

 

さて、前後の記事を読めば分かるように、私の趣味は「路線バスと船を使った一人での外出」である。

2024年にあっては、諸般の事情により前半は抑制されたが、後半は毎週のように外出する趣味三昧の日々を過ごした。2024年にあっては、「趣味最優先」というスタンス、「気楽な一人行動を愛する」という感情は変わらず、むしろ強化されたとも言える

 

しかし特筆すべきは、「伴侶が欲しい」という感情が現れ、かつ、私にとって一人での趣味に時間を取られることが明確に支障と認識されたのである。言い換えれば「こんなことに時間取られてないで、早く特定の人とパートナーの関係を結びたい」という感情が芽生えた。

 

昨年末にはまた、こうも記している。

一人の時間は素晴らしい。しかし危機感を持って何らかの行動をしないと、老後を孤独に過ごす独身男性の出来上がり。

2024年、「一人の時間は素晴らしい」を全肯定しなくなるような感情の変化があったのは事実である。

しかし、果たしてそれは、この時記した「危機感」のみに由来するものなのだろうか

また、感情が変化してなおも何らかの行動をしないというのは、趣味に時間を取られていることだけが原因なのだろうか

 

 

 

「"自分にとって適切な"人生を過ごしたい」という思い

 

前者の問。私の感情の変化は「危機感」に由来するものなのだろうか

2024年を踏まえ、私は、危機感というより、"自分にとって適切な"人生を過ごしたいという思いと、抑制していた感情の発露に由来するものだったと考えている。

 

"自分にとって適切な"人生を過ごしたいという思い、について。これは3段階のレイヤーに分けて説明しよう。

 

1レイヤー目:自分が満足できる人生を過ごす、という人生の究極目標

私は、自分で自分を喜ばせるために人生を過ごしている。人生を終える直前に「自分にとって本当に良い人生だった!」と思えるような人生を目指している。自己満のために生きている

それは全部、自分のため。自己満足のため。自分で自分を喜ばすため。

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2レイヤー目:"自分にとって適切な"人生の過ごし方により満足する、という性格

自分の行動の理由を「それが"自分にとって適切"だから」と説明できるような生き方において、私は満足を得る。それは結局自己満なので、他者からの評価は所与の前提とせず、自分から"適切"を他者に強制することもない。

だが、私は絶対に成人するまでお酒を飲まない。誰から何を言われようと、私は飲まない。これは強く決心している。

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別に私はあなた方に「偉い」と言われたくてそういう行動をしてるわけじゃねーんですよ!!!!!!!!!!

私は「自分の哲学」に基づく行動指針に沿って行動してるだけなんですよ!!!!!!!!!!

あなた方は私を無闇に評価するほど私の何を知ってるってんですか!!!!!!!!!!

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3レイヤー目:パートナーのいる人生が"自分にとって適切"、という判断

他者からの評価は所与としないため、私自身が有する価値観で判断した結果"自分にとって適切"となって初めて、私が"自分にとって適切な"人生の過ごし方として実践するのである。

「パートナーのいる人生」というのは、先日友人と話す中で整理したところによると、
スキンシップ
②「自分は少なくとも一人からは認められている」という安心感の獲得
孤独死一定程度の回避
④社会からの「この歳で独身ってことはヤバい人だな」とのレッテルの回避
⑤自分がこの先の人生を生きる意味の形成/セルフネグレクトの回避
⑥(相手がこどもを持つ意向に賛同する場合)こどもを産み育てることによる次世代への貢献
といった効果がもたらされると私は考えているようだ。これらの効果を、独り身で暮らしていくことによるメリットと比較勘案の上、「パートナーのいる人生」の方が"自分にとって適切"との判断に至っている。

④はそれ単体で"自分にとって適切"の判断に至るものではなく、私はその他の要素も踏まえた上で判断していること、また、未成年不飲酒と違って「レッテルを貼られる選択肢を自ら選ぶ合理性」が弱いことから要素として肯定していることに留意されたい。また、③と⑤は"自分にとって適切"の判断のみならず、ダイレクトに危機感につながる要素でもある。ちなみに⑤については、今まさに(飯と趣味以外において)セルフネグレクト状態にある。

そもそも、私は結婚したい。家庭を持ちたい。これめちゃくちゃ大事。別に恋愛結婚にこだわる必要はないだろうが、それでもお付き合いの経験は結婚前にあった方が確実に良いだろう。

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これらによって、パートナーがいるという"自分にとって適切な"人生を過ごしたい、という思いが生じているところである。

 

 

 

踏み込んだ人間関係への挑戦は不確実→「将来後悔しないように」回避

 

ここで、1レイヤー目
「自分が満足できる人生を過ごす、という人生の究極目標」
については、「将来後悔しないように行動する」という行動原理にもつながっている。この行動原理は、私が大学時代に「学生時代にしかできないこと」に過度に執着したことに顕著である。

「大学生活は人生の夏休み」と言われることもあるように、大学生の間は様々なことにチャレンジできる。逆に社会人になっちゃうと時間が足りず、老後でも体力が足りないがために、大学生の間にしかできない経験だって様々だ。

これは大学の資源を用いた勉強はもちろん、サークル活動やアルバイト、友人との深い交流まで含む。大学の友人なんか社会に出たら疎遠になっちゃうかもしれないし、なかなか会う機会も確保できないだろうから、遊ぶとしたら今だ。

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「そんなにやりたいことがあるならすべてやればいいじゃん」「時間がない? そんなの人生ゆっくり生きればいいだけさ」

こう言われたって、若さは有限。そのうち気力がなくなり、「もしこれをやっていたら……」という思いを一生抱いて生きていくことになるだろう。それに残念なことに、「やりたいこと」にかまけてゆっくり生きていると、他の「やりたいこと」を真に実現するためのキャリア形成が難しくなってしまう。

そして人生は有限。「老後にこれをやろう」と言ったところで、老後がどれくらい残されているかなんてわからない。あと、やりたいことをなんでもやろうとすると、[憂15]で述べたような器用貧乏になる。

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「学生の間にしかできないこと」をやらねばと思ってしまうから、行動に制約が生じる。

これによって、真にやりたいことが「まあ社会人になってもできるだろう」という感じで追いやられる。

社会人になっても、それをやる体力があるか分からないのに。

正直、つらい。

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そして、この行動原理は、「不確実な選択肢を避ける」という行動につながる。

「努力が報われづらい」選択肢、それを選んでがむしゃらに努力をしても、必ずしも良い結果が出るとは限らない。そこで「努力してきたんだ」と自分を奮い立たせてたところで、むしろ「努力」それ自体が目的にすり替わってしまい、自己満足で終わってしまう危険性がある。

それよりは、最初からその選択肢を選ばない、あるいは選んだとしても「努力が報われづらい」と判断したら選択肢を変更する、そのほうが自分のパフォーマンスを発揮できるかもしれない。

何か続けていたものを辞める際、まだ成果を出していない状態だったら特に、「努力から逃げた」と判断されてしまうことが多いと思う。でも言いたい、逃げるのはダメなことではない。

 

「努力が報われづらい」選択肢に限らず、自分にとって「不確実」な選択肢を避ける。これはみっともないことかもしれないけれど、自分の人生を「上手く」生きるために重要なことだと思う。

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「大学生活を可能な限り有意義に過ごそう」という思いのもとで、[論30]で書いたように、「不確実」な選択肢を選ばないことが自分の人生の指針となった。

コスパが悪い」と感じてしまうものから逃れるようになった。そしてその逃れるという行動を、肯定するようになった。

一つのことに熱中した記憶が少ない。その代わり、多くのことを同時並行で進めていた記憶は多い。

 

結果、努力の苦手な人間になってしまった。すぐに諦める人間になってしまった。

確かに、自分の身の丈にあった選択を続けており、選択の失敗は少なかったかもしれない。でも、努力をしなかったことで、何かを失ってきたような気がする。

 

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さて、特定の者とパートナーの関係を結ぶという行為は、踏み込んだ人間関係への挑戦を前提とする。そしてこの踏み込んだ人間関係への挑戦というのは、まさに不確実な選択肢の最たる例である。

すると、踏み込んだ人間関係への挑戦を、私は自ずと回避することとなる

そして回避し続けた結果、踏み込んだ人間関係が構築されない

 

 

 

抑制していた感情の発露

 

2レイヤー目
「"自分にとって適切な"人生の過ごし方により満足する、という性格」
の裏返しで、私は自分の行動を翻って「"自分にとって適切"だった」と思い込もうとする

結局、私は自分を「無条件に肯定する」ことができているわけでなく、「肯定できる理由があるから肯定する」「肯定できる理由の基準が低い」というだけなのだ。どうしても肯定できない行動があれば、私は即座に壊れる。

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すなわち、「踏み込んだ人間関係への挑戦の回避」について、「将来後悔しないように行動するという行動原理に従った」というその時点での動機のみならず、[憂19]に記載のような理由づけにより正当化しようとするのである。いわば強がり負け惜しみである。

その人はたとえ私の知り合いであっても、私の人生に大きな転機を与えるわけではない。その人の思いがどんなであれ、私を大きく変えるわけではない。その人の人間関係がどんなであれ、私の生き方には関与しない。もしかすると私に大きな影響を与えるのかもしれないけど、その人が関わる人ってのは私以外にもいるし、その確率ってのはわずかだ。

そんな人のために自分の貴重な時間を割こうとは、それほど思わない。だいたい私は自分を大切にするし、自分以外にすぐ影響されるほど柔ではない。

だからこそ、必ず影響を与えてくれる特別な存在でないという意味で「私でない人間A」。

 

逆も然り。私はたとえその人の知り合いであっても、その人の人生に大きな転機を与えるわけではない。私の思いがどうであれ、その人を大きく変えるわけではない。私の人間関係がどんなであっても、その人の生き方には関与しない。もしかすると私が大きな影響を与えるのかもしれないけど、その人が関わる人ってのは私以外にもいるし、その確率ってのはわずかだ。

そんな人のために自分の貴重な時間を割こうとは、それほど思わない。だいたい私は、自分を大切にするし、自分以外の人に影響を与えるモチベはほとんどない。

だからこそ、必ず影響を与える特別な存在でないという意味で「私でない人間A」。

 

そんな「私でない人間A」個人には、ほとんど興味が湧かないのである。初対面だろうが知り合いだろうが気にしないし、顔がどんなかもそれほど気にかけないし、どんな人間関係を持っていようとどうでもいいし、有名だろうがなんだろうが知らない。

その人個人の内面を知ったところで得られるものはあまりないから、そんなのはどうだっていい。

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この歳になると、強がっても虚しくなってくるものだ。そうしてその強がりの狭間から、強がりにより抑えつけられていた感情が復活してくる。深い人間関係が欲しい、という5年前から変わらない思いが、復活してくる。

本当は、他者に無関心なのではない。他者に関心を抱きつつ、深い人間関係の構築のために踏み込まない、という自らの行動を正当化しているだけなのである。

しかし、一番大きいのは「こうしないとやってけない」という潜在的な考えなのだろう。決して現在の状況が望ましいとは思っていない、変わりたいと思っている、でも変われない。それならいっそそれをネタにして開き直らなきゃ、虚しさでやってけねぇ。ネタにすりゃある程度は、その状況にあることの意味づけができる。いやはや空虚なものだ。

そう、私はこの状況を脱したいのだ。でも、非リア芸や友達いない芸を続けてしまう。

 

私はいわゆる「青春コンプレックス」を抱いている。つまり、絵に描いたような「青春」、「恋人とあんなことやこんなことをする」「休みに友達と海とかでわいわい遊ぶ」などに対して強い憧れを感じているのである。実際、自身がそれに近いことをできた時は非常に嬉しく感じる。

だから、率直に言えば恋人がほしい。気軽に遊べるような友人がほしい。自分の限界芸が示すのとは逆の方向に、変わっていきたい。

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これが、2024年における感情変化の契機となったもう一つの要素、抑制していた感情の発露である。

 

 

 

なんなら、「好き」という感情も抑制されていたのでは?

 

ここまでは、単に「パートナー関係という踏み込んだ人間関係への挑戦」という形式面に着目して書いてきた。

しかし、そのパートナーとして選択され得る対象個人に対する感情についても、同様に強がりにより抑制されてきたのかもしれない、と思った。

 

前提として、私は「好きです」→「付き合ってください」の流れに懐疑的であり、かつ、結婚が恋愛を前提としているような言説はけしからんと考えている。

・「好きです」と「付き合ってください」の論理の飛躍

これ、謎ですよね。拗らせているかどうかに関係なく、普通にこれは謎だと思う。

友人の話を聞く感じ、「好きなその人を失いたくないから付き合う」ってのが”普通”なんだろうけど、「ありのままでいるその人」と「自分という異物が付き纏っているその人」とでは前者の方が魅力的、という考え方もできるのではないでしょうか(「百合の間に男が挟まるのはけしからん」も同じ論理では?)。

そもそも「付き合う」という行為は「好きな人」以外とは”普通”生じない、ってのも謎。一緒に暮らすなら「好きな人」より「互いに信頼し合える人」「価値観の合う人」のほうがいいんじゃないですかね。まあ私の場合はそんな人いるのかって感じですが

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しかしながら、「互いに信頼し合える」「価値観が合う」といったように、「好き」の態様次第では当然「付き合ってください」や結婚に自然と繋がることもあろう。

 

私は、初めて「恋愛感情」のような感情を抱いた出来事を特別視している。

…こんな限界みたいなことを言っている私であるが、最近気になる人ができていた。

というか「気になる人」自体は過去に存在したことがある。だが「気になる人」といっても1ヶ月も経たずにどうでもよくなってしまったし、そもそも「気になる」という自身の曖昧な気持ちに自身が持てなかった。だから「好きな人」とは決して言えないのである。

しかしその人は、実際3ヶ月間くらい気になり続けていた。ある時は、すごく会って話したいと思うこともあった。そこで、自身の気持ちが「恋愛」なのではないかと自覚したものである。この時の自分は「恋愛」を経験できたこと自体に非常な満足感を抱いていた。

ところがどうだろう、実際話してみると恋愛感情とか以前に「尊敬の念」が出てしまうのである。自身の感情が本当に「恋愛感情」なのか、自信がなくなってしまった。たしかに会って話したいけど、それはその人の経験を単に知りたいだけ、そして共通の趣味について語り合いたいだけで、単に「異性の友人」としてなのではないだろうか。

結局私はその人が好きなのか、わからなくなってきた。そして行動できないのである。

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その結果、昨年夏頃に「気になる人」ができたのは事実だ。あれは不思議な感情で、恋愛感情のようなものだった。あの人のことが頭から離れない、そんなこともあった。自分がずっと経験してみたかった「恋愛感情」が少しでも抱けたことに、少しだけ嬉しくなった。

ただし、なぜかすぐに恋愛対象として見れなくなった。恋愛関係であってはならない「すぐさめる」という奇妙な現象が起こった。

 

私はこの奇妙な現象の発生をもって、「自分には恋愛感情がわからない」としていた。

いやしかし、これは「恋愛感情がわからない」ではなかったのでは。「恋愛感情」そのものはあの不思議な感情で理解して、そのあとの奇妙な現象だけが理解できなさった、それが正確だったのでは。

じゃあ、なぜ奇妙な現象は発生したのか。その裏に、実は「勇気が出ない」というのがあったのでは。あれは、自分の中の「恋愛感情」という制御不能な存在が突然自発的に萎んだわけではない、そうだったのかもしれない。自分が相手にとって不釣り合いだという事実を感じ取り、そこで突然自分からアプローチする勇気を失い、勝手に「恋愛感情が消滅した」と自分の中で納得していた、そうだったのかもしれない。「自分には自信がある」と思っていたが、恋愛における自信はなく勇気がつかなかった、そうだったのかもしれない。「勇気が出ない」というのを「恋愛感情がわからない」に置き換えて逃げていた、そうなのかもしれない。

(略)

……ただし、「恋愛感情を抱ける相手」が現れなければ始まらない。残念ながら、私があの時感じた「恋愛感情」を抱ける相手は、あの人の他にはいない。

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ところが先日、この感情を抱いた相手と似た属性を有する者が現れた。私はその人を一目見て、少し話しただけで、あの時と似た感情を抱いてしまった……。

それがいわゆる「恋愛感情」なのかは分からないけど、「好き」という感情自体は否定できない。一目惚れを否定した[論23]の記載を取り消すべきかもしれない……。

……いや、どうやったら一瞬でその人の判断ができるん?????

私は一目惚れなんてしませんよ。だって可愛い人なんてごまんといるのにさ、なんでその中で「この人こそ俺の運命の人だ!」って確信が持てるわけないっしょ?????(そっち?)

一目惚れってのは、一時の心の迷いに任せて「もっといい相手を見つける」可能性を捨てる行為なんだよ。「じゃあもっといい相手を見つけたら現恋人と別れりゃいいじゃない」は?お前にとって恋人ってのはそんなに軽い存在なのかよ。軽薄に付き合っちゃう人のまあ多いこと。私ゃ「恋愛」「お付き合い」ってのをほぼ経験したことないからよくわからんけどさ、それってそんな軽いものだとは思わんかったよ。私だってそういう奴らみたいに軽いものと思えてたらもっと楽だったかもしれないのにな(ほんまか?)。

 

じゃあなんで、世の中の男子共は一目惚れするん?????

……それってさ、たぶん心の奥底に「とりあえず美人の女性と付き合いたい」って想いが存在するから、すなわち「誰でもいいから恋人が欲しい」って思ってるからじゃん。それをさ、「一目惚れした」ってことで勝手に根拠づけてさ、それで突入するんでしょ?

 

相手の外見と僅かな内面を見ただけで付き合おうとするってのは、(特に男子にとっては)もはや性欲の現れでしかないのでは。

だいたい「誰でもいいからとりあえず恋人が欲しい」って思ってなきゃ、会ったばっかの人に突入なんてしないでしょ。んで「誰でもいいから恋人」って思ってる場合、それって目的は「一緒にいて幸せな人と一緒にいること」ってよりかは「○○や○○○○で肉体関係を持つ」じゃないの??? そりゃナンパと一緒じゃん。

こうやって、その人のことをよく知らないくせに「一目惚れ」って突入しちゃうのこそ、性欲が見え見えで変態じゃないのかね(過激発言)。

 

私は一目惚れしないから、そういう意味の変態ではない。これは断言しておく。

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自己評価の異常な低さと、その背景

 

それでは、「伴侶が欲しい」という感情が現れたとして、「好き」という感情が復活したとして、踏み込んだ人間関係に挑戦しよう!と即座に気が変わるのだろうか。

……少なくとも2024年の私においては、そうではなかった

 

ここで、後者の問。感情が変化してなおも「何らかの行動をしない」というのは、趣味に時間を取られていることだけが原因なのだろうか

2024年を踏まえ、私は、時間だけでなく自己評価の低さが莫大な影響をもたらしていると考えている。

 

知ってのとおり、人間関係構築に係る私の自己評価は、人間全体で見てもどん底レベルである。

私の自己評価の低さが最も顕著に現れているのは、このブログでもトップレベルのヤバ記事[論23]である。当時はヤケクソになって書いていたが、今見ても「この時の精神状態大丈夫?」という感じだ。そして一番まずいのが、こうやって客観的に見られるようになった今なお、自己評価については同じ思い(最低の評価)を抱いているということである

私はこんな勘違いはしませんよ。だって真面目な話、低身長で顔も良くなくて体力も高くない奴なんて誰が相手にしてくれるのさ(拗らせの炸裂)。

むしろ「優しくしてくれた」と思う場合、私は同時に「まあどうせ他の人に対しても同じでしょ」って思って終わるのみよ。よく考えろ、どういう場面で女性が私のことを特別に扱ってくるん? それって「単に都合がいいからであってお前に対する恋愛感情なんか関係ない勘違いするんじゃねえアホが」じゃないの? 女性も言ってるぞ、「興味のない人から向けられる好意ほど気持ちの悪いものってないでしょう?」って(『クズの本懐』安楽岡花火の台詞)。お前に特別な感情を抱く異性なんていねえし、勘違いしたら向こうが傷つくだけなんだよ(拗らせの炸裂)。

 

……ん、あれ? 私ってそもそも女性から「優しくされた」経験なんてあったっけ?

だいたいお前、女性からは「他の男子の劣化版」として扱われるのが常じゃなかったか? なんか距離を取られてることがほとんどなんじゃねえか? 世の中には「楽しそうにちょっかいを出し合ったりスキンシップをとりあったりしながら話す男女」ってのが現に存在するけどよ、お前そんなこと経験したこと一切ないだろ? 「勘違いさせちゃう系女子」ですらお前は眼中にねえんだよ。

……なんか悲しくなってきたわ。泣きそう。恋愛感情云々以前に、お前に深く関わろうと思ってくれる異性なんてガチで存在しないってか。ここで天の声に「当たり前だろ?」って言われて終わる。当たり前なんだよなあ。

言い忘れてたけど、大前提として私は「自分の能力」に関しては自己肯定感の塊なのに対して、「自分の人間関係構築力」に関しては自己肯定感が一切ないのである。そりゃこれまでの生き様があーだったらこうなるわな。

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他の記事でも大概である。

そもそも「今誘うってのはある種特別だよね」っていう私の考えに対して「は?自意識過剰キッツ」って思われても何らおかしくない。私の見ている世界が特殊なだけで、陽キャの皆さん(あ、ガチ陽キャはこんなブログ読んでないか!w)は通常通り人を誘っているのかもしれない。はい、自意識過剰陰キャですんません。「友達」って言葉を見るだけで身構える社不適ですんません。

 

あと、誘ってどう思われるかって点。単に話がしたくて誘ったとしても、「いやなんでこの時期なの???お前はそこまでして私に会いたいの???キッモ」「え?それってもしかして誘ってるんですか?ごめんなさいちょっと今そういう気分じゃないです」「私のこと特別視するなんて、もう少し立場を弁えろ」とか思われるかもしれない。……え、陰キャの(以下省略)。

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……しかし私は、「私に魅力を感じてくれる人」が現れるとは、どうしても思えない。

 

私は自分の自己愛について考えた際、一つのことに気づいた。それは

「自分のことを『客観的には』好きじゃない」

というものである。

 

どういうことかというと、私は「自己としての自分」のことは大好きだが、「相手としての自分」は好きではない、というものである。

どういうことかというと、私は私のドッペルゲンガーがいたとして、そのドッペルゲンガー のことは間違いなく好きにならない、というものである。

どういうことかというと、「こんな自分のことしか考えていない自己中野郎なんて誰にとっても魅力的じゃない」と考えてしまう、というものである。

自己愛が強すぎるがゆえの、自分に対する嫌悪感。

 

ここで、「でも魅力的に思ってくれる人もいると思うよ」と励ましてくれる人もいる。

でも私はこれまで、異性(私の恋愛対象)で「私のことを魅力的に思ってくれる人」に実際に遭ったことがない。実は遭ったことがあるのかもしれないが、私はその人と恋仲であった経験などないわけで、証拠は存在しない。「と思うよ」だけでは、私に自信を持たせるには不十分なのである。

「自己としての自分」に対する愛がどれほどあっても、自分の行動のほとんどを肯定するとしても、「自分は他の誰かにとって魅力的である」という自信は著しく弱い。

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そんな私に対して、「キモオタクよ現実を見ろお前に結婚なんてできない」と考える人も多いだろう。でもそう言われても諦めきれないのが、私という現実を弁えない異常独身男性なのである。

(中略)

誰かが「東大男子は卒業後にモテる」って言ってたけど、Twitter見てる限りだとそんなこともないと思う。モテるのは「東大卒」じゃなくて「東大卒のうち魅力的な人」であり、「東大卒でいろんな面で難がある人」ではないのよ

(中略)

「熱さ」をかっこいいと思ってくれる人は、いるかもしれない。……でもその魅力としての「熱さ」を覆い隠すくらい、私の性格(やはり[憂19][憂23]の内容)がダメなものとして認識されてしまえば、私は魅力的とは思われないであろう

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ちなみに、なんでそこまで自己評価が低いの?

 

……そもそも、私は中学1年くらいまでは、非常識かつ周囲の評判を気にしない自由な人間だった。
↓のような今では避けるようなことも普通にやっていたほか、小学生時代には「彼女」という言葉の意味を理解せずにとある女性を勝手に「彼女」に仕立て上げる(?)最悪のムーブをしたこともあった。

とある女子への嫌がらせ的なことをしては「〇〇くん嫌い」と言われた(なおその人とは中学で離れて以来会っていない)。

あ、そういや1回けいどろで女子を助けようと思ったらめちゃくちゃ「は?何この変態」みたいな顔で見られたことがあったな。

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しかし、非常識かつ自由な行動をしすぎた結果、男性の交友関係においても↓の経験やいじめを受けることとなり(別にいじめた側が悪いと思っているが私の社交に難があったと認めざるを得ない)、それを踏まえ、中学2年くらいで本格的に自分が「周囲に不快な思いを与える人間」であると認識するようになった

ちなみにかつて、目の前で「〇〇(私の本名)は別に誘わなくていいよ」という主旨の発言をされたこともある。こういうのって要は、彼らは私と一緒にいて楽しくないから無視するってことじゃん。そういうことがあった結果、自分のことを他人が誘う価値のある人間だと思えなくなった。自分に対する自信が低下した。

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そう考えると、私という「周囲に不快な思いを与える人間」が女性に対してやった行動というのは、あまりにもキショいものであり、その対象となった女性に深い傷を負わせたような気がしてきた。結果、当時誰かに恋愛感情を抱いていたこともなかった・恋愛したいという思いもなかったため、女性を相手とする積極的な行動を避けるようになった。

 

女性との関わりが僅少であった高校時代3年間を過ぎ、大学時代。
恋愛への憧れから、積極的な行動でない範囲で女性と関わろうとしたが、最初はコミュニケーション能力の矯正から始まった。

現実は残酷だった。1年の7月頃に女性に「〇〇くん、最初は何言ってるのか全然わからなかったけど、今なら話が通じるようになった」って言われる(ガチ)くらいには最初は女性との接し方に慣れてなかった。

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コミュニケーション能力の矯正が進み、友人の女性が存在するようになった頃。
友人の女性(好きになった人ではない)から信頼してもらった上で、パートナーとの関係についての悩みを打ち明けられることがあった。その内容は、自分はあくまでも相手の好意を受け入れた(から付き合うこととした)だけなのに、パートナーがそれを全ての承認であると勘違いして、性的な行為を要求してきて苦しい、というものであった。

……なるほど、男性の性欲というのは女性にとって「悪」であるようだ。それは、その男性(当該事例の当事者は私も知っている者だった)がいわゆる「周囲に不快な思いを与える人間」でなくともそうである。では、私のような「周囲に不快な思いを与える人間」が有する性欲というのは何だ?「悪の中の悪」ではないか。なんなら、好意を伝えること自体が「この人は性的な行為を求めているだけなんじゃないか?気持ち悪い」という捉え方をされるため、「周囲に不快な思いを与える人間」が好意を伝えることそれ自体「悪」なのではないか


それとは別に、大学時代以降

・話したこともない高校同期から友人づてに「自分の話をしすぎ、相手の話を聞いた方が良い」との謎の指摘を受けた

・合コンに参加した(←本ブログでは初公開情報)ら、数合わせのパートナー持ち女性から話し方の説教をされた

ということがあり、2つとも極めて妥当な指摘であり反映しつつも、やはり「矯正が進み」と言いながらも自分のコミュニケーション能力そのものがゴミなのではないか、という思いは強まるばかりだった。

 

こうやって、自分を「周囲に不快な思いを与える人間」と自覚の上、積極的な行動のみならず好意を伝えること自体も「悪」であり、そもそも恋愛以前に通常のコミュニケーション能力自体に問題がある、という自己評価が出来上がったのである。

結果、女性へのアプローチという「悪」である行動を起こすことは、避けるようになった

 

 

共感が、欲しい

 

この話をすると「そんなことない、あなたは魅力的だ」と否定してくださる方は男女問わず多くいる。とてもありがたい。

……女性から告白された経験?無いに決まってんだろアホが。なんか男性の友達2人から「自分が女性だったら付き合いたかった」とかいう謎の告白をされたことならあるけど。

……しかし、男性側から「自分もそうやって自己評価低かったけど実際は大丈夫だった」という言葉を聞いたことがないため、どうしても自信を持てないのである。自分で自分をキモいと思うレベルの男性は周りから見ても恋愛においては十分キモいので諦めてください、という可能性を否定できない。

 

ところで、最近私の中で、NAKC5(埼玉県ローカルのFM放送)を聴取することがコロナ初期以来のブームになっている。

埼玉のローカルFM。こういう時、ラジオ最高なんよね。人の声聞けるし、いい感じに音楽流れてくれるし、昨今の情勢の中でも明るいプログラムを楽しめるし。作業中は基本的にNACK5を流しているくらいには、NACK5にハマってきた。土曜のHITS! THE TOWNは良いぞ。関東の人はぜひ。

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私は12月28日(土)午前にこの記事を書いているわけだが、土曜午前に放映されている番組は『Saturday Morning Radio おびハピ!』(HITS! THE TOWNは午後)。この番組の中では、「ケアストレスカウンセラー」の資格を持つパーソナリティ・小尾渚沙によるお悩み相談「小尾渚沙の『ご自愛ください』」というコーナーがある。

www.nack5.co.jp

偶然にも、12月28日の放送における当該コーナーのテーマは「恋愛相談」であった。恋愛経験がなくマッチングアプリも成就せず焦っている女性からの相談に対し、パーソナリティは「出会いのためにマッチングアプリを続けてみるか、(自身の経験から)男友達と親しくしてみるか、新たな出会いを求める行動をするか」という提案をしていた。リスナーからも「恋や愛は探すものではなく、気づいたら自然と好きになっていた、とかある」といったメッセージが寄せられている。これは、本当にそうだと思う(私が一目惚れを否定した理由の一つ)。

……しかしながら、私ほど拗らせた人間は「出会いがあっても、感情を抱いても、自分が受け入れられる気がせず、成就しないから厳しいんですよ……。成就した方々には分からないと思いますが……。」と思ってしまうのである。しかも男性というのは自らアプローチせねば何も起こらないため、天に任せることはできない。

 

「そんなことない、あなたは魅力的だ」という言葉はとてもありがたいし、現状打破のための提案もとてもありがたい。

……しかし、私は、私が抱いているこの劣等感、この自己評価の低さを理解してくれる、なんなら同じような感情を抱いている人と会って、共感してもらいたいのだ。

別に同じ感情を抱いてなくても、「その悩みは分かるよ」と言ってほしいのだ。

私は、自分の自己評価の低さを語るとき、別にそれを否定して欲しいのではなく、そう思ってしまう感情を理解してほしいのだ。

……全くわがままな人間だが、このわがままは許してほしい。

 

しかしながら、そういう方というのは、案外いないものである。もしかしたら、私が人々の心を深掘りできておらず、気づいていないだけなのかもしれないが。

 

そういう時に、フィクションが救いになることがある。

自分と似た状態のキャラが現れ、その描写に共感できることで「作者は分かってくださっている」という思いになるとともに、逆に自分がそのキャラに擬似的に共感されているような気がして心が落ち着いたり、そのキャラを客観的に見ることで自分のことを見つめ直したりすることもできる。

 

私のイチオシの作品、『スキップとローファー』(高松美咲、講談社アフタヌーンにて連載中、単行本既刊11巻(アフタヌーンKC))。能登の鈴市凧島町(モデルは能登半島地震で被災した珠洲市蛸島町)出身の高校生・岩倉美津未(みつみ)とその周囲を描いた青春物語。

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単行本1巻裏に書かれているのは
「高1の春、過疎地から東京の進学校へ! 生涯設計はカンペキだけど ちょっとずれてる岩倉美津未は 本人も気づかないうちに周りをほぐす 天然しあわせインフルエンサー!」
そのとおり、天然の善性・みつみと触れ合った人々を描く、コメディながらヒューマンドラマな作品。

……それゆえ、みつみが持っているものを持っていない人たちが、登場する。

岩倉さんは善性が強いですね(第7巻「Scene40 ザクザクの登山」氏家清彦)

…岩倉さんは 他人の評価なんかどうでもいいって言い切れるくらい 愛されて生きてきたんだね(第8巻「Scene44 くしゃくしゃの心」八坂千笑璃) 

 

例えば、みつみと並んで本作の中心となる、志摩聡介(志摩くん)。
過度にも思えるレベルの八方美人であり、かつ、外面を取り繕っていることについて、みつみに対する劣等感を抱いている。

人を好きになるときって ないものねだりみたいなとこもあるから もしかしてだけど……
志摩くんの「ないもの」は あーいう子が持ってたりすんのかなって(第2巻「Scene9 いそいそのクラスマッチ」江頭ミカ)

違うよ みつみちゃん オレは資格がないから立ち止まってしまうだけで ためらいなくまっすぐ進んでいけるきみらのほうが ずっとまぶしくて 凄いよ(第3巻「Scene17 ルンルンの夏休み明け」志摩聡介)

怒ったり取り乱したりって 相手に親身になってないとできないじゃん オレは興味ないから怒りが湧かないんであって あれは氏家くんが言ってほしそうな言葉を言っただけ(第7巻「Scene41 ふわふわの春」志摩聡介)

お前の口が堅いのはさ いーことだよ お前が俺とつるむのは 踏み込んでこないからだろ でも俺は「薄情モンが」と思ってるよ 中学からずっと(第9巻「Scene53 ドキドキの海<3>」迎井司)

ちょっとダサいくらいで ゲロしたって そっか ふつーは嫌われないのか(第10巻「Scene54 ドキドキの海<4>」志摩聡介)

うわー  はは まじか 全部 オレが必死で取り繕ってる 外ヅラだ
もしかしたら 違う答えをくれるんじゃないか って期待して 嫌な質問して 勝手にがっかりして 誕生日のことたくさん考えてくれた人に オレ 最悪だ こんなん 最初の印象が良すぎたせいで メッキが剥がれてんの見えてないだけじゃん(第11巻「Scene65 てくてくの修学旅行<3>」志摩聡介)

隣 歩けるイメージが 湧かないんだ 嫌だな 嫌だ あーーもっと いい人間になりたい
まっすぐ目を見て話せるようになりたい その場しのぎじゃない優しさがほしい 手を引かれてばっかりじゃなくて 差し出せるように オレは(同、志摩聡介)

私も、志摩くんほど適切なムーブができないながら、自身が傷つくのを恐れて八方美人・他者への不干渉を貫いてきた人間なので、分かる。

 

ナオちゃん(岩倉直樹)。
過去に苦い経験を抱えており、いわゆる「普通の青春」を送っているみつみを姪として愛しながらも、深めのコンプレックスを抱いているように見える。

あたしなんてファッションとか恋愛とか己の願望に向き合えたのは社会人になってからよ 自分のそうしたいと思うタイミングでいいのよ
そりゃ モテファッション〜とか 若いころのがチヤホヤされる〜 とかはあるけど 好きなときに始めて好きなときにやめりゃーいいわよ(第5巻「Scene25 ぐるぐるの初恋?」ナオちゃん)

ホントのホントに おみつのこと大好きだし 誰より幸せになってほしいと思ってるけど 将来の夢を応援してくれる家族がいて 放課後買い食いする友達がいて あたりまえに恋バナして 好きな人がいて
そういうのが全部 夢みたいに見えるときがあるの あたしの青春時代のコンプレックスなんか あの子に関係ないのに(第6巻「Scene33 ニコニコのケーキ」ナオちゃん)
そういう気持ちがあること自体は べつにいいんじゃないかなぁ(同、ゴロちゃん)

私も、別に自分の大学生活が間違っているとは思わないし「どうせ自分に恋愛は無理」と思っているし、金のかかる趣味(路線バス乗り継ぎ)をやっている今では不安定な学生時代に戻りたいとはほぼ思わないが、大学時代にちゃんと恋愛して成就した友人に対し、いくら友人として好きであってもコンプレックスを抱いてしまうので、分かる。

 

氏家清彦。
勉強一辺倒の過ごし方をしてきており、中学までは自分の成績の良さに支えられていたものの、高校に入って成績も良く他のこともできる人に出会ったことで、コンプレックスが刺激されている。

岩倉さん 今 理不尽さに腹も立ってるでしょう 何笑ってるんですか? 心 開いてない人間に 心 開くなんてできるわけないですよ
私がっ どんなにみじめか わがんないんだあなだにはっ
ちゅ 中学までは よかったんです バカにされても 私のほうがずっと成績もよかったし こいつらが遊びほうけてる間に私は勉強して いい大学に入って 一流企業に就職して ずっと幸せになるんだって信じてました
だけど高校に入って…
(勉強もできて 対人関係も得意で いわゆる青春を謳歌して もしかしてそんなやつが世の中にはうじゃうじゃいるのか⁉︎ そうなると私はどうなる? 高校でもひとりの友達もできない私と コミュニケーションスキルが高くて華やかな人間 成績も同程度なら 一流企業の面接官はどっちを採る? は?)
だからあなたと席が隣になった時 少しホッとしたんです あ 変な人だ 要領悪そうだし 間違いなく私より下だ……って でも全然そうじゃなかった あなたは実直で明るくて 万人受けはしなくても理解者が周りにちゃんといる 私にだってできると張り合ってみても 余裕を見せつけられるばかりに思えて みじめで みじめで(第8巻「Scene45 ザワザワの新生徒会長」氏家清彦)

人は 同じようなことをしても 許される者と 許されない者がいるらしい(第11巻「Scene61 ムカムカの地区大会」氏家清彦)

その「がんばり」さえ評価されない世界線があるんです あの人にそれがわかると思えない(同、氏家清彦)

私も、今は克服しているものの、運動音痴・コミュニケーションに難があっていじめられていた人間として、文武両道でみんなから人気な幼馴染(高校まで一緒)に対して激しいコンプレックスを抱いていたので、分かる。

 

……そして、私が特に着目しているのが、江頭ミカ。

最初の方は、おしゃれ気取り・志摩くん狙いの気に食わない女子に見える。でも、その行動は自己評価が著しく低いことの裏返しであり、激しい自己評価の低さと闘っている。

とびきりの美人でもなければ 純粋でまっすぐにもなれない 私を一体誰が選ぶ?(第2巻「Scene8 チクチクの個人練習」江頭ミカ)

あ 私も入ってたんだ(第3巻「Scene13 モテモテの夏休み前」江頭ミカ)

結月って この性格でこの顔でしょ そんで頭も良くて 帰国子女っていうのも 多分親が商社か大手メーカー インターナショナルスクールとか通ってたんだよね 中高一貫通うような子なら なおさら結月のスペックのすごさが理解できちゃうんだろうな そんでまぁちょっといじわるするくらいいいじゃんって気持ちになる子がいるのもわかる……
と 思ってしまうのは 私がそっち側の人間だからでしょーか(第3巻「Scene15 いろいろの夏休み」江頭ミカ)

つばめ西 入るくらいだから根がマジメなのね それでも自信が持てなくて 傷つきたくない
ちょっとなつかしい(同、ナオちゃん)

私は賢くて優しい人が好き 思いやりがあって 周りもよく見えてて 私の浅ましさなんかお見通し そんな人 だから私が 好きな人から好きになってもらえることはない
一生? そんなの 絶対嫌(第6巻「Scene30 バクバクのバレンタイン」江頭ミカ)

あ 男子って 私からチョコもらうの気持ち悪くないかな……(第6巻「Scene31 バクバクのバレンタイン<2>」江頭ミカ)

江頭って なんかもっと気ィ強くて 人を見下した感じのはずだろ⁉︎ なにを急に
ああ…いやそうか 本当に自信があるなら他人を下げる必要ないんだ(同、迎井司)

小学校のとき クラスの子が本命チョコ 男子に「いらねー」とか言われて泣いてたのを見てから 本命チョコなんかぜったい渡さないって決めた だって その子は普通にかわいい子だった 怒ったりなぐさめてくれたりする友達もいた そんな子があんなひどいことを言われるなら 私だったらどうなってたの? 考えるだけでゾッとした(同、江頭ミカ)

よかった チョコ嫌がられなくて なんかめっちゃ真剣に聞いてくれたし 私の好きな人は やはり いい人でした よかった〜〜 ハハ
よかった 私 恋とかして いいんだ(同、江頭ミカ)

私 小学校の時 若干いじめられてたかんね(第7巻「Scene39 うだうだの帰り道」江頭ミカ)

この世に自分を許してくれる人がいるのか不安でいっぱいだった こんなかわいらしい子でも思ったりするんだ(第10巻「Scene55 ドキドキの海<5>」ナオちゃん)

……男の目線で言うのは無責任かもしれないけど、この歳まで努力しなかった人間が言うのは失礼かもしれないけど、分かる、分かるよ。いや、マジで、大人になったミカと飲んでみたい。

 

私は「周囲に不快な思いを与える人間」ながら、そんな私を友人として受け入れてくれるたくさんの友人がいる。その友人たちの隣にいて恥ずかしくないよう、話し方(聞き手に回る)と見た目については改善を心がけるようになった。

しかし、いくら改善を進めても、酒を飲めば「周囲に不快な思いを与える人間」としての自分の一端が復活する。私が真にしたいのは「無難な話」でなく「人生の根本に関する話」であり、酔ったら欲望のままにその「人生の根本に関する話」をしてしまうが、そんな話は一部の方を除き「話したい」とは思われない内容だと思っているので、いつも酔いながら「ごめんねこんなしょうもない話をして」と言っている。

そして、過去の自分と同じような話し方や見た目ながら周囲に受け入れられている人を見ると、また、自己評価の低さの原因の一つとなった方が十分なパートナー関係を築けていることを考えると、「なんで私はこんなに苦しんでるのに?」という若干よろしくない感情を抱いてしまう

そうして、結局自分は、「周囲に不快な思いを与える人間」自体を脱却することはできない人々に受け入れられるに値しない人間なのだ……と、思ってしまうものである。

 

でも、ミカほど努力した人であっても、自己評価の低さを克服できないことはあるらしい。自己評価の低さに悩むのは、自分だけではないらしい。

ミカが現実にいたら、自分の悩みをシェアできると思う。そして、現実世界においても少なくともこの作品の作者は、自己評価の低さに悩む人のことを認知し、理解してくださっている気がする。

……というか、相当努力してきたミカの隣に立つにも、自分はちっぽけすぎる。せめてミカくらい努力してから悩むべきか。

 

他にも、色々と大事なことを思い出させてくれる作品である。

友人関係に、確固たる理由はいらない。久留米誠と村重結月(ゆづ)の友人関係が象徴だ。思えば私も、高校時代からずっと仲良くしている友人の1人は、出自も進路も趣味も、タイプが全く異なるのである。(なんなら、みつみみたいな奴だ。)

あ ふたり全然タイプが違うのに 仲いいから ……どうしたらそんなふうになれるのか…(第1巻「Scene 4 フワフワの生徒会」久留米誠)
趣味が合ったら気が合うってわけでもないしね ちょっとしたことなんじゃないかなぁ 一緒に食ったらなんかメシがおいしいとか(同、志摩聡介)

だって仕方ないじゃん 私のことダサいとか思ってんだろうなって考えたら 萎縮しちゃうんだもん 急に仲良くなんて無理(第1巻「Scene5 バチバチの映画館」久留米誠)

「苦手なタイプだったのは本当だけど 変わりたいと思ってるし 村重さんのことも知れたらいいと思ってる」
「ごめんね」(同、久留米誠)

そりゃそうか 1年一緒で麻痺ってたけど ゆづは1軍にいるほうが普通なんだよな 私なんかが心配する必要なかったわ(第7巻「Scene39 うだうだの帰り道」久留米誠)

私 ゆづが美人で大変だったって 悩みとかどんなに聞いたとしてさ 大変だなって頭で思っても それでも ゆづみたいな見た目になれるならなりたいって 心の底では思っちゃってる気がするんだよね それがすんごい嫌(同、久留米誠)

私さ 学校じゃ ゆづといちばん仲いいの私かなーとか 勝手に思ってて だからなんてのかな 私らタイプ違うし? いちばんの理解者にはなれないかもってことはわかってんだけどさ でも 聞きたいんだよ 苦しいことも(同、久留米誠)
ん……
ねぇ 友達ってさ いっぱいいないとダメかなぁ…(同、村重結月)
んなこたないよ(同、久留米誠)

 

愛の形。

なんだ オレ 自分が思ってるより 誰でもよくなかったんだな 自分をかっこいいと思ってくれてる子を 気になって 何が悪い(第9巻「Scene48 コロコロの片想い」山田建斗)

「人として好き」って大前提のベースだろ そこに特別な感情が乗っかるから恋とか愛になんじゃん まして 恋人なんて たった一人の狭き門だぞ?(第9巻「Scene53 ドキドキの海<3>」迎井司)
別にひとりじゃないよ? 思ってたのと違った〜って別れて 次 行ったりすんだし(よく知らなくても付き合えるよ) 恋人って性的な魅力があれば中身のジャッジ甘くなるでしょ? そういうバフがかからない「人として」のほうが難しいと思うけど(同、志摩聡介)

「絶対手に入れたい!」みたいなのが「最高に好き」ってのは違うんかなーって みつみのそーゆー気持ちが ガムシャラな恋愛感情に劣るとは思えないけどね私は(第10巻「Scene57 ほくほくの登校日」久留米誠)

 

あえて、みつみ自身の言葉を一切引用しなかったが、それはぜひ原作を読んで確かめてほしい。

本当に素晴らしい、「人生が後悔と喪失との戦いのように思えた時、そればかりではなかったと思わせてくれる友人のようなただ寄り添える作品」(10巻巻末参照)である。

 

ちなみに、自己評価の低さについては、お笑いコンビ・銀シャリ橋本直も、とある雑誌にて「自己評価が低くて後輩を誘えない」と言っていた。現実に、客観的には人気があって評価されてるように見える人でも、同じような苦しみはあるんだな。

 

 

 

……結局それも強がりで、それを言い訳に逃げているだけなんじゃないのか?

 

……といったように、自己評価の低さと、それを共感してもらいたい旨をつらつらと書いてきたが、そう言い訳をして、失敗により自分が傷つくことを避け続けているだけなのかもしれない

 

先述の「小尾渚沙の『ご自愛ください』」について、リスナーから寄せられたメッセージの中に
「傷つきたくない自分もいて、うまくいかないことも多々あった」
というのがあった。

結局、傷つきたくないのはみんな一緒だ。その中で、傷つく覚悟で行動を起こせる皆と、傷つくことが嫌だから言い訳ばかりしている私。どちらが魅力的かなんて明らかだ。(だからこそ、私は告白したことのある人全員を尊敬する。)

 

そして男性である限り、行動がない分には何も起こらない

……とか言ってるうちにさ 己の欲望を認めて必死にやってる山田がここにいる誰より早く恋人作ったりすんのかな スタートはどうあれ大切に関係を育んでさ…(第5巻「Scene24 モジモジの思春期」久留米誠)

 

 

 

『スキップとローファー』最新巻において、「その『がんばり』さえ評価されない世界線があるんです あの人にそれがわかると思えない」という氏家の言葉を否定した志摩くんの言葉。

「自分がいちばんこの役やりたい」「いちばんうまくやってみせる」って思ったら そのイスを獲りにいくモンなんだよ!(第11巻「Scene61 ムカムカの地区大会」志摩聡介)

自らの抑制されていた感情が復活したところ、2025年は、覚悟を持って、「イス」を獲る努力を始めるべきなのかもしれない。

 

 

 

2024年の最後に。

最近は路線バスに乗ってばかりいるせいで筆が進まず、記事が書けてません。過去2年間の年末は「来年こそはちゃんと書きます」と言ってましたが、仏の顔も三度というので、各位を裏切ることにならないよう、今年はそういう宣言はしません。マイペースに書いていけたらと思います。

2025年もよろしくお願いします。